佐々木喜善「聽耳草紙」 一四三番 雷神の手傳
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。「匹」と「疋」の混用はママ。]
一四三番 雷神の手傳
或所に一人の男があつた。町へ行つて見ると、苗木賣りの爺樣が居たから、それから桃の木の苗木を一本買つて來て、それを裏の畠のほとりに植ゑて、早くおがれと言つて、一生懸命に肥料(ヂキ)をやつて置いてその夜は寢た。
翌朝起きて見ると、昨夕方(ユウベガタ)あんまり肥料(ヂキ)をやつたものだから、一夜の中に桃の木がおがるおがる、ウントウント大きくおがつて、天の雲を通しておがつてゐた。男は常々いつか天上を見物したいものだと思つて居たところだから、これはよいことをしたと思つて、其桃の木傳ひに天へ登つて行つた。すると雲の上に靑鬼が二匹控へて居て、コレコレお前は何しに此所さ來たと訊いた。すると男は此所のところが天か、何が何でも俺は雷樣に逢ひたいから、雷樣の居るところへ連れて行つてくれろと言つた。鬼どもは、ほんだら此所を眞直ぐに通つて行けと敎へた。男が敎へられた通りに行くと、大きな家があつて廣い座敷の中で雷樣が晝寢をして御座つた。そこへ赤鬼が二疋やつて來て、もしもしハア出かけますべえと雷樣に言ひながら向合《むきあ》つて、燧石《ひうちいし》をカチツカチツと兩方から打《ぶ》ツつけ合つた。するとピカツと稻妻が飛び散らけた。雷樣はやつと目を覺まして、ナンタラ野郞ども早いよ、俺はまだ眠(ネブ)たい々々[やぶちゃん注:「々」二つはママ。]と言つて大きな欠伸《あくび》をして起き上つて、長押《なげし》に掛かつてあつた八《やつ》ツ太鼓を取つて、ドンドコ、ドンドコ打ち鳴らしながら出て來た。そして玄關で男と出會《でくは》[やぶちゃん注:この読みは「ちくま文庫」版を参考にした。]して、ヤアお前は見たことのない人だが、誰だアと訊いた。男が俺は日本から來たと言ふと、[やぶちゃん注:底本では句点だが、「ちくま文庫」版で訂した。]あゝあうか恰度《ちやうど》よい所へ來てくれた。早く此桶の底をブン拔いて水撒きをやつてくれと言つて、雨降らせ役を男に賴んだ。男はそれを承知して、桶の底をブン拔いて、雲の上から下界ヘザアザアと水をブンまけた。ところが下界で今を盛りと稗干《ひへぼし》をして居た爺樣や婆樣たちが、それア神立雨(カンダチアメ)だと言つて大騷ぎをしはじめた。男はそれが面白くてウツカリ見惚れて居るうちに、雲を踏ン外して、ドンと下界へ墜ちてしまつた。そして桑畠に落ちて來て、桑の木の枝に引懸《ひつかか》つた。雷樣はそれを見て、あははははツあの男は桑の木に引懸つた、可愛想だからあれに障《さは》るなと言つた。だから雷樣の鳴る時には何處でも桑の小枝を折つて來て軒にさすのだといふ。
(村の小沼秀氏の話の五。一番同斷。)
[やぶちゃん注:「神立雨」雷雨。]
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