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2023/07/08

奇異雜談集巻第四 ㊂筥根山火金の地藏にて火車を見る事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]

 

   ㊂筥根山(はこねさん)火金(ひかね)の地藏にて火車(ひのくるま)を見る事

 ある人、かたりていはく、伊豆の国、筥根山の權現(こんけん[やぶちゃん注:ママ。])のかたはらに、「火金の地藏」と申《まふし》て、験佛(けんぶつ[やぶちゃん注:ママ。「霊験(れいげん)あらたかな御仏(みほとけ)」の意であるから、「げんぶつ」が正しい。])の堂あり。こんげん[やぶちゃん注:ママ。「權現」。]へさんけいの人は、かならず、此地藏へまいる[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]なり。

[やぶちゃん注:「筥根山の權現」現在の箱根神社(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)。

「火金の地藏」不詳。但し、非常に詳細な「第 4 回 神奈川県立図書館・公文書館共同展示 箱根再発見!」「元箱根石仏・石塔群-700 年の時を超えて、古道の奇岩に刻まれた地蔵の群れ-」と題する「解説パンフレット」PDF)の中に、そのモデルがあるのではないかと思う。特に「火焚き地蔵」というのがあり(精進池の東岸)、それらしい候補として私は挙げたい。

 するがのふちう[やぶちゃん注:「駿河の府中」。]に、やかた[やぶちゃん注:「屋形」。]衆、朝日名孫八郞(あさひなのまご《はちらう》)殿といふ人、あり、隣家(りんか)に地下人、左衞門といふもの、あり。

[やぶちゃん注:「ふちう」現在の静岡市。

「やかた衆」岩波文庫の高田氏の注に、『室町時代、守護大名に許された尊称が「屋形」。その大名に仕える者』とあった。]

 天文五、六年の比ほひ、伊豆の三嶋に、しよ用ありて、くだる。

[やぶちゃん注:「天文五、六年」この頃の府中は、ウィキの「今川義元」によれば、この五年、今川義輝が亡くなり、多少の混乱があったが、同母弟の義元が当主となり、六年の二月には、兄の時期まで抗争状態にあった甲斐国の守護武田信虎の娘(定恵院)を正室に迎え、武田氏と同盟を結んだが、結果的に旧来の盟友であった相模の、義元の当主継承にも助力をした『北条氏綱の怒りを買い、同年同月、北条軍は駿河国富士郡吉原に侵攻』、『家臣団の統制がとれなかった今川軍は、北条軍に対して適切な反撃が行えず』、『河東(現在の静岡県東部)を奪われてしまう。義元は武田の援軍と連帯して領土奪還を試みたが』、『遠江に基盤を置く反義元派の武将らが義元から離反したため、家臣の反乱と北条氏の侵攻との挟撃状態に陥り、河東は北条氏に占領されたまま』、『長期化の様相を見せた』とある。

「伊豆の三嶋」現在の静岡県三島市しかし、これ以上の注から考えると、北条によって侵攻と奪取が起こっている天文六年では、一介の町人如きが、安穏として所用で逗留出来る場所ではないと思われるので、この時制設定が正しいとなら、天文五年か天文六年年初でないとおかしい。

 四、五日、とうりうして、しよよう、いまだ、すまざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、先(まづ)、はこねのごんげんへ、さんけいす。

 そのついでに、「火金のぢざう」へまいる。

 佛前にかんきむ[やぶちゃん注:「看經(かんきん)。」]して、すこく[やぶちゃん注:「數刻」。]あるに、女生(にしやう)一人《ひとり》、まゐる。

 見れば、わがとなりの朝日名殿の女中なり。

[やぶちゃん注:「女中」高田氏の注に『ここでは、「奧方」の意』とある。]

 色、あをしろ[やぶちゃん注:ママ。]し。

 やせおとへて、すがた、みぐるしく、ふゆふれいのことし[やぶちゃん注:ママ。]

 大名なるゆへに、じうるい[やぶちゃん注:ママ。「從類」。]・下人、多かるへき[やぶちゃん注:ママ。]に、たゞ一人は、ふしむ[やぶちゃん注:ママ。「不審」。]なり。

 ことに、我(われ)、仏前にあるをも、しり給はす[やぶちゃん注:ママ。]、一目もみ給はさる[やぶちゃん注:ママ。]事、なを[やぶちゃん注:ママ。]もつてふしんなるに、地藏の錫杖(しやくぢやう)、じねんに[やぶちゃん注:「自然に」。]、ふる[やぶちゃん注:「振る」。]こゑ、たかくきこえて、佛《ほとけ》のきはには、人、なし。

 是もまた、不審なるに、すなはち、はれたる天《そら》、にはかに、かきくもり、黑雲(くろくも)、そらにみちて、しんどう[やぶちゃん注:「震動」。]・らいでん[やぶちゃん注:「雷電」。]し、ひかり、はなはだし。

 黑雲、地におちて、雲の中《うち》より、火車(くはしや)、いできたりて、かの女生のうしろに、いたれば、そらに、

「ひゝひゝ」

と、なるこゑ、きこゆ。

[やぶちゃん注:「火車」高田氏注に、『屍をとる妖怪だが、ここでは、その妖怪が驅使する「火の車」の意』とある。先行する話で既注済みだが、再掲しておくと、」雷が鳴るとともに葬礼を襲っては屍体を奪いさる妖怪として、怪奇談集ではかなりメジャーな怪異であるが、幾つかのかなり異なったパターンがあり、妖怪性の強いものから、因業者を迎えに来る地獄の牛頭・馬頭の引き来たるそれまで、話しとしては、私の怪奇談集でもお馴染みである。少しそうした「火車」の概説と、私の怪奇談の各個リンクを注で纏めてみた「狗張子卷之六 杉田彥左衞門天狗に殺さる」を参照されたい。

 なにものゝこゑともしらず、雲の中より、鬼神(きじん)、現(げん)じきたりて、女生を、つかんで、火車に、のせて、さる。

 地藏堂の前に、「むけん[やぶちゃん注:「無間」。]の谷」といふ谷あり。

 火車、ここに到ると思ふ時分に、おほきに、ひゞきて、

「どう」

と鳴(なる)と聞こえて、すなはち、雲、はれ、天(そら)、あきらかなり。

 かの左衞門、仏前にありて、おぢおそれ、きも・たま[やぶちゃん注:「肝・魂」。]をうしなふといへども、氣をしづめて、よく見るなり。

 地藏堂の別当に、問ふて、いはく、

「たゞいまの事、ふしぎのしだいなり。先例ある事に候や。」

と、いへば、別当のいはく、

「かくのごときの事、つねにあるゆへに、それがしは、をとろか[やぶちゃん注:ママ。]ず候。ああるひ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]は、雨のふる日、あるひは、日のくるゝ時、すがたは見えずして、ゆく、あしをと[やぶちゃん注:ママ。]、きこえ、あるひは、なきかなしみてゆくこゑ、きこえ、あるひは、馬(むま)にのりて行《ゆく》をと[やぶちゃん注:ママ。]、きこゆ。此《この》「むけんの谷」のみに、あらず。この山の奧に「地獄谷」と云《いひ》て、熱湯、わきかへり、硫黃(ゆわう[やぶちゃん注:ママ。])、いでゝかたまる所あまたあるを、「ぢごく」と申しつたへて候。」

といふなり。

 左衞門のいはく、

「別当も、さきの女生を御らんじ候や。」

といへば、

「中々、よく見候に、いきたる人には、あらず。魂魄幽靈なる事、一ぢやう[やぶちゃん注:「一定」。]に候。」

といへば、

 左衞門のいはく、

「さては。朝目名殿の女中、死去あるものなり。いたはしき事かな。別当、御覽じ候ほと[やぶちゃん注:ママ。]に、とぶらふてまいらせ[やぶちゃん注:ママ。]られ候へ。」

と、いふて、下向申すなり。

 又、三嶋のさとに行きて、四、五日ありて、所用、すんで、府中に、かへり行《ゆく》。

 私宅につけば、るすの内婦いはく、

「朝日名殿の女中、しきよありて、いま、中陰にて候。」

と申す。

 それについて、ふしぎの事、あるほどに、先《まづ》、殿へ行(ゆく)なり。

 中陰、とりみだしの處に、左衞門、かたりていはく、

「それがし、たゞ今、はこねより、げかう申候。『火金の地ぢざうだう』にて、これの上樣(うへ《さま》)を見申候。」

といへば、みな、おどろきて、御たづね候ほと[やぶちゃん注:ママ。]に、上《うへ》くだんのしだいを、つぶさにかたり申せば、皆〻、愁淚(しうるい)をながしたまへり。

 その中《なか》に、そのざうだんを、うたがふ人もあるゆへに、左衞門がいはく、

「地藏堂の別当も、ゆふれいの御すがたを、よく見られ候。その日を、かぞへ候へば、けふ、六日になり候。」

と申す處に、

「明日、初七日の作善(さぜん)の用意あるゆへに、日數(《ひ》かず)、あふたり。さては、一ぢやうなり。」

と、いへり。

 しかれば、別当へ、ししやを、やり、香典(こうでん)をつかはして、

「かの亡者を、御とふらひ、たのみ入《いり》候。」

よし、申さるゝなり。

 そのあたりのしよにんの申《まうす》は、

「朝日名殿の女中は、へいぜい、けんどむ[やぶちゃん注:ママ。「慳貪(けんどん)」。欲深く、慈悲心を持たないこと。]の人にて、後生(ごしやう)をしらず、一紙半錢(《いつ》しはんせん)をも、ほどこす事なき人也。ぢごくに落ちらるへき[やぶちゃん注:ママ。]こと、うたがひなし。」

といへりと云〻。

 

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