佐々木喜善「聽耳草紙」 一五七番 雁の田樂
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題の「寄せ太皷」は「よせだいこ」と読む。人寄せのための縁起太鼓である。]
一五七番 雁の田樂
或所に、爺樣があつた。爺が山畑へ行くと、雁(カリ)が下《お》りて、豆を食つてゐた。人がせつかく蒔いた豆を、愛(アエ)らしくもねえ雁だと思つて、石塊《いしくれ》を拾つてばえらやえと投げてやつた。するとそれが雁に當つて雁はころりと死んでしまつた。これはよいことをしたと思つて雁を下げて來て、婆樣々々この毛をむしつて串サさして燒いて置きもせと言いつけておいて、また畑へ行つた。
婆樣は、ほんだら爺樣が歸つて來たら一緖に食うベスと思つて、雁の羽をむしつて、串にさして、火(ヒ)ぼとであぶつた。するとひどくぱんぱん香(ガマ)りがして甘《うま》さうなので、雁の脚(アシコ)のところを少しむしつて食つてみたら其甘いことつたら無かつた。耐(コタ)えられないで、もうぺえツこぺえツこと思つて少しづつ食つて居るうちに遂々《たうとう》皆食つてしまつた。
食つてしまつてから婆樣はひどく困つた。何と言つて爺樣さ申し譯したらええか、あゝ言ふべか、斯《か》う言ふべかと、いろいろ工風《くふう》[やぶちゃん注:ママ。]してみたが、どうもよい思案が浮かばなかつた。仕方がないから流前[やぶちゃん注:台所の流しのこと。]から庖丁を持つて來て内股をひろげて、自分のペチヨコ[やぶちゃん注:女性器の方言。]をじたじたに切つた。ペチヨコはひどく痛がつて淚をぽろぽろと流した。そこで婆樣が、何して泣くてや、そんなに痛かつたら雁を食はねばええんだと言つて、鍵鍋から箆《へら》をとつて、ビタヅラ[やぶちゃん注:女性器の表面を指すか。]をぴたぴたと叩き叩き、それでもどうやらかうやら切り放した。そして毛をむしつて串にさして、雁のやうにして、火ほど[やぶちゃん注:「火床」(ほど)は囲炉裏の中央にある火を焚く窪んだ所を指す。なお、「ほと」自体が古語で女性器を指す語である。]であぶつて置いた。
爺樣は夕方山畑から歸つて來た。婆樣々々晝間の雁は燒けて居申《をりまう》すかと訊くと、婆樣はあゝよく燒けてますと答へた。夕飯時《ゆうめしどき》爺樣が婆樣々々、此雁の田樂ウ俺も食ふから婆樣も食へと言つたが、婆樣はおら厭《や》んだますと言つて食はなかつた。ほんだら俺ばかり食ふべと言つて爺樣は雁を食つた。そして、なんたらこの雁は小便臭かべ、小便臭かべ、ほでもなかなか甘い甘いと言つて食つた。
(村の雁治と云ふ家の婆樣から子供の時分聽いた話。
この家は今は無い。古い家であつたが、屋敷は田に
なつた。)
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