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2023/07/11

奇異雜談集巻第五 ㊃姉の魂魄妹の躰をかり夫に契りし事 / 巻第五~了

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 因みに、本篇は、冒頭から、漢籍を正面から取り上げて、和訳をすることを正直に掲げており、その都合上、冒頭以外にも、途中のシークエンスでは、本文中に作者自身が、本邦の読者には馴染みのない中国の語句や民俗風俗について、解説を挿入するという、画期的な方法が採られている。識者や、後発の翻案物を既に読んでおられる方には、釈迦に説法であろうが、私は、今回、電子化するに際して、これは非常に優れた手法であると感じた。恐らく、私が注を附さないではいられない人間であり、如何なる電子化でも、「やぶちゃん注」が、五月蠅く出てくるのを、苦々しく思っておられる御仁には、本篇は私の注と同等に「んなもの、いらねえな。」と呟かれるであろう。では、本篇は読まぬがよかろうと存ずる。作者のやっていることは、私の神経症的な注挿入と全く以って同一であり、本来の話の展開に、しょっちゅう、ブレイクを入れているのと同じだからである。原作の原書の原文そのものを読まれるに若くはない。「中國哲學書電子化計劃」のこちらから、影印本で視認出来るから、これが一番良い(但し、右にある電子化されたものはダメである。機械判読で、とんでもない字起こしになっているから)。「中国語では読めない。」と言う方、ご安心あれ! これ、実は、逆輸入(後の本文の私の注を参照)版で、日本語の訓点附きなのだ!

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵(本篇では二幅ある)をトリミング補正して、適切と思われる箇所に掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   ㊃姉(あね)の魂魄(こんはく[やぶちゃん注:ママ。というか、この時代には半濁音を示す「◦」の記号は未だ存在していないはずなのである。])妹の躰(たい)をかり夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])に契(ちき[やぶちゃん注:ママ。])りし事

 新渡(しんど)に「剪灯新話(せんとうしんわ)」といふ書(しよ)あり。奇異なる物語を集めたる書なり。今、二、三ケ条を取《とり》て、こゝにのする也。「剪灯」とは、『蠟燭の心(しん)をきる』なり。『夜《よ》ふくるまで語る』といふ、こころなり。「新話」とは舊「剪灯夜話(せんとうのやわ)」といふ書、あり。事(こと)ふりたるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、『あたらしき事とも[やぶちゃん注:ママ。]をかたる』ゆヘに、「新話」といふなり。今、唐(から)の言葉を、やはらげ、日本(にほん)のことばになして、記(き)するなり。

[やぶちゃん注:「新渡」「新たに渡来した物」の意。

「剪灯新話」小学館「日本大百科全書」を主文として引き、一部に補塡をした。明初の文語体怪異小説集。撰は瞿佑(くゆう 一三四一年~一四二七年:下級官吏で文人。銭塘(せんとう:浙江省)の人で、若年から詩人として知られていたが、その一生は不遇で、仁和県・臨安府(浙江省)・宜陽県(河南省)辺りの訓導や周王府の右長史という低い官職に就いただけで、筆禍によって保安(陝西省)に流され、十年の年月を過ごしている。多くの著書は、その殆んどが散逸してしまい、現在伝わるものは、この「剪灯新話」・「帰田詩話」・「詠物詩」のみである)で、四巻二十編と付録一編から成る。もとは「剪燈録」と称して全四十巻もあったが、作者が筆禍によって流謫(るたく)されていた間に、散逸してしまい、後に、ある地方官吏がその残篇を入手し、自ら流謫地に行って、作者の校閲を受けた。作者がそれらに一篇を付録したのが、現在、見られるものである。自序によると、「剪燈録」は、古今の怪異を編集して、勧善懲悪のほか、不遇な者への同情を込め、同時に自分の失意を慰めるための余技であったことが知られる。二十一篇の物語は、それぞれに特色のある怪異譚で、唐の伝奇小説の系統を引き継いでおり、怪異と艶情の交錯する世界を妖麗な筆致で展開している。篇中には詩が多く使用され、また、詩を創る話や、詩人に係わる話が多く、文体にも四六駢儷体の美文が使われているのは、作者が詩人であったことと大きな関係があり、小説に典雅な趣きを添えている。出版後は非常な流行を見せ、同類の作品が、数多く、出現し、色情的な作品として当局に禁止されて散佚したが、後に、清代の末に本邦から逆輸入された。本書は室町時代の末に渡来したらしく、本「奇異雑談集」の以下の三篇の翻訳が、現在、知られている本邦初の和訳とされ、中でも、同書の「牡丹燈記」は、浅井了意の「伽婢子」(リンク先で全篇正規表現で昨年電子化注を終えている)の「卷之三 牡丹燈籠」を代表として、幾つもの改作を経て、近代の三遊亭円朝の名作「牡丹灯籠」を生んでいる。私は、漢籍原文及び注釈本・訳本・考証論文を十冊以上、所持している程度には、高校時代からの「剪灯新話」フリークである。]

  「金鳳釵記(きんほうしやのき)」 「釵」は
  「かんざし」也。髮にさす物なるゆへに、
  「かんざし」といふぞ。唐には、男女・諸
  人(しよにん)、みな、髮をながうして、髮
  をたばねて、かみの根に四、五寸なる釵
  (かんざし)を、よこにさして、髮を釵に
  かけて、くるくると、まげて、をし[やぶちゃん注:ママ。]
  かうで、をく[やぶちゃん注:総てママ。]なり。日本
  に、いやしき女の筋曲(すしまげ[やぶちゃん注:ママ。]
  といふごとくなり。釵は金銀・銅・鉄・錫・
  鉛・骨・角(つの)・竹(たけ)・木(き)
  等(とう)をもつて、つくるなり。釵の端
  (はし)に、花鳥のたぐひを作りて、かざ
  りにするなり。「金鳳」とは、「金」をもつ
  て「鳳凰(ほうわう)」をつくるなり。日
  本に「かんざし」といふは、「天冠」なり。
  「楊貴妃」の能(のう)にみえたり。是は
  文字、別にあるか。「記」とは、「金鳳釵の
  物語を記(き)する」也。

[やぶちゃん注:「釵」を「しや」と読んでいるのはママで、以下の本文でも同じである。しかし、「釵」には「シヤ」の音はなく、「サイ」或いは「サ」で(現代中国語の音写は「チァィ」)、一般的に本篇「金鳳釵記」は「きんぽうさのき」「きんぽうさいのき」と読まれる。

「をしかうで」岩波文庫原文では、本文は、『押し込(こ)うで』(「こ」はルビ)とあるので、「押し込んで」の意である。

「筋曲」高田氏の注に、『髪を後頭部に巻き上げて、箸』(はし)『で止めた頭髪のことか』とある。

「鳳凰」中国古代に想像された瑞鳥。博物誌は私の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鳳凰(ほうわう) (架空の神霊鳥)」を見られたい。

「天冠」歴史的仮名遣「てんくわん」。同前で、『能楽の装具。女神、天女、宮女などに用いる金色で透彫』(すかしぼ)『りのある輪状の冠。簪』(シン/かんざし)『があり、左右に瓔珞』(ようらく)『を垂』らす、とある。

『「楊貴妃」の能』世阿弥の娘婿金春禅竹(応永一二(一四〇五)年~文明二(一四七〇)年?)作。白居易の「長恨歌」を題材に作られた謡曲。三番目・鬘(かずら)物。五流、現行曲。小学館「日本大百科全書」から引く。『唐の玄宗』『皇帝は、死んだ楊貴妃を忘れかね、超能力者である方士』『(ワキ)に命じて』、『彼女の魂魄』『のありかを尋ねさせる。常世国蓬莱宮(とこよのくにほうらいきゅう)に至った方士は、仙界に生まれ変わった楊貴妃(シテ)に会い、玄宗の伝言を伝える。対面の証拠として、楊貴妃は七夕(たなばた)の夜の「比翼連理(ひよくれんり)」の愛の誓いを方士に明かし、いにしえの霓裳羽衣(げいしょううい)の曲に、思い出を込めて美しく舞う。方士の去ったあとに、楊貴妃はひとり泣き沈んで終わる。東洋史上最大の恋物語の艶麗』『さを、現世とあの世という憂愁のベールを通して描く、独自の幽玄能。異次元の存在が』、『この世にやってくる能は多いが、ワキが異次元の世界に入ってゆく能は』、『これ』、『一番である』とある。]

 元朝の大德年中[やぶちゃん注:一二九七年~一三〇七年。]の事なるに、楊州に吳防禦(こはうぎよ[やぶちゃん注:総てママ。])と云ふものあり。ほうこう人[やぶちゃん注:「奉公人」。]にあらす[やぶちゃん注:ママ。]、国人(くにたみ)にて冨人(ふくじん)なり。

[やぶちゃん注:「揚州」高田氏の注に、『中国江蘇省揚子江岸の都市』で、後の『明代、商業都市として繁栄した』とある。現在の揚州市(グーグル・マップ・データ)。

「国人」同前で、『土着して主君を持たぬ者』とある。]

 そのきんじよに、崔郞君(さいらうくん)といふ人あり。是は、官人(くはん[やぶちゃん注:ママ。]《じん》)にて、給分(きうぶん)をとつて、堪忍(かんにん)する人なり。防禦と、知音(ちいん)にて、つねに、同遊す。

[やぶちゃん注:「堪忍」同前で『かろうじて生活してゆける程度の収入をいう』とある。]

 防禦は、女子《によし》、二人、あり。ともに、ようせう[やぶちゃん注:ママ。「幼生(やうせい)」。]にして、四さい、二さいなり。

 崔君(さいくん)に、男子(なんし)、一人、あり。五歲なり。

 遊會(ゆうくわい)のついでに、崔君のいはく、

 「我が子、所緣の儀、よそを、たづぬる事、むようなり。さいはひ[やぶちゃん注:ママ。]、防禦に女子あり。契約せん、と思ふは、いかん。」

と、いへり。

[やぶちゃん注:「契約」婚約の取り決め。この場合、指示がないからには、姉が相手である。]

 防禦、すなはち、領承す。

 崔君、よろこんで、わが内婦(ないふ)に此のをもむき[やぶちゃん注:ママ。]を、かたれば、内婦、よろこんで、

「契約のために、手(て)じるしを、やるべし。」

とて、金鳳釵を、紙につゝみて、出《いだ》せり。

[やぶちゃん注:「手じるし」「手印」。簡単にして明確なる証拠となるもの。]

 崔君、これをもつて、防禦に、やりて、

「契約の、しるしなり。」

といふ。

 防禦、よろこび、とりて、わが内婦に、わたす。内婦、喜び、うけとりて、をく[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]なり。

 そののち、崔君、都より召されて、のぼり、遠国の知府になさるべき由あるゆへに、一家中、上洛す。

 およそ知府は、みな、三年持(もち)なり。もし、そのこころあしければ、三年におよばず、在所より、いとひ出す。そのこころえ、よきをば、五年、十年も、よくりう[やぶちゃん注:「抑留」。]するなり。

[やぶちゃん注:「知府」高田氏注に『宋代から清代にかけての府の長官名』とある。当該ウィキによれば、唐代に既にあったものの正式な官職名ではなく、就任者も少なかった。『宋代以前は知府事と称し、知府と称するようになったのは明代以降の事である。古い言い方を好む士大夫層は知府を太守と呼んだ』とある。本邦でも、伝奇・志怪小説の和訳には、現代でも、この「太守」が好んで使われているように感ずる。]

 崔君、何年あるべきを知らず、一族・親類の、るす[やぶちゃん注:「留守」。]に、をくべきものも、なきゆへに、家を賣りて、行く。

 唐(から)には、家際(いへぎは)より、舟(ふね)にて行くゆへに、ざうさ[やぶちゃん注:「造作」。]もなきなり。

 都より遠國の知府になりて、故鄕、はるかにへだたるゆへに、音信、通ぜざるなり。

 防禦の女子、やうやう、せいじんす。

 姉(あね)をは[やぶちゃん注:ママ。]、興娘(こうぢやう)といひ、妹(いもと)をば、慶娘といふ。七、八年このかた、方々より、所緣の儀を、いふといへども、崔君に、すでにけんやく[やぶちゃん注:「兼約」。兼ねてよりの婚約契約。]あるゆへに、他緣の儀、ぜひに及ばざるなり。姉の進退さだまらぬ間《あひだ》は、妹の緣の儀、是また、ぜひに及ばざる也。

 興娘、とし、十八になるまで、をとづれ[やぶちゃん注:ママ。]なし。

 母の心に、これのみ、あむずる[やぶちゃん注:ママ。「案ずる」。]ゆへに、防禦に、いひていはく、「崔君、一たびさつつて、十五年、一書をつぜず。興娘、とし、すでに過ぎたり。けんやくに、まかすべしや、いなや。」

といへば、防禦のいはく、

「我、一たび承諾す。あに、ことばを、むなしくせんや。いはんや、手じるし、をや。」

といふ。

 母、たゞ、あんずるのみなり。

 世人(《よの》ひと)、みな、いはく、

「興娘、美容にして、とみ、さかへたり。おしい[やぶちゃん注:ママ。]かな、薄命にして、幸(さち)なきこと。」

と、いへり。

 これを、ほゞ、興娘、聞きて、氣をやむ。それ、血氣(けつき)も、また、時、いたれり。あに、男をおもふの心、なからんや。かたがた、氣、つもりて、やまひを得たり。

 祈禱・療治、不足なし。冨家(ふか)なるゆへに、事をつくすといへども、氣の病は、いへ[やぶちゃん注:ママ。]がたく、氣に順ずる事なければ、いへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]ざる也。

 

Kinhousaki1

 

[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。興娘の臨終間近のワン・シーンととった。枕辺に父防禦、右手端が防禦の妻、その手前側にいるのが、妹の慶娘であろう。]

 

 年を、こえて、十九にして、正月のはじめの頃、死去す。

 父、母、妹(いもと)、一家中(《いつ》けちう)、なきなげくこと、かぎりなし。

 唐(から)には、死(しゝ)たる者、髮をそり、黑衣(こくゑ[やぶちゃん注:ママ。])をきる事、かつてなし。たゞ平生(へいぜい)のごとく、鬢髮(びんばつ)を、とゝのへ、良きいしやうを着(ちやく)し、くつ・したうづまて[やぶちゃん注:ママ。「まで」。]、つねのごとくにして、柩(ひつぎ)にいるゝなり。柩は、棺(くわん)よりも、ながく、身(み)の臥長(ふしだけ)につくりて、内をくろうるし[やぶちゃん注:「黑漆」。]に塗り、ふたをも、おなしくぬり、外をも、くろうるしにぬりて、すみに、みな、きせ物をして、葢(ふた)を、あはするも、漆付け・釘付けにして、すみに、きせ物をするなり。

[やぶちゃん注:「したうず」岩波文庫版原文は『下沓』で、『したうず』とルビし(同書のルビは現代仮名遣)、注で『沓(くつ)の下にはく布製の袋。くつした』とする。

「きせ物」岩波文庫版原文は『被物』で『きせもの』とルビし、注で『漆で塗り固めるかぶせ物』とする。]

 興娘のしがい、すてに柩に入るるに、母、かの金鳳釵をもつて、興娘に對していはく、「是、汝が夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])の家の物也。殘し置きて、用、なし。髮に、さして、やるぞ。」

といふて、なきかなしむ事、きはまりなし。

 ついに[やぶちゃん注:ママ。]柩のふたを、あはせて、をき[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。「置き」。「安置し」。]て、中陰を、するなり。

 中陰の間《あひだ》、をくを、「殯(ひん)する」といふぞ。

[やぶちゃん注:「殯」本邦の「もがり」である。高貴な人物は生命力が絶大であり、蘇生する可能性が高いと考え、遺体は直ぐには葬送・埋葬をせず、柩に納めたまま、特別な場所に安置して、「よみがえり」を待つ作法を指す。]

 中陰、はてて、㙒堂(やだう)におくる。

 方々の柩を納めをく古堂(ふるだう)、㙒邊(やへん)にあるなり。

 中陰すぎてのち、かの崔郞君の子、來たれり。

 吳防禦の家を、たづねてきたれり。

 防ー[やぶちゃん注:ママ。「禦」の略記号。]、出《いで》て、あひぬ。

 崔君の子、先(まづ)、聟舅(むこ・しうと)の礼をなして、いはく、

「それがしが父崔郞(さいらう)、宣德府(せんとくふ)の知府に任ず。事を知るに、ひま、なく、遠路、たよりなきゆへに、十五年、ぶいむを、いたす。たゞ、故鄕、此方《このかた》の事のみ、朝暮(ちやうぼ)の言《こと》とす。さんぬる秋、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]死去す。老母は、數年(すねん)さきに、死去す。素生(そせい)の地にあらず。親族のたよりなきゆへに、千里を遠しとせず、防禦のめぐみを、あふいで、きたる。いま、とし、二十(はたち)、名は崔哥(さいか)なり。願はくは、慈悲を、たれ給へ。」

といふ。

[やぶちゃん注:この内、「ぶいむ」の「い」、及び、「言とす」の「す」は、底本では(ここ)、近代の補修用か(対象位置の右丁には虫食いの跡がある)、白い紙が張り付けられていたものが、剥がれた上に、字の上に粘着してしまい、判読不能である。底本の通性が甚だ強い、国立国会図書館デジタルコレクションの「近世怪異小説」(吉田幸一 編・一九五五年古典文庫刊・新字正仮名)の当該部で、以上の二箇所を確定した。ただ、「言」の読みはどちらにもないため、「こと」というそれは、私の推定訓読である。「ぶいむ」は岩波文庫は『無音』とあって『ぶいん』のルビが当てられてある。「無沙汰」と同義で、久しく便りがないことを言う。而して、直後の防禦の台詞には「ぶいん」と表記されてあり、「近世怪異小説」でも同じである。

「宣德府」原作も同じ。現在の河北省張家口(ちょうかこう)市宣化県(グーグル・マップ・データ)の古称。

「素生の地にあらず」「素生」ここでは、もともとの出生(しゅっしょう)の地で、異邦に身を仕方なく葬ったことを示唆している。中国の民俗社会では、故郷に埋葬することは絶対的に大事なことで、異郷の地に葬られた者は、永久に浮かばれず、生地に改葬することが必要とされるのである。]

 防禦、諾(だく)して、内に、よびて、いはく、

「我むすめの興娘、ようせうの兼約あり。十五年の間、他(た)の緣を、禁じきたる。崔家のぶいんを、思ふ。氣、つもりて、やまひをえて、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]死す。たゝ[やぶちゃん注:ママ。「ただただ哀れなことに」の意。]、さいはゐ[やぶちゃん注:ママ。]、なし。」

と云《いひ》て、なみた[やぶちゃん注:ママ。]を流すなり。

 崔哥、聞きて、おどろき、いろを變じて歎息す。

 防禦、たつて、崔哥を引きて、佛前にいりて、位牌をみせしむ。

 崔哥、はなをそなへ、香をたき、なみた[やぶちゃん注:ママ。]を流して、去る。

 防禦のいはく、

「汝が亡父崔君は、我がちいんの故人[やぶちゃん注:親友。]なり。故人の子、すなはち、我が子なり。『興娘、なし。』といひて、外人[やぶちゃん注:無縁な他人。]の心をなす事、なかれ。養育の心を、安くせよ。門のかたはらに、小家(こ《いへ》)あり。臥起(ねをき)のすみかと、せよ。」

というて、すなはち、小家の戶をひらき、座を掃きて、をくる[やぶちゃん注:ママ。「贈る」。]

 しかうして、數日(すじつ)のち、三月三日、淸明(せいめい)の節(せつ)にいたるときんば、世人《せじん》の風俗として、塚にのぼりて、先祖一族の靈(りやう)をまつる也。

[やぶちゃん注:「淸明の節」中国の先祖祭。旧暦三月の、春分から 十五日目に当たる節日に、家中こぞって、先祖の墓参りに出かけ、鶏・豚肉・揚げ豆腐・米飯・酒・茶・香燭・紙銭などを供える。これは、古代の三月三日の上巳節に、その起源がある。『人民中国』日本語版の公式サイト内の丘桓興氏の「祭りの歳時記     ④」によれば、『もともと、清明節は春の遊びの日であっ』て、『この日は、朝廷の百官から百姓平民まで、とりわけ若い男女はみな』、『祭りの盛装に身を包み、食べ物を持って郊外に春の遊びに出かける。宮廷人や富貴の人たちは』、『さらに野原に天幕を張る。彼らは』、『まず』、『川に入って身を清めてから』、『岸に上がり、心ゆくまで遊び戯れる。はなはだしい場合は、ここで密会し、野合することさえある』。『これが上巳節の「清め」であり、生命の源である水の中で』、『一年の穢れと不祥を洗い清め、あわせて後継ぎの子を得て、一族の人数が増え、発展することを祈』ったのであった、とある。伝奇・志怪小説では、この日に冥界の相手が出現し、怪異が始まることが、しばしばある。]

 是、日本の「墓まいり[やぶちゃん注:ママ。]」なり。

 防禦夫妻、慶娘、じう類[やぶちゃん注:「從類」。親族・家の使用人ら。]、みな、塚にのぼり、ならびに、興娘が柩を、まつるなり。

 崔哥を、よびて、主殿(しゆでん)を、るす[やぶちゃん注:「留守」。]せさしむ。

[やぶちゃん注:「主殿」防禦の屋敷の本邸。]

 日暮れて、みな、歸る。

 崔哥、門に出《いで》、左のわきに立ちて、かへるをむかへて、礼、あり。

 防禦は、徒步(かち)にて、礼して、すぎぬ。

 母と慶娘と、轎(たごし)、二ちやうあり。

[やぶちゃん注:「轎」音「けう(きょう)」。中国・朝鮮で用いられた、乗る部分の左右両外側部に「担(にな)い棒」をとりつけた一種の輿(こし)である。グーグル画像検索「轎」をリンクさせておく。読みの「たごし」は同種のそれで、本邦の謂い。「手輿・腰輿」。前後二人で轅(ながえ)を手で腰の辺りに持ち添えて運ぶ乗り物。「てごし」とも言う。]

 さきに、母の轎、すぎて、次に、轎、すぐる時、物あつて、かねの響きにして、地に落つ[やぶちゃん注:「かね」は「金」で、何か金属のようなものが、落ちたような音がしたのである。]。

 崔哥、行(ゆき)て、ひろひとり、かすかに見れば、金鳳釵なり。

「いづれの人のおとせるにや。後(のち)に、ぬしを、たづねて、やらん。」

とて、先《まづ》、ふところに、をきぬ[やぶちゃん注:ママ。]

 人、ゆきつくし、事、おはり[やぶちゃん注:ママ。]て、中門、すてに[やぶちゃん注:ママ。]、とざせば、内に行くこと、あたはざるゆへに、我家にかへりて、ともしびを、あかして、ひとり、座して、身上(しんしやう)をおもふに、

「聟の緣(ゑん[やぶちゃん注:ママ。])、はておはんぬ。此家に止宿する事も、ながきはかりごとに、あらず。落居(らつきよ)、いかん。」[やぶちゃん注:「落居」本来は「落着く所」の意であるが、転じて、「向後の自身の身の成り行き」の意。]

と歎息し、且つ、ねぶれる間《あひだ》に、我家の門(かど)を、たたくこゑ、あり。

「たぞ。」

と、とへば、こゑ、せずして、又、たゝくゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、たつて、戶をひけば、闇の中に、人影、あり。

 戸の開くを見て、をして[やぶちゃん注:ママ。]、入る。

 そのかたち、美女のよそほひ、みやびか[やぶちゃん注:ママ。「雅やか」。]なり。

 崔哥、驚きて、拒(こばま)んとすれば、女《をんな》、すでに、座につきて、かたちを、おさめ[やぶちゃん注:ママ。「形を治め」。しっかりとした様子で居住まいを正し。]、氣をしづめて、こまやかに[やぶちゃん注:心を込めて、親し気に。]、語りていはく、

「我は、興娘のいもうと、慶娘なり。君《きみ》の閑居を慰めんがために、きたれり。あやしむこと、なかれ。」

といへば、崔哥が、いはく、

「多情(たせい)すてがたしといへども、人の知るべきこと、いかん。老父(らうふ)、たちまちに、知らん。みだりなる事は、我、まさに老父の恩を、わするゝになるべし。はやく、出《いで》さり給へ。」[やぶちゃん注:「多情」高田氏の注に、『ここでは男女が互いにあいひかれる氣持をいう』とある。]

といへば、女のいはく、

「さきに、轎(てごし)の下《もと》より、金鳳釵を投げしを、君、取れるや。取れるときんば、ちぎり、さだまるなり。我、此の家のうちをよく知つて、忍びきたれば、人、しらじ。父母(ちゝはゝ)も、また、知るへからす[やぶちゃん注:総てママ。]。心をやすんじ、悠々(ゆうゆう)として、まくらを、ならべん。」

とて、崔哥を、ひゐて[やぶちゃん注:ママ。]、ふせり。

[やぶちゃん注:「ひゐて」岩波文庫本文では、『惹(ひ)いて』とある。]

 

Kinhousaki2

 

[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。崔哥を訪ねてきた慶娘に金鳳釵を渡した(本篇にはそのシーンはない)ところ(彼女との臥寝を受諾したことを意味する)をスカプルティングしたものとった。]

 

 崔班も、また、辭退をわすれて、嫁宿(かしゆく)す。

[やぶちゃん注:「嫁宿」男女の契りを交わすこと。]

 あかつきにいたつて、女、出でさりぬ。

 崔哥、多情を、かんじて、ひとり、心のうちに、よろこひ[やぶちゃん注:ママ。]ゐたり。

 次の夜、また、來たること、前(さき)のごとし。

 是より、よなよな、來入(らいにう)すること、一月半にをよぶ[やぶちゃん注:ママ。]なり。

 ある時、女のいはく、

「今まで、人の知らざるは、まことに、さいわゐ[やぶちゃん注:ママ。]を、えたり。かくのごときの事には、魔(ま)のさはり、おほし。もし、現はれて、老父のせめ、あらば、緣を絕(ぜつ)し、眉目(びもく)をうしなはん[やぶちゃん注:面目が潰れてしまいます。]。我閨(わがねや)、おく、ふかし。忍び出つる[やぶちゃん注:ママ。]に、通路(つうろ)、めぐり、まがる。重々(ぢうぢう[やぶちゃん注:ママ。])の關(とざし)を出《いづ》るゆへに、身も心も、やすらかならず。ねがはくは、玉(たま)をいたきて[やぶちゃん注:ママ。]のがれゆき、跡を、遠村(ゑんそん)にかくさむ[やぶちゃん注:「隱さむ」。]と思ふは、いかん。」[やぶちゃん注:「玉(たま)をいたきて」原作では「懷璧」(璧(へき)を懷(いだ)きて)。「璧」は「玉」(たま/ギョク)のことで、「完璧」の原義は傷のない完全な宝玉を意味する。ここは「二人の相思相愛の全き恋情を大切なものとして守って」の意となる。]

といへば、崔哥のいはく、

「わがこころも、しかのごとし、はやはや、伴ひ行かんには、我、そのゆかんかたを思ふに、わが父崔郞君の時より、ふだい[やぶちゃん注:「譜代」。]の被官あり。名は金榮、鎭江縣(ちんがうけん)に家居(いへゐ)す。おとづれて、ゆかん。これより數日《すじつ》のほどをへだつ。舟にてゆかば、なんのわづひか、あらん。明日《あす》、舟をやくそくして、來夜《らいや》、ゆかんことを、さだむるなり。」

[やぶちゃん注:「鎭江縣」原作では「鎭江呂城」とし、農業を営んでいるという設定である。現在の江蘇省丹陽市(グーグル・マップ・データ)。]

 女、よろこんで、來夜、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]よそほひを、かろくし、金鳳釵を、ぐして、ともに門をいでて、舟にのりて、行くなり。數日に足らずして、鎭江縣につく。

 金榮が家をたづぬれば、はなはだ、おほきに、あつうして[やぶちゃん注:建物が相応に立派で。]、とめり。此の村の長(おさ[やぶちゃん注:ママ。])と見えたり。

 崔哥、おほきによろこんで、すなはち、とふ。

 金榮、いでて會へり。はじめは、しらず。崔哥、揚州の故居(こきよ)、先父(せんふ)の姓名、ならびに、我が乳(ちの)子の時の名[やぶちゃん注:幼名。]をつぐれば、金榮、おほきに驚き、答拜す。

「是、わが家の郞君(らうくん)なり。」

 すなはち、中堂(なかのま)をあけて、しやうじ入《いれ》て、

「いかんとしたる來御(らいぎよ)ぞ。」

と、とへば、

「それがし、父母、ともに、なし。また、別に、親族、なし。少婦(わかきめ)を具(ぐ)するがゆへに、金榮を、賴みて、きたる。」

といへば、金榮、その先主(せんしゆ)のなきを聞(きゝ)て、哀哭(あいこく)す。

「此のちやくなん、今、わが主君なり。卑家(ひか)に御來臨は、はからざる忻悅(きんえつ)[やぶちゃん注:よろこび。]なり。」

 旦夕(たんせき)[やぶちゃん注:朝夕。]の食供(しよくぐ)、四時(《し》じ)[やぶちゃん注:四季。]のいしやう、心にまかせて、とゝのふ。一《ひとつ》として、不足、なし。

 しかうして、一年をすぐるなり。

 女のいはく、

「日月《ひつき》ながるゝがごとくにして、はや、一年、くれたり。父母(《ちゝ》はゝ)の心も、變ずべし。一旦は、いかるといふとも、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]は、子をおもふ心、あるべし。いま、ともにかへりゆかば、再見をよろんで、兩人の罪を、いふ事、あらじ。艤(ぎ)して[やぶちゃん注:「舟裝(ふなよそほ)ひして」。出航の準備をして。]、ともにかへりゆかん。」

といへば、崔哥も、また、いはく、

「もつとも。ことはり[やぶちゃん注:ママ。]なり。ともに行《ゆく》へし[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、金榮に謝(しや)して、兩人、舟に、のりて、ゆくなり。

 揚州につきて、女のいはく、

「崔哥、まづ、ゆきてうかゞへ。我は、舟に待(ま)つべし。」

といふ。

 崔君がゆくを、よびかへして、いはく、

「もし、うたがひのことば、あらば、此金鳳釵を見せられよ。」

と、いふて、わたす。

 崔哥、かんざしを、受けとりて、ゆくなり。

 吳防禦の門にいたりて、

「崔哥、來たる。」

といへば、防禦、先(まづ)、謝していはく、

「崔君、たまたま、きたるに、門のかたはらの小家(せうけ)、止宿(ししゅく)、やすからず、旦暮(たんぼ)のやしなひごと、粗菜(そさい)、不足、まことに、老夫が罪なり。千悔千悔(せんくわいせんくわい)。」[やぶちゃん注:「千悔千悔」高田氏の注に、『謝罪のことば。申しわけない、の意。』とある。]

といへば、崔哥、地に伏して、

「死罪、死罪。」[やぶちゃん注:以上は高田氏の注に、『謝罪のことば。私の重い罪をどうか許して下さい、の意』とされ、原話では「但稱死罪」である旨の添えがある。]

と、いくこゑ[やぶちゃん注:「幾聲」。]もいふて、あへて、あふぎみず。

 防禦、疑惑して、

「何事を『しざい』といふぞ。そのゆへを、ひらき、のべられよ。」

といへば、崔哥がいはく、

「去年、出《いで》てゆく事、慶娘美君(けいぢやうびくん)、はからざるのなさけ、あり。夜〻(よなよな)來たりて、我《わが》小門《しやうもん》を、たたき、枕席(ちんせき)のなさけを感ず。いはんや、深閨(しんけい)、とをく出《いで》、通路(つうろ)、人、しらず。その心ざし、せつなるゆへに、告げずして、めとる。そのつみを、おそるゝがゆへに、ひそかに、負(をふ[やぶちゃん注:ママ。])て、遠村(ゑんそん)にかくる。すでに、一年を、へたり。夫妻、安居(あんこ[やぶちゃん注:ママ。])すといへども、父母のおもひをはかるゆへに、今、こゝに、ともに來(きた)る。ねがはくは、さきのつみを、許して、のちの緣(えん)を、とげ、偕老(かいらう)を、えさしめよ。」[やぶちゃん注:「美君」高田氏の注に、他者の『令嬢に対する敬称』とある。]

といへば、防禦のいはく、

「崔哥のことば、みな、虛(きよ)なり。我むすめ、慶娘は、去年(きよねん)、淸明に、塚に、のぼりて、歸りてより、やまひをえて、床(とこ)にふし、轉側(とこかへし)[やぶちゃん注:「寝返り」のこと。]も人を用ゐ、糜粥(びじゆく)[やぶちゃん注:「お粥」のこと。]も口を禁ずる事[やぶちゃん注:食べようとしないこと。]、一年に及べり。あに、此の事、有らんや。定めて、他女(たぢよ)なるべし。」

といへば、崔哥がいはく、

「慶娘、とゞまりて、舟(ふね)にゐます。人をつかはして、あげむかへさしめよ。」

といふ。

 防禦、信ぜずといへども、家童(かどう)を、つかはす。

 崔哥も、ともに、はるかにみれば、舟中に女《をんな》あり。

 舟にいたるときんば、女、消えて見えず。

 家童、すなはち、崔哥を、せめて、此の妖怪を、とがむ。[やぶちゃん注:「妖怪」尋常でないあり得ぬ面妖な出来事を指す語。]

 崔哥も、また、おどろき、あやしんで、ともにかへりて、防禦に、此のむねをつぐれば、防禦、あやしみ、うたがふ。

 ここにおいて、崔哥、袖中(しうちう)より、金鳳釵を、いだして、防禦に、しめす。

 防禦、見て、いはく、

「是は。興娘が髮に簪(かんざし)して、柩(ひつぎ)に、いれつる物なり。何として、今、爰に、きたるや。」

 舟中の女、見えずといひ、かたがた、疑惑するあひた[やぶちゃん注:ママ。]に、慶娘、病の床より、歎然(たんぜん)[やぶちゃん注:フラットな意味で「突如として」の意。]として起きて、すぐに主殿(しゆでん)のまへにいたりて、その父を拜(はい)していはく、

「興娘、さいわゐ[やぶちゃん注:ママ。]あらす[やぶちゃん注:ママ。]して、はやく、養育を、はなれ、遠く荒㙒(かうや)にすてらる。しかるに、崔郞君と緣分(えんぶん)、いまた[やぶちゃん注:ママ。]、たゝず[やぶちゃん注:「絕たず」。]。今、こゝに來《きた》る心も、また、他《ほか》の事にあらす[やぶちゃん注:ママ。]。ことに、いもうとの慶娘を、我、愛するゆへに、崔哥と夫婦の緣を、あひつがしめんと欲(ほつ)するのみ。もし、わがいふ所にしたがふときんば、やまひ、まさに、すなはち、いゆべし。もし、我言《わがげん》をもちゐざるときんば、いのち、こゝに、つきん。」

といへば、一家中のもの、みな、おとろく[やぶちゃん注:ママ。]

[やぶちゃん注:以上の台詞のうち、「また、他の事にあらす。ことに、いもうとの慶娘を、我、愛するゆへに、崔哥と夫婦の緣を、」の部分は岩波文庫版には存在しない。これ! 絶対必要!!! 原作にも同趣旨の「今之來此、意亦無他。特欲以愛妹慶娘、續其婚爾」があるからである!

 その身をみれば、慶娘にして、言語形儀(ごんごぎやうぎ)は、興娘なり。

 父、これを、詰(つめ)て[やぶちゃん注:詰問して。]、いはく、

「汝、すでに、死せり。いづくんぞ、人間(にんげん)にかへりて、此乱惑(らんわく)をなすことを、得るや。」

 答へて、いはく、

「われ、死するといへども、つみなきうへに、冥官(みやうくわん)、かゝわりとめず、かりに化生」けしやう)して、一年の間、崔哥と、此一段の婚緣(こんえん)を、とぐることをゆるすなり。」

 父、そのことばの、切なるを聞《きき》て、すなはち、ゆるして、

「その、いふがごとく、ならしめん。」

といへば、此の人、すなはち、父を拜し、礼謝す。

 又、崔哥と、手を、とりて、なき、なげきて、別(わかれ)をなす。時にまたいはく、「汝、よく、夫婦となりて、つつしんで、別(べちの)人をもつて、慶娘を、忘るゝ事、なかれ。」

と、いひおはりて、地にたふれふす。

 是を、みれば、死せり。

 しきりに湯藥(たうやく)をもつて、是にすすむれば、時を移して、卽ち、よみかへり、やまひ、すでに、さつて、形儀言語、常のごとくにして、もとの慶娘なり。

 そのさきの事を、とへば、かつて、知らず、ほとんど、夢のさめたるがことし[やぶちゃん注:ママ。]

 父母(ちゝはゝ)、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、崔哥が緣を、つがしむるなり。

 崔哥、すなはち、興娘のなさけのこんせつ[やぶちゃん注:「懇切」。]なるをかんじて、かの金鳳釵を、市(いち)に、うりて、銀二十鋌(ちやう)をえて、その内にて、燒香・蠟燭・帋錢(しせん)・幣帛(へいはく)等(とう)を買ひて、銀倶(ぎんぐ)に齎(つつみもち)て、「瓊花觀(けいくはくはん)」といふ山上(さんしやう)の寺にまうでゝ、逢醮(はうしやう)といふ道士に命じて、三日三夜(や)、とふらひをなす。

[やぶちゃん注:「瓊花觀」揚州市のここ(グーグル・マップ・データ)に現存する道覩(道教寺院)。

「帋錢」紙銭。銭形に切り、又は、銭形を押した紙。中国で祭りのときなどに供えたり焼いたりする。冥界で通用すると考えられている冥銭。現代のものでは、現行紙幣に真似て作ったりした凝ったものもある。

「銀倶」包むものらしいが、不詳。これに相当する原作の文々は見あたらない。

「逢醮」これは恐らく、原文の解読を誤ったものだろう。「命道士建醮三晝夜以報之」(道士に命じて醮(しやう)を建(た)つるこお三晝夜にして以つて之れに報之(はう)ず)とある。「醮」は道教の祭祀の一つで、「隋書」の「経籍志」の「道経序録」によれば、醮とは災厄を消除する方法の一つで、夜間、星空の下で、酒や乾肉などの供物を並べ,天皇太一や五星列宿を祭り、文書を上奏する儀礼を指す。後には斎(サイ:物忌み)の儀礼と結合して「斎醮」と呼ばれ、この斎醮の際に上奏する文書を「青詞」といった。唐・宋以後、道教の代表的な祭祀として広く行われ、近代になっても、亡霊を救済する「黄籙醮」(こうろくしょう)、帝王のための「金籙醮」、普く一切を救済する「羅天大醮」などの儀式が行われた。]

 又、夢に、崔哥に、みえて、いはく、

「君の、とぶらひを、うけて、尚(なを[やぶちゃん注:ママ。])、餘情(あまりなさけ)あり。幽明(ゆうめい)をへだつといへども、まことに深く感ずるなり。いもうと慶娘、柔和(にうわ)なり。よろしく、是を、見とどけよ。」

と、いふ、と、見て、さめたり。

 崔哥、おどろき、いたんで、此事、おはれり[やぶちゃん注:ママ。]。あゝ、異(い)なるかな。

 

竒異雜談集巻第五終

[やぶちゃん注:個人的には、本篇の原作「金鳳釵記」自体が、明らかに唐代伝奇の陳玄祐(げんゆう)撰の名作「離魂記」を焼き直したものに過ぎず、「離魂記」を知っていると、どうしても二番煎じのお手軽感は拭えない。本篇を受けて、満を持して再翻案された「伽婢子卷之二 眞紅擊帶」の方が、確信犯のインスパイアとしてはよく出来ている。リンク先では私の注でその辺りを既に述べているが、未読の方は、是非、読まれたい。他に、「無門關 三十五 倩女離魂」のオリジナルな注で、原文・訓読・現代語訳を行ってもいる。また、「小泉八雲 禪の一問 (田部隆次訳)」でも、私の注で本原作に言及しているので、参照されたい。

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