佐々木喜善「聽耳草紙」 一七四番 馬鹿息子噺(二話)
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
一七四番 馬鹿息子噺
牛の角突き(其の一)
或所に馬鹿な息子があつて、お葬式の行列が花を持つたり、旗を立てたりして來たので、面白くなつて、木に登つて、あゝ面白い、あ熊楠面白いと言つて喜んで居たら、何が面白いと言つて頭を叩かれた。家へ歸つてその事を話すと、そんな時には、なんまんだ、なんまんだと云つて拜むもんだと、親父が言つて聽かせたのでなるほどと思つてゐた。
次ぎに或日、家の前を婚禮の行列が通ふる[やぶちゃん注:ママ。「ちくま文庫」版では『通る』とある。「かよふる」ではおかしいので、誤植の可能性が高いが、そのままとしておいた。]ので、親父の傳授此時とばかり、大聲上げて、なんまんだ、なんまんだツ! と唱へて拜むと、何が悲しいと言つて、又頭を叩かれた。其事をまた親父に語ると[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版ではここに読点がある。]そんな時はお祝ひだから、歌の一つも唄つてやるもんだと言はれてそれを呑みこんで居た。
或夜近所に火事が起つた。親父の傳授此時とばかり、早速火事場へ駈けつけて行つて、あゝ目出度い、目出度い、目出度の若松樣だよう、と唄つた。するとみんなに何が目出度いと言つて燒け杭《ぐひ》で頭を叩かれて、泣きながら家へ歸つて、そのことを話すと、親父は何たらこつた、そんな時には俺も助けますと言つて、水の一桶《ひとをけ》も打つかげてやるもんだと言つて聞かせた。
或日息子が町へ用たしに行くと、鍛冶屋があつた。そこで折角《せつかく》炭火が燃え立つてゐるところへ、親父の傳授此時とばかり、ざぶりと一桶水をぶツかけた。鍛冶屋は大變怒つて金槌で頭をコクンと叩いた。息子は町から泣きながら歸つて來て、その事を親父に話すと、困つたもんだ、そんな時に一叩き叩いて助けますと言つて一打《ひとう》ち打つて助けるもんだと敎へた。
其次にまた町へ行くと、酒屋の前で醉《よつ》ツタクレが二人で喧嘩をおつ初《ぱじ》めてゐた。息子は親父の傳授この時とばかり、俺も一叩き叩いて助けますべえと言つて、二人の頭をぽかりぽかりと叩きつけると、かへつて二人に慘々《さんざん》なぐられてほうほうの態《てい》で家に歸つた。そして其事を親父に話すと、そんな時には喧嘩の中に入つて、これこれ、まづまづと言つて仲裁をするもんだと敎へられた。
或日、息子が一人で山奧へ柴取りに行つたら、牛が二匹で角突き合《あひ》をしてゐた。親父の傳授この時とばかり、その眞中《まんなか》へ、これこれ、まづまづと云つて割り込んで、角で腹を突かれて、遂々《たうとう》死んでしまつた。
(江刺郡米里村地方の同話には多少相違がある。卽ち馬鹿息子の遭遇失敗した事件の順序は、火事を路傍で見て居たのが惡かつたのである。
そこで親父からさういふ時には水を張りかけるか、
水がなかつたら小便でもいゝと敎はる。
次に出會《であは》したのは嫁子取りの行列であ
つた。花嫁子《はなあねこ》の腰卷の赤く飜《ひる
が》へるのを火事だと誤認して小便をしつかけたの
が惡かつた。
其次に出會したのが葬式の行列で、それに親父か
ら敎はつた祝謠《いはひうた》を歌つたのが惡かつ
た。
そこでこれでは迚《とて》も一人で山へ柴刈りに
遣れぬから俺と一緖に行けと、親父が言つたことに
なつて居る。同地の佐々木伊藏氏談話六。昭和五年
七月七日聽書。)
[やぶちゃん注:附記は長いのと、附記内部に改行字下げがあるため、本文同ポイントで引き上げた。さらに、手を加えて、構造的には佐々木が意図した形に一部の字数を減じて体裁を合わせた。ただ、この附記には、不全がある。則ち、この本文の採取地が不明であることである。最後の「同地の佐々木伊藏氏談話六」というのは、附記の内容の採集地であり、江刺米里としか読めないことで、本篇本文が、どこの採取かが、判然としないのである。但し、本書の多くの採集地が、佐々木の故郷である遠野であることを考えれば、本文の採集地は遠野に比定してよいであろうとは思うのであるが。また、米里版では、山の柴刈りには父親が同行していることから、馬鹿息子は父親に制止されて、命拾いをするという展開なのだろうか。馬鹿息子とは言え、私はそうであってほしいとは思うのである。
「江刺郡米里村地方」現在の奥州市江刺米里(えさしよねさと:グーグル・マップ・データ)。遠野市からは南西に当たる。]
飴甕(其の二)
或所に少し足りない馬鹿な兄があつた。母親(オフクロ)が飴(アメ)を作つて、厩舍桁《うまやげた》の上に置いた。ある日のこと兄が飴をなめたいなめたいとせがむので、親父も仕方なく桁へ上つた。そして今飴甕《あめがめ》を下《おろ》すから、お前は下に居て尻(ケツ)を抑へろよと云つた。
[やぶちゃん注:「厩舍桁」厩の柱の上の棟の方向に横に渡して、支えとする材木。何故、こんなところに置くのかが、判然としないが、飴を熟成させるのに丁度よい温度・湿度、太陽光が入らず、相応しい場所なのであろうか? 或いは、馬がいることから、雑食性の鼠や中型獣類が恐れて、食害しない場所なのであろうか? 識者の御教授を乞うのものである。]
兄は喜んで、はいはいと言つて居た。父親《とと》は薄暗い厩舍桁へ上つて、甕を取り出し、いゝか、しつかり尻をおさへろよ、手を離すぞ、と言つて、そろそろと下した。下で息子は、あゝいゝよ、しつかりおさへているから、と言ふ返事なので、父親が手を離すと、飴甕はどさツと土間に落ちて粉微塵に碎《くだ》けて、飴はみんな土の上に流れてしまつた。父親は眞赤になつて怒つて、下へおりて、お前どうして尻をおさへていないツと怒鳴《どな》ると、息子は腰を屈めて兩手でしつかりと自分の尻をおさへながら、父親(トト)俺アこんなにおへえて居たと言つた。
(昭和四年十一月中、前述織田秀雄君御報告の四。)
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