佐々木喜善「聽耳草紙」 一五六番 鼻と寄せ太皷
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題の「寄せ太皷」は「よせだいこ」と読む。人寄せのための縁起太鼓である。]
一五六番 鼻と寄せ太皷
或所に酒屋があつた。そこに使はれて居る夫婦者があつたが、女は其家の酒作男《さかづくりをとこ》といゝ仲になつてゐて、夜々《よよ》女はハシリ前《まへ》へ出て、椀などを洗ふうちに、壁板に穴を開けて置き、女がハシリ前[やぶちゃん注:台所の流しのこと。]の板をパンパンと叩くのを合圖に外から男が來てその穴から話をして居た。
夫(ゴテ)は妻(オガタ)の每晚の樣子を怪(オガ)しく思つて、或晚ハシリ前に行つて、女房をいきなり突き飛ばしたところ穴の外から出た男根が突き出て居た。夫は大《おほい》にゴセを燒いて(怒つて)その先きをギツチリと握り、嚊に早く庖丁を持つて來うと言ひつけた。女房は後日《ごじつ》の折檻《せつかん》が怖(オツカナ[やぶちゃん注:ママ。「ナ」は衍字か。])ないから庖丁を持つて行くと、夫はウスコゴマツテ(屈み)その頭をやツと掛聲してちよん切つたところ、勢《いきほひ》餘つて自分の鼻頭《はながしら》まで切り落してしまつた。夫は驚いて、サアしまつた、嚊ア早く俺の鼻を拾つて來ウと狼狽(アワテ)ると、女房もアワテテ仇男《あだをとこ》のkarikubiを拾つて來て夫の鼻にくツつけた。すると、そのまゝ變な鼻になつてしまつた。
夫はそれを笑止(恥かし)がつて、外へも出ぬものだから、女房は心配して、夫(アニ)な夫なこんど町にえゝ芝居がかゝつたぢから行つて見てがい。おれも行くからと言つて、尻込みする夫《あに》を無理やりに連れ出した。鼻がそんなンだから顏が見えないやうに、風呂敷をかぶツて隱して行つた。芝居小屋近くへ行くと、寄せ太皷をパンパンパンと叩いてゐた。其音で夫《あに》の鼻は癖を惡してゐたものだから、急にギクギクとおやつて、むくめき出したので、そのまゝ其所から逃げて歸つた。
(大正十二年十二月二十三日の夜、隣家の婚禮の席で、
村の虎爺の話、皆は非常に笑つた。)
[やぶちゃん注:最後のシークエンスの太鼓の、その「音で夫《あに》の鼻は癖を惡してゐたものだから」の意味が全く判らない。太鼓の音が何らかの淫靡な何かを想起させているのであろう(だから接いだ男根が勃起したというのであろう)が、それが私には判らない。色者、基! 識者の御教授を是非とも乞うものである。或いは、男女の性行為の際の音とでも言うのであろうか? とすれば、これを虎爺が婚礼の席で語り、みんな、婿と嫁も、笑ったというのは、なかなかに、「古事記」レベルの性的祝祭と言えようか。]
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