奇異雜談集巻第六 ㊂弓馬の德によつて申陽洞に行三女をつれ歸り妻として榮花を致せし事 / 奇異雜談集~全電子化注完遂
[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。
因みに、本篇は、前回と同じ仕儀がなされてある。則ち、再び「剪燈新話」からの和訳である。原文は以前に紹介した「中國哲學書電子化計劃」のこちらから、影印本で視認でき、これが一番良い(但し、右にある電子化されたものはダメである。機械判読で、とんでもない字起こしになっているから)。何故なら、これ、実は、逆輸入(後の本文の私の注を参照)版で、日本語の訓点附きだからである。
本篇を以って「奇異雜談集」は終わっている。]
㊂弓馬(きうば)の德によつて申陽洞(しんやうだう[やぶちゃん注:ママ。「だう」は「どう」でよい。])に行(ゆき)三女(《さんぢよ》をつれ歸り妻として榮花(ゑいぐは)を致せし事
「申陽洞の記」は、「剪燈新話」にあり。いま、心をとつて、やはらげて記す。
元朝のすゑ、天曆(《てん》りやく)年中の事なるに、隴西(ろうせい)といふ所に、李生德逢(りせい・とくはう)といふものあり。年、廿五。よく、馬に、のり、よく、弓を、いる。勇(けなげ)[やぶちゃん注:読み「健氣」は、ここでは「勇ましく気丈なさま」の意。]をもつて、稱ぜ[やぶちゃん注:ママ。]らる。
[やぶちゃん注:「元朝のすゑ、天曆年中」一三二八年から一三三〇年まで。元の文宗トク・テムル及び明宗コシラの治世で用いられた元号。明宗コシラの死後、アスト軍閥のバヤンが独裁権を握り、元末の軍閥政権時代が幕を開け、一三六八年、モンゴル帝国第十五代カアン(元としては第十一代皇帝)トゴン・テムル(恵宗。明による追諡は順帝)、大都を放棄して北のモンゴル高原へと退去した(北元の始まり)。
「隴西」旧隴西郡相当の地方名。同旧郡は秦代から唐代にかけて、現在の甘粛省東南部の、現在の甘粛省天水市(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)に置かれていた。現在、隴西県があるが、これは甘粛省定西市にあり、旧隴西郡の北西で、ずれる。
「李生德逢」「生」は「~という者」の意。「德逢」が名。さても、「隴西」の「李」姓となると、私の偏愛する中島敦の「山月記」(リンク先は私の古いサイト版)を直ちに想起される方が多かろう。私は高校二年生の現代文(私の高校時代は「現代国語」と言った)の初っ端はこの「山月記」の朗読をブチかまして、生徒たちから「李徴」という有難い綽名を貰ったものだった。その私の『中島敦「山月記」授業ノート』もサイト版で公開している(そちらでは、教師駆け出しの頃に作成し、当時、使用した配布用資料の教授用(小汚い書き込み附き)原本『別紙ダイジェスト「人虎傳」』も画像(三分割。1・2・3)で公開してある)。同作は、唐代伝奇の晩唐の李景亮撰になる「人虎傳」(これは先行する晩唐の張読の伝奇小説集「宣室志」にある「李徴」のインスパイア作品である)を元としている。「剪燈新話」の作者瞿佑(くゆう)は、まず以って「李徵」及び「人虎傳」を意識して主人公の本貫と李姓を使用しているものと考えてよかろう。「李徴」も「人虎傳」も主人公李徴について、『皇族子』則ち、「唐の皇族の子」と設定している。されば、そうした貴種流離譚的ニュアンスも、ここでは主人公に示唆されているものと読んでよいのではなかろうか。
「勇(けなげ)」読みの「健氣」は、ここでは「勇ましく気丈なさま」の意。原作では、ここは『以膽勇稱』となっている。]
妻子を、ことゝせず、鄕黨に崇敬せられず。
[やぶちゃん注:原文では、妻子がいないという部分はなく、『然而不事生產、爲郷黨賤棄』で、「狩猟にうつつを抜かし、何らの生産的なことに興味を持たなかったことから(ちゃんとした仕事にも就かなかったから)、郷里の成人男子たちからは軽蔑されていた」とある。]
桂州といふ国に、交友あるをもつて、ゆきて、これをとふに、すでに死して、今は、なし。滯留じ[やぶちゃん注:ママ。]て、かへる事、あたはず。
[やぶちゃん注:「桂州」タワー・カルストの林立する景観で知られる現在の広西チワン族自治区桂林市。ロケーションとしては、まさにツボに嵌まっている。]
郡に、名山、おほし。日〻に、獵射(れうしや)をもつて、事として、やまず。
みづから、おもへらく、
『たのしみを、えたり。』
と。
こゝに、大氏(たいし)[やぶちゃん注:名門の豪族の意であろう。]錢翁(せんをう)といふもの、あり。財寶、おほきをもつて、郡にしやうくはん[やぶちゃん注:「召喚」。]せらる。
子、たゞ一女《いちぢよ》、あり。とし、十七にをよぶ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]。
はなはだ、鐘愛(しあい[やぶちゃん注:ママ。])す。
いまだかつて、門を見ず[やぶちゃん注:寵愛のあまり、彼女は家から出たことがないのである。]。親類・隣里(となりのさと)といへども、また、これをみる事、まれなり。
一夕(《いつ》せき)、風雨(ふうう)、はなはだしく、くらきに、女の在所(おりところ[やぶちゃん注:ママ。])を、うしなへり。
門(かど)・窓(まど)・戶(と)・扉(とびら)、閉-鎖(とざし)、もとのごとし。
したがひゆく所を、しること、なし。
官所(くわんじよ)に、きこえ[やぶちゃん注:行方不明の届けと捜索を頼み。]、仏神(ぶつじん)に、いのり、方〻《はうばう》に、これを、とふ。やゝ[やぶちゃん注:少しも。]、その跡、なし。
錢翁、女(むすめ)をおもふ事、切(せつ)にいたり、誓(ちかひ)をまうけて、いはく、
「よく女の在所(ありところ)を知(しる)ものあらば、ねがはくは、家財をもつて、これに、つかへん。」
と。
もとめたづぬるの心、はなはだ、せつなりといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、まさに半年にをよぶまで、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]音信(いんしん[やぶちゃん注:ママ。])を絕(ぜつ)する也。
李生、一日《いちじつ》、ゆみやを、もつて、城(さと)を出《いで》て、一《ひとつ》の鹿(しか)に、あへり。
これを、おふて、すでに、嶺(みね)をこえ、谷(たに)をこえ、よく、をよぶ事、なふして[やぶちゃん注:ママ。追い捕まえることが出来ずに。]、日、すでに、くれたり。
きたれるみちに、まよひ、ゆくべき所を、しること、なし。
日、くれたり。
虎(とら)、うそぶくこゑ[やぶちゃん注:遠吠え。]、さだかに、きこえぬ。
「いづれの所にか、宿(しゆく)せん。」
と、はるかに山上《さんじやう》をみれば、一《ひとつ》の古堂(ふるだう)あり。
ゆきて、これに宿せむと欲(ほつ)す。
塵(ちり)、ふかくつもりて、人の跡、なし。
たゞ、鳥(とり)・けだ物《もの》の跡、あり。
はなはだ、おそるといへども、いかんとすべきことなく、堂の内にありて、いまだ、すこしも、ねぶらざるに、おほき衆(しゆ)、同行(どうぎやう)の声(こゑ)を、きく。
とをく[やぶちゃん注:ママ。]よりして、いたる。
おもふに、
『深山、しづかなる夜、いづくむぞ、かくあらん。うたがふらくは、これ、鬼神(きじん)ならん。又、おそらくは、盜人(ぬすびと)のありく[やぶちゃん注:「歩く」。]か。』
と。
高梁(かうりやう)[やぶちゃん注:堂の棟の高い梁(はり)の上。]に、のぼりて、そのなす所を、うかゝふ[やぶちゃん注:ママ。]。
須庾(しゆゆ)にして、門に、をよんで、二(ふたつ)のともしびを、かゝげて、さきに、みちびく。
首人(しゆじん)[やぶちゃん注:「首魁」。親分。]たるもの、頂(いたゝき[やぶちゃん注:ママ。])に、三山《さんざん》の冠(かふり)を、ちやくし、黃(き)なる袍(うはぎ)、玉(たま)の帶(おび)、高官(かうくわん)の人のごとく、正案前(しやうあんぜん)によつて、座(ざ)す。
[やぶちゃん注:「三山の冠」所持する二〇〇八年明治書院刊の竹田晃他編著の『中国古典小説選」第八巻「剪灯新話」の注に、『古来、朝賀や即位式で被る儀礼用の冠』とある。
「正案前」原作では(二行目下)、『神案』とあるから、この古い堂に祀られた神の神前の礼拝用の机を指す。]
從者(しうしや[やぶちゃん注:ママ。])十餘輩(《じふ》よはい)、をのをの[やぶちゃん注:ママ。]兵具(ひやうぐ)をもつて、階下(かいか)につらなりおれ[やぶちゃん注:ママ。]り。
よくみれば、皆、猿(さる)のたぐひなり。
こゝに、李生、邪魅(ばけもの)たることをしつて、腰の間《ま》の箭(や)をとりて、弓に、はげ、十分に、ひゐて[やぶちゃん注:ママ。]、はなつ。
正面に座したるものゝ肘(ひぢ)・膝(ひざ)に、あたる。
声を、うしなふて、はしる。從者(じうしや[やぶちゃん注:ママ。])、一度に退散す。ゆく所を、しること、なし。
後はしづかにして、また音をきかず。
李生、かりねして、あしたを、まつに、すでに、夜《よ》、あけぬ。
そのあとをみれば、血、こぼれて、おほく引(ひき)て、門外にいたる。
路(みち)にしたがつて、たえず、李生、これを、とめて[やぶちゃん注:「尋(と)めて」。]ゆけば、山の南より、まさに五里にをよばんとす、一《ひとつ》の、おほきなる、穴、あり。
[やぶちゃん注:「五里」明代の一里は五百五十九・八メートルしかないから、凡そ二キロ八百メートルである。]
血のあと、穴に入《いる》。
李生、あなの、はたに、のぞんで、下を、のぞけば、草、ふかくしげり、草のね、やはらかにして、なめらかなるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、ふみはづし、おぼえずして、おちいりぬ。
穴ふかき事、數(す)十丈、天《そら》をあふぎみること、あたはず。
[やぶちゃん注:「數十丈」明代の一丈は三・一一メートル。六掛け六十丈で換算すると、凡そ百八十七メートル前後となる。]
みづから、
『かならず、死す。』
と、おもへり。
かたはらに、
『すこしき、みち、あり。』
と、おぼゆ。
これを、たづねてゆけば、にはかに、あかくして[やぶちゃん注:ぱっと明るくなって。]、一《ひとつの》の、石室(せきひつ)、みゆ。
[やぶちゃん注:「石室」これは自然のものではなく、意図的に作られた石造建物を指す。]
額、あり、「申陽洞」と記(き)す。
門を、まもれるもの、數輩(すはい)、そのしやうそく[やぶちゃん注:「裝束」。]、昨夕(さくせき)、堂のまへにみし所のごとし。
李生をみて、おどろきて、いはく、
「汝(なんぢ)、いかんとして、こゝに、きたるや。」
と。
李生、礼をなして、こたへて、いはく、
「下衆凡人(げしゆほん[やぶちゃん注:ママ。]じん)、ひさしく城-都(みやこ)に居(きよ)して、醫道(いだう)をもつて業(ぎやう)とす。藥種(やくしゆ)に、ともしきがゆヘに、山に入《いり》て、たづね、とる。すゝみ、きたりて、おほえ[やぶちゃん注:ママ。]ず、足を、あやまつて、こゝに、おちたり。ねがはくは、じひ[やぶちゃん注:「慈悲」。]をたれ給へ。」
門をまもるもの、いふことをきゝて、よろこぶ色あり。
李生に、とふていはく、
「汝、すでに醫を業とせば、よく、人のために治療(ぢりやう)せんや。」
李生がいはく、
「是、やすき事なり。」
と。
門を、まもるもの、おほきに、よろこび、手をもつて、空をさし、
「天なり、天なり、」
といふ。
李生、そのびやうじや[やぶちゃん注:「病者」。]のゆらい[やぶちゃん注:「由來」。発症の様態。]を、とふ。
門をまもるもの、いはく、
「我君(わがきみ)申陽侯(しんやうこう)、昨夕(さくせき)、出《いで》て、あそばるゝに、流矢(ながれや)のために、あてられ、やまひにふして、床(とこ)にあり。汝、しぜん[やぶちゃん注:「自然」。自ずから。]、こゝに、きたる。是、天神(てんしん)、醫をも、もつて、たまものせらるゝなり。」
と。
すなはち、李生を請(しやう)じて、門中に座(ざ)せしめ、はしりゆきて、此むねを、そうす。
則(すなはち)、主人のことばをつたへて、李生につげていはく、
「予(われ)、養生(ようじやう)を、よく、せず、みだりに、出《いで》あそび、肱股(ここう[やぶちゃん注:ママ。この文字列では「こうこ」。「股肱」が普通で、「股」は「腿(もも)」、「肱」は「肘(ひじ)」で、「股肱」で「手足」の意となる。漢字の誤刻か。])の毒、骨髓(こつずい)にながるゝことを、えて、殘命(ざんめい)つくるを、まつ。いま、さいわゐ[やぶちゃん注:ママ。]にして、神醫(しんい)きたりて、良藥を服(ふく)することを得べしとは。」
しかるゆへに、李生を請容(しようよう)す。
李生、衣(ころも)をかきおさめて、入《いり》、重門(てうもん[やぶちゃん注:ママ。])を、わたり、曲廊(きよくらう)をすぎ、幕際(まくのきは)に、をよぶ。
裀-褥(しとね)、きはめて、はなやに、うるはしゝ。
一《ひとつ》の老猿(おいざる)有(あり)て、石の床(ゆか)の上に、のべふす。呻(によふ[やぶちゃん注:「呻(によ)ふ」。苦しそうに呻(うめ)く。])こゑ、たえず。
美女、かたはらに侍るもの、三人。みな、たえたる[やぶちゃん注:「絕えたる」。絶世の。]色(いろ)にして、うつくしき也。
李生、主人に、ちかづき、その脉(みやく)を診(しん)じ、その瘡(きず)をなでゝ、いたはるよしゝて、いはく、
「あに、いたみなからんや[やぶちゃん注:ここの反語は、「その傷みは御心配には及びません」の意。]。予、仙術の藥《くすり》あり。たゞやまひを治(ぢ)するのみにあらず、かねて、長生(ちやうせい)すべし。今の、あひあふ事[やぶちゃん注:互いに出逢うことが出来たことは。]、けだし、また、緣(ゑん[やぶちゃん注:ママ。])あるのみ。」
つゐに[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、ふくろを、かたぶけ、藥(くすり)を出《いだ》して、これを、ふくせさしむ。
群猿(むらさる[やぶちゃん注:ママ。])、「長生(ちやうせい)の說(せつ)」を聞《きき》て、長生をえむことを、のぞみ、みな、前につらなりて、拜していはく、
「尊醫(そんい)、まことに、是、神人《じんじん》なり。さいわひ[やぶちゃん注:ママ。]にして、あひあふ。我君、すでに仙藥(せんやく)をえて、命をながくす。我等[やぶちゃん注:「等」は底本では異体字のこれ(「グリフウィキ」)だが、表示出来ないので、正字で示した。後の「等」も同じ。]に、なんぞ、一刀圭(かたなのさきひとすくひ)[やぶちゃん注:三字へのルビ。小刀の先で一掬いしただけの僅かな量。]、たまはることを、えざらんや。」
李生、つゐに、そのつゝみもてるを、つくして、あまねく、これをあたふ。
みな、ころびおどり、あらそひ、うばふて、これを、ぶくす。
群猿《むれざる》、すなはち、にはかに、地に、たふれ、まなこ、くれて[やぶちゃん注:「眩れる・暗れる」で眼が見えなくなって。]、しる事、なし。
けだし、此毒藥(どくやく)は、獵師たるもの、みな、これをもつて、矢(や)じりにぬり、鳥・けだ物をいるに、たとひ、毛羽(けは)にあたるといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、つゐに、毒氣、とをり[やぶちゃん注:ママ。]て、死す。
いはんや、今、ぢきに、かれらが口にいれしゆへに、たちまちに、たふるゝなり。
きのふ、李生、山に人《いり》て、鹿をいるゆへに、これをもつて、今、これをもちゆ。
又、こゝに、寶剱(はうけん)、石壁(せきへき)にかゝりてあるをみて、すなはち、李生、これをとつて、ことごとく、これを、きる。
およそ、猿をころす事、大小、三十六頭(かしら)なり。
「かの三人の美女、これもまた、ばけたる猿なるべし。おなじくこれを、ころすべし。」
といへば、みな、泣《なき》ていはく、
「我等、みな、人《ひと》にして、猿にあらざるなり。いのちをゆるされば、ふたゝびうまるゝの主(しゆ)たらん。」[やぶちゃん注:「生きて帰られることは、生まれ変わったのと同じことで御座いますから、蘇生の御(おん)主人として、お仕え申し上げます。」の意。]
と。
李生、ちなみに、その姓名・居所(ゐどころ)を、とふ。
三女、をのをの[やぶちゃん注:ママ。]つぶさにかたるをきけば、そのひとりは、錢翁がむすめなり。その二女もまた、近里良家(きんりりやうけ)のむすめなり。
李生、三女を引《ひき》て、おなじく出《いで》んと欲(ほつす)といへとも[やぶちゃん注:ママ。]、その道をしらずして、いきどをり[やぶちゃん注:行くに滞ってしまい。]、まよふところに、たちまちに、老夫(らうふ)、四、五人、きたれり。
みな、身(み)に褐裘(かはたはころも)[やぶちゃん注:粗末な皮革製の着衣。]を、きたり。ひげ、ながく、頷(をとがひ[やぶちゃん注:ママ。])ほそきものなり。
つらなりて拜する中《なか》に、白衣(はくゑ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。])のもの、ひとり、すゝむで、いはく、
「我等は、二十八宿のうち、虛星(きよせい)の精(せい)なり。久しく此所《ここ》にあつて、ちかごろ、妖猿(ばけざる)のために、うばゝる。我等、ちから、よはくして、敵たい[やぶちゃん注:「敵對」。]に、あたはず。他方(たはう)にさりて、そのたよりをまつところに、はからざるに、君、よく、われらがために、たいぢし給ふ。」
と、いふて、よろこびて、をのをの[やぶちゃん注:ママ。]袖(そで)の中より、金玉(きんぎよく)のたぐひを出して、李生がまへに、をけり。
[やぶちゃん注:「虛星」中国の天文学・占星術で用いられた「二十八宿」の一つである「虚宿」(きょしゅく・とみてぼし)。当該ウィキによれば、「北方玄武七宿」の第四宿。『距星はみずがめ座β星』で、『主体となる星官(星座)としての虚はみずがめ座β、こうま座αの』二『つの星から構成される』とあり、『虚宿には』十『の星官がある』として、それらが司る対象内容が記してある。先に示した明治書院刊『中国古典小説選」第八巻「剪灯新話」の注には、『ネズミは虚星の精であると言われる』とあった。]
李生がいはく、
「なんぢら、すてに[やぶちゃん注:ママ。]、神通(じんづう)を、ぐす[やぶちゃん注:「具す」。備える。]べし。なんぞ、すなはち、かれに、あざむかるゝや。」
と。
白衣(はくゑ)のもの、いはく、
「吾(わが)壽(いのち)、たゞ、五百歲。かれ、すでに、八百歲。こゝをもつて、敵(てき)すること、あたはず。しかるに、群猿(むれざる)、此ときに、めつばうす。けだし、かれら、人をたぶらかし、世をわづらはするゆへに、咎(とが)を天にえて、手を君に、かるのみ。しからずば、かれらがあくしん[やぶちゃん注:「惡心」。原作では『兇惡。』]、あに、君一人して、よく制する所ならんや。」
といふて、よろこぶなり。
ちなみに、李生、とふて、いはく、
「洞(とう)を『申陽(しんやう)』となづくるは、その儀(ぎ)、いづくか、あるや。」
白衣のいはく、
「猿(さる)は、すなはち、『申(さる)』のたぐひなり。かるがゆへに、これをかりて、もつて、美名(びめい)をもつてす。我土(わがくに)の旧号(きゆうがう)にあらざるなり。」
李生が、いはく、
「予(われ)、あやまりて、こゝに、おちいりたり。ねがはくは、歸路にみちびくことを、えさしめよ。」
白衣(はくゑ)のいはく、
「汝、目をとづること、しばらくせば、歸路を得べし。」
と。
李生、その、いふがごとくす。
則(すなはち)、耳(みゝ)のほとりに、たゞ、疾風(しつふう)暴雨(ぼうう)のこゑを、きく。
声(こゑ)やんで、目をひらけば、一《ひとつ》の大白鼡(はくそ/しろねつみ[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:右左のルビ。]見(けん/みへ[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:右/左のルビ。]して、前に、あり。
[やぶちゃん注:底本の挿絵の大きな画像がこれ。]
群鼡(ぐんそ)、豕(いのこ[やぶちゃん注:ママ。])のごとくなるもの[やぶちゃん注:豚の大きさほどの鼠の意。]、數輩(すはい)、これに、したがふ。
かたはらの古穴(ふるあな)をうがちて、歸路(きろ)に通達(つうだつ)することを、えさしむ。
李生、すなはち、三女を、ひゐて、ともに出《いで》てかへる。
しかうして、錢翁が門(かど)をたゝきて、さきの事を、かたる。
すなはち、錢翁、おほきにおどろき、そのかへる事を、よろこぶ。
すなはち、もと、いひしごとくに、おさめて、婿となすなり。その二女の家に、また、これに、したがはんことを、ねがへり。
李生(りせい)、一身(《いつ》しん)にして、三女《さんぢよ》をめとるなり。
冨貴繁昌(ふうきはんじやう)するなり。
しかしながら、勇敢のちから歟(か)。
竒異雜談集卷第六終
[やぶちゃん注:本篇は後発の「伽婢子卷之十一 隱里」で翻案されているので、是非、読まれたい。
因みに、底本では奥書に以下のようにある。
*
孟春穀日
江都富野治右衛門 繡
京上茨木多左衛門 梓
*]
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