佐々木喜善「聽耳草紙」 一八一番 屁ぴり嫁(二話)
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題の「屁ぴり」は「へつぴり」。]
一八一番 屁ぴり嫁(其の一)
或所に、餘り富裕でない母子の者があつた。隣村からお嫁をもらつたが、その嫁女《よめぢよ》が每日欝《ふさ》いで居るので、姑《しうとめ》が心配して其の理由(ワケ)を訊くと、私はどうもおならが出度《だした》くつて困りますと言ふ。姑はそれを聞いて、呆《あき》れて、何をそんなことで靑くなつて居る人があるものか、行儀作法にも程《ほど》といふ事がある。さあさあいゝから思ふ存分氣を晴らしたらいゝと言つた。嫁はひどく喜んで、それでは御免を蒙つて致しますが、たゞ私のはあたりまへの屁《へ》ではないのだから、お母さんは彼《あ》の庭の臼へしつかりと、つかまつてゐて下されと言つた。姑も驚いたが、仕方がないから庭へ出て臼にしつかりつかまつてゐると、嫁子《あねこ》はやがて、着物の裾をまくつて、ぼがあんツと一つ大きな奴《やつ》をひつたところが、姑は臼ごと吹き飛ばされて、馬舍《うまや》の桁《けた》に吹き上げられ、腰をしたゝか梁《はり》に打ちつけて、大變な怪我をした。
それを見ていた息子は、たとへ俺は一生妻をもたぬことがあるとも、現在の親を屁で吹飛《ふきと》ばして、怪我をさせるやうな嫁子は困ると思つて、里へ歸さうと、妻を自分で送つて行つた。其途中で、或村を通りかゝると、濱の方から山を越して來た駄賃づけ[やぶちゃん注:馬を用いて人や物資を運ぶことを生業とする卑賤の者。]の者共が、路傍の梨の木に石や木を投げ上げて居たが、一つも梨の實は取れなかつた。嫁はそれを見てひどく笑つて、なんて甲斐性のない人達なんだらう。妾《わらは》なら屁ででも取つて見せるのにと言ふと、其駄賃づけの者共が、それを聽きつけて大變に怒り、何をいふそんだら屁でこの梨を取つて見ろ、若し取れぬ時はお前の體《からだ》を貰うぞと言ひ罵《ののし》つた。女は尙も嘲笑《あざわら》つて、よし取りませう。そんだら若し今言つた通りに屁で取ることが出來たら、お前達の馬と馬荷を皆妾に寄こせ、そして、妾が失敗(シクジ)つた時は、私の體はお前達の物だと言つた。
男共は、これは面白い、これは面白いと、手を打つておぢよめいた[やぶちゃん注:南部方言に従うなら、「からかって囃した」の意である。]。そして、さあ女早く早くとせきたてた。嫁子は心得て、靜かに衣物の裾をまくり、身構《みがまへ》をして、例の奴をぼがあんツと一つぶつ放《ぱな》した。すると大きな梨の木が根こそぎ、わりわりと吹き倒されて了《しま》つた。嫁子はそこで約束の通りに、織物七駄《だ》、米七駄、魚荷七駄、三七二十一[やぶちゃん注:掛け算をそのまま示したもの。]駄の馬と荷物を受取つた。
それを見て息子は、こんな寶女房《たからにようばう》をどうして里へなど歸されやうかとて、家へ連れて戾つた。そして別に小さな部屋を造り、女房は折々其處へ入つて戶を締めて置いて屁をひるやうにした。其處を部屋(屁をひる室《へや》)と名付けた。それが部屋(ヘヤ)の起源(オコリ)で、今でも嫁をとれば間違ひがないやうにと、直ぐ其部屋に入れると言ふことである。
(和賀郡黑澤尻町邊の話。家内の幼い記臆。)
[やぶちゃん注:「部屋」のトンデモ起源譚をブッパナした痛快な話ではないか。]
(其の二)
昔々あつとこへ嫁が來た。每日每日靑い顏をして欝ぎ込んでゐるので、姑が或日のこと、何してあんたは每日每日靑い顏してふさいで居るのか、譯があつたら言はせと訊いて見たら、嫁は私には一ツ惡い癖が御座りますと答へた。姑が重ねてどう云ふ癖だと訊いたら、嫁は屁《へ》たれる癖で御座りますと答へた。するとほんなら遠慮無くたれさえと姑が云つたので、嫁は、ほんではと云つて、たれると、出るわ出るわプツプツプツと止め度《ど》もなく屁をたれて、しまひにブウツと一ツ大きな屁をたれたら、姑は吹き飛ばされて、やうやく爐端《ろばた》の柱につかまつて、嫁やア嫁やア屁袋《へぶくろ》の口をしめろと叫んだ。
とても斯《か》う云ふ屁たれ嫁は家に置けないと、里へ歸すことになつた。[やぶちゃん注:底本では読点であるが、「ちくま文庫」版で句点に代えた。]そして姑が嫁を連れて里へ歸つて行くと、途中の路傍に大きな柿の木があつて、柿が澤山實つてゐた。姑がそれを見上げて、とても甘《うま》さうな柿だどきに[やぶちゃん注:意味不詳。接続詞「時に」で「さても」の意か。]喰ひてえもんだと云ふので、嫁は柿の木の下さ行つて裳《もすそ》をまくつて、大きな屁を一つブウツとたれたら、柿がバラバラと落ちて來た。すると姑は大した喜び樣《やう》で機嫌も直り、かう云ふ重寶《ちやうほう》な嫁はとても里さ歸されないと言つて、途中から引き歸した。
(昭和五年四月六日夜の採集として、三原良吉氏御報告の八。)
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