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2023/07/05

奇異雜談集巻第三 ㊄伊良虞のわたりにて獨女房舩にのりて鰐にとられし事 / 巻第三~了

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 「伊良虞(いらこ)」「いらご」(三河の現在の愛知県渥美半島先端にある伊良子岬(いらごみさき)。古くから伊勢参りの渡船が伊勢や鳥羽と結ばれていた)の読みの混在はママ。現行では「いらご」に統一されているようだが、清音の「いらこ」も読みとしてある。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵をトリミング補正して掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   ㊄伊良虞(いらこ)のわたりにて獨女房(ひとり《によ》ばう)舩(ふね)にのりて鰐(わに)にとられし事

 明應年中[やぶちゃん注:一四九二年から一五〇一年まで。]の事なるに、猿樂の太皷(たいこ)善珎(ぜんちん)と、笛(ふえ[やぶちゃん注:ママ。])彥四郞(ひこ《しらう》)と、兩人、駿河にくだるに、

「いらごの渡りをすべし。」

とて、伊勢の大みなとにゆきて、便舩(びんせん)をまつに、やかて[やぶちゃん注:ママ。]、客衆(きやくしゆ)、おほく、

「天氣、よし。」

とて、舟を出《いだ》す程に、兩人、のりぬ。

[やぶちゃん注:「伊勢の大みなと」三重県伊勢市にある港町大湊町(おおみなとちょう:グーグル・マップ・データ)。]

 善珍が中間《ちゆうげん》の妻(つま)は、こんぼん[やぶちゃん注:「根本」。副詞の「もともと」。]、するが[やぶちゃん注:「駿河」。]の者なるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、

「よきべんぎに[やぶちゃん注:「便宜に」。ちょうど良い折りだから。]、くだりて、親を、みまはん。」

とて、つれてゆく。

 おなじく、舩に乘りぬ。

 別(べち)に、女人、なし。

 舩頭のいはく、

「獨女房をば、舟に乘せぬ法(はう)にて候ぞ。おりられよ。」

といへば、夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])の中間、

「是は、こなたのつれにて候。」

といふ。

[やぶちゃん注:「獨女房」岩波文庫の高田氏の注に、『航海上の禁忌の一つ。乘組みの中に女人が一人しか居ない場合をいう。「女房」は「女人」の意で、娘、人妻、老女を問わない』とある。一般に海神は女性とされ、古く、漁師などは、女を乗せると、海神が嫉妬し、災いをもたらすとして、激しく嫌った。]

 舩頭の、いはく、

「たれにても御座(ござ)あれ、舟の法にて候ほどに申候。いづかたの浦の舟も、ひとり女ばうをば、乘せぬ法にて候。ことに此のわたりは、大事のわたりにて候ぞ。もとも[やぶちゃん注:最も。]、さる事ある程に申候。乘(のせ)られん事は、然るべからす[やぶちゃん注:ママ。]候。別(べち)の舩に、女房づれ、有るへし[やぶちゃん注:ママ。]。あとの舩に、のり給へ。」

といへば、夫、目をいからし、こゑを荒くして、

「何の別の舟といふ事あらんぞ。くるしからぬぞ。たゞ、のれ。」

といふ。

[やぶちゃん注:「ことに此のわたりは、大事のわたりにて候ぞ。もとも、さる事ある程に申候」伊良子水道は難所として古くから知られていた。]

 舩頭、

「ことをわけて申せども、『ただ、乘(のれ)。』とあるに付《つき》ては、ぜひにをよば[やぶちゃん注:ママ。]ず。もし、いかやうの事ありとも、舩頭のれうじ[やぶちゃん注:「聊爾」で「いい加減なこと・思慮がないこと」を言う。]にてあるましく[やぶちゃん注:ママ。]候。」

といふて、舟を漕ぎ出《いだ》したり。

 七里のわたりを、三里あまり行く時分に、よき天氣の空(そら)に、黑雲(くろくも)の一尺ばかりなるが、にわかにいでうかぶなり。

 舩頭、これをみて、

「あやしき雲かな。是は、ふしん[やぶちゃん注:「不審」。]なり。」

といふ。

 舩子(ふなこ)、かんどり[やぶちゃん注:「揖取」。「かぢとり」の音変化。]も、見て、あやしむなり。

 その雲、ときのまに、はびこり、天(そら)、くもりて、夕(ゆふべ)のごとくなり、風、あらくふき、波、さはぎたつて、すなはち、大波《おほんあみ》になりて、舩に、うち入《いる》なり。

 舩頭、おほきに驚きて、

「みなみな、荷物、うたれよ。」

といふて、舩頭の、わたくしに置きたる荷を、二、三荷、先(まづ)、取り出《いで》て、なげ入《いれ》たり。

[やぶちゃん注:「うたれよ」海に投げ捨てられよ。

「舩頭の、わたくしに置きたる荷」船頭が、私物、或いは、私的に運ぶために載せてあった荷物ということであろう。]

 客衆(きゃくしゆ)、これを見て、をのをの[やぶちゃん注:ママ。]、皮子(かはご)[やぶちゃん注:携帯用の行李(こうり)。]・櫃(ひつ)、大事の荷物、みな、ことことく[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」。]、なげいれぬ。

 舩頭のいはく、

「たれも、舍利を御所持ならば、いそぎ、海へ、入れられよ。龍神のほしがる物にて候。そのほか、ひさう[やぶちゃん注:ママ。「祕藏」。]の物、太刀(たち)・刀(かたな)なんど、みな、なげ入られよ。」

といふ。

[やぶちゃん注:「舍利」高田氏の注に、『ここでは「遺骨」の意』とある。]

 客衆、みな、投入(なげ《いれ》)たり。

 善珎は、太皷のいゑ[やぶちゃん注:ママ。岩波文庫本文では『家』(いへ)とある。高田氏注に、太鼓を入れる『箱』とされる。後で底本も「家」と出る。]を脇に置きたるを、舩頭、これを見て、

「それは、何ぞ。」

といふ。

「太皷なり。」

といふ。

「それこそ、龍神のほしがる物にて候へ。いそぎ、なげ入《いれ》られよ。」

といふ。

 客衆も、みな、いへば、善珎、太皷の家の緖《を》をときて、取り出《いだ》せば、光り輝き、さいしよくゑ[やぶちゃん注:「彩色繪」。]ゑかきたるを、なけいるれは[やぶちゃん注:総てママ。]、波にうたれて、すこし、太皷のこゑ、あるを、聞(きゝ)て、感(かん)にたえ[やぶちゃん注:ママ。]、なみだをなかし[やぶちゃん注:ママ。]、しうしん[やぶちゃん注:「執心」。]してながめやるてい[やぶちゃん注:「體」。]を、みな人、みて、あはれを、もよほせり。

 撥(ばち)をば、のこして、こしにさしたり。

 舩頭、見て、

「そのばちをば、何とて、のこさるゝぞ。」

といへば、

「是は、さしたる物にあらざれども、わが手にあふたるばちにて、いのちとともに、おもふなり。」

といへば、

「さやうに祕藏の物を、龍神、さはり[やぶちゃん注:「障り」。]をなす事にて候。いそぎ、なげいれられよ。」

といヘば、ちから、をよば[やぶちゃん注:ママ。]ず、なくなく、なげ入《いれ》たり。

「それがしは、生きても、曲(きよく)なし。」

と、いふて、なげく躰《てい》、哀れなり。

[やぶちゃん注:「曲なし」「何の面白みもなくなった」の意だが、太鼓打ちであるから、演奏する「曲」に掛けてあるのであろう。]

 彥四郞は、笛を、ふところにさして、知らぬ顏にてゐたり。

 客衆より、

「何とて、笛をば、なげ入られぬぞ。」

といへは[やぶちゃん注:ママ。]

「是ほと[やぶちゃん注:ママ。]の物は、ものゝかすにあらす[やぶちゃん注:総てママ。]。」

といふて、をしかくしてをけ[やぶちゃん注:総てママ。]ば、みな、いはく、

「貴所(きしよ)は、笛のめいじんなり。笛を、おしま[やぶちゃん注:ママ。]れば、龍神のとがめ、あるへし[やぶちゃん注:ママ。]。」

といへば、

「ちから、をよばず[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、ふところより、ぬきいだして、なけ[やぶちゃん注:ママ。]いれたり。

 波、なを[やぶちゃん注:ママ。]、たかく、うち入《いる》ほどに、舩のあかを、かゆる事、たゞ、手も、をかず[やぶちゃん注:ママ。]、客衆、みな、かへいだすなり。

[やぶちゃん注:「あか」「閼伽」。仏教で供える水を言う。高田氏の注では、『「淦(あか)」は船底にたまった水。水というのを忌んでいう』とされる。]

 舩は、

「くるりくるり」

とめぐりて、こげども、行かず、かへらんとして、あやうきゆへに、舩頭、櫓を、をさめて、かけがへ[やぶちゃん注:予備の「掛け替え用」の櫓(ろ)の意。]の、櫓、二、三丁、取り出だし、左右のわいかぢ[やぶちゃん注:「脇揖(わきかぢ)」のイ音便。]にかけて、舩子ども、ならびゐたり。僧は經を、よみ、俗は念仏を、となふ。

[やぶちゃん注:「かけがへの、櫓、二、三丁、取り出だし、左右のわいかぢにかけて、舩子ども、ならびゐたり」前後に動くことが出来ないので、ローリングによる転覆を予防するために行った仕儀であろう。]

 舩頭の、いはく、

「これほどに大事の荷物をうち、經・念佛の声、たつときに、浪風(なみかぜ)、すこしも、しづまらず、なを[やぶちゃん注:ママ。]、あしく、たつやうは、しかしながら、『ひとり女房』の祟りと、おぼえ候。」

といへば、客衆、同音に、

「もつとも。それ、候よ。」

といふ。

「女人ひとりゆへに、三十五、六人、みな、死すべき不運の次㐧(しだい)なり。」

といへば、女、きゝかねて、

「我ゆへに、かやうにある事ならば、我一人、海へ、とび入りて、みなを、たすけ申さん。」

といへば、夫のいはく、

「うつけたる事を、いひそ。何の、我ゆへにて、有るへき[やぶちゃん注:ママ。]ぞ。わが[やぶちゃん注:お前が。]、とひ入《いり》たりとも、此のなみ風が、しつまる[やぶちゃん注:ママ。]べきか。」

といヘば、客衆、みな、いはく、

「さいわひ[やぶちゃん注:ママ。]、主(ぬし)がおもひ寄る事を[やぶちゃん注:本人自身が思い詰めて言い出したことを。]。中間は、いはれざる申され事かな。」

といふほどに、此時、善珎、中間にたいして、いはく、

「をのれ[やぶちゃん注:ママ。]が申す事、くわんたい[やぶちゃん注:「緩怠」。過失・手落ち。或いは、無礼・無作法。]なり。そう[やぶちゃん注:「左右」。]の衆議(しゆぎ)に、まかせよ。」

といふ間に、舟より三、四間[やぶちゃん注:五・四五~七・二七メートル。]さきに、黑き入道(にうだう)のかしら、一つ、うかみ出《いで》たり。

 波の間に、見えつ、隱れつする也。

 そのかたち、つねの人の頭(かしら)、五つ、六つ、あはせたるおほきさにて、目は天目(てんもく)[やぶちゃん注:天目茶碗。口径は十二、三センチメートルが普通。]の口ほどに光りて、くちばし、ながく、馬のごとくにて、口の大きさ、二尺ばかりなり。

 舩頭、これを見て、いはく、

「是は、大事なり。みな人、靜まりて、物な、いはれそ。經・念仏をも、さゝやき給へ。是は、例(れい)の物なり。一大事なり。」

といふ。

 みな、いろをへんず。

 

Nyuudouesni

 

 女の云《いはく》、

「とても、死ぬべきに。とび入《いる》へし[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、かみを、結(ゆひ)なをし[やぶちゃん注:ママ。]、たすきを、かけ、おびを、しめなほし、脚布(きやくふ)[やぶちゃん注:腰巻。]を、つよくして、念仏を、となふ所を、夫、ひきとむるを、みな、よりて、夫の手を、とりすくむれば[やぶちゃん注:押さえつければ。]、女人、ふなばたにとびあがり、念仏のこゑとともに、とび入《いり》たり。

 客衆、一同に、こゑをあげて、感(かん)ず。

 かの黑入道、すなはち、女をくはへて、さしあげて、みせたり。

 夫、見て、

「くちおしき[やぶちゃん注:ママ。]事かな。」

とて、飛び入らむとする處を、みな、よりて、とりとめたり。

 やゝ有《あり》て、風、すこし、やはらぎ、浪(なみ)、ほゞ、しづまるゆへに、舟をこぎゆき、やうやう、汀(みぎは)につきて、舩より、あがれば、荷物、なくして、みな、めいわくす。

「さても、さきの黑入道は、なに物ぞ。」

と問へば、舩頭のいはく、

「『入道鰐(《にふだう》わに)』といふて、此邊(《この》へん)の海に有《あり》て、人を、とる事、しげし。今日、此わたりへきたりて、かくのごとくに候。しかしながら、『ひとり女房』を取らんとて、きたり候。」

 客衆の、いはく、

「さきの女房、勇(けなけ[やぶちゃん注:ママ。])なる事、たぐひ、なし。黑入道をみて、おぢおそれず、海にとび入《いれ》は[やぶちゃん注:ママ。]、みな人を、たすけんがための、心ざしは、ちうせつ[やぶちゃん注:「忠節」。]なり。いたはしき心中(しんぢう)なり。僧衆《そうしゆ》、みな、ながく、とぶらふべし。」

といへば、僧衆、みな、

「ちかごろ、もつともなり。」

といふ。

「さりながら、はじめは、龍神のとがめかと思ふて、大事の荷物をなげ入るれども、波風、すこしも、しづまらずして、女、一人、とび入《いり》たれば、波風、しづまるは、しつかい[やぶちゃん注:「悉皆」。まことに。]、『ひとり女房』をのせたるゆへなり。舩頭の、ことを、わけていふを、きかず、のせたるは、中間のわざ、くせ事なり。諸人(しよにん)の、しつかい、めいわくなり。中間を、生害(しやうがい)させられよ。」

といへば、善珎、いはく、

「久しくめしつかふたる、ふだい[やぶちゃん注:「譜代」。]の中間也といへども、われらも、ひさう[やぶちゃん注:ママ。]の物どもをうしなふて、くちおしく[やぶちゃん注:ママ。]候。みな、御心中をさつし申すなり。生害さすへし[やぶちゃん注:ママ。]。」

といへば、僧衆、みな、いはく、

「生害させられても、海に入《いり》たる物は、かへるへから[やぶちゃん注:ママ。]ず。夫妻(ふさい)の間《あひだ》、みすてがたくて、舩にのせたるも、ことはり[やぶちゃん注:ママ。]なり。みなみな、舟に乘のり合《あはせ》たるが、時(とき)のふうんなり。みな、よくよく、御かんにん[やぶちゃん注:「堪忍」。]あれ」と、くり返し申さるゝゆへに、皆々、堪忍申《まうす》也。

「善珎も御かんにん、かんよう[やぶちゃん注:「肝要」。]なり。」と、みな、いへば、善珎も、

「しからば、同心(どうしん)申《まふし》候。」

といひて、無事になるなり。

 彥四郞は、ちと、とりのきて、岩(いは)の上に、笛をふけば、善珎、みて、おどろきて、ちかくよりて、いはく、

「いかに、笛を、ふくぞ。」

といへば、

「我(わが)ひさう[やぶちゃん注:ママ。「祕藏」。]笛也。何事《いか》に、捨つべきぞ。笛をば、ふところにとゞめて、さや[やぶちゃん注:「鞘」。]ばかり、海へ、入《いれ》たるぞ。」

といへば、善珎、はらを、たて、ほむらをにやして、云ふ。

「太皷は、おし[やぶちゃん注:ママ。]からず。ひさうの撥(ばち)を、うしなひたり。」

といひて、うらみなげく事、かぎりなかりしなり。

[やぶちゃん注:「ほむらをにやして」岩波文庫本文は『焰(ほむら)をにやして』とあり、高田氏の注に『頭から湯気をたてて』とされる。]

 

竒異雜談集巻第三終

[やぶちゃん注:岩波文庫の底本は国立国会図書館本(公開はされていない)であるが、本篇の「鰐」に相当する箇所は総て脱落している旨の注記がある。漢字表記を期した意識的脱字と思われるが、同文庫では、そこを意から『鮫』と当てて、ルビは『わに』である。本邦の古文献や怪奇談に登場する本邦での「わに」「鰐」は、まず、概ね、サメをモデル候補として比定して問題はないだろう。ただ、かなり早い時期に、真正のワニ類の存在自体は本邦に伝わってはいたようであり、古伝説に出る「和邇」には、その聞書の影響を受けた粉飾があるものが多い。しかし、ここで登場する「入道鰐」は、サメの類をモデルとしているとは、凡そ、見えない。そもそも本文では、「つねの人の頭(かしら)、五つ、六つ、あはせたるおほきさにて、目は天目(てんもく)の口ほどに光りて、くちばし、ながく、馬のごとくにて、口の大きさ、二尺ばかりなり」であって、挿絵で判る通り、海坊主の黒化型のおぞましい妖怪であって、モデルとなる海棲動物を当て嵌めるのは、それと名指しされたサメや海獣類が可哀そうであるほどに荒唐無稽のクロモノ、基! シロモノである。ウィキの「和邇」もあって、長々と語っているが、博物学的には、正直、退屈な内容である。まんず、私の「南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(23:鮫)」の方が、面白からろうとは思う。なお、そこでも再掲したが、江戸中期の大坂の医師寺島良安によって書かれた百科事典「和漢三才圖會」では、モロに真正ワニの姿が、ちゃんと挿絵に描かれてあるのである。]

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