奇異雜談集巻第三 ㊁牛触合て勝負をいたし前生を語る事
[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。立札の部分は、ダッシュと字空けで読み易くした。]
㊁牛(うし)触合(つきあひ)て勝負をいたし前生(ぜんじやう)を語る事
田舍のことなるに、ふくゆう[やぶちゃん注:「福裕」。]なる百姓、よき牛を一疋もちたり。
およそ、牛をば、一疋とは、いふべからず。一疋・二疋とは、馬(むま)にかぎりて、いふことばなり。唐(から)には、牛をば、一頭・二頭といふなり。日本のことばに約せば、湯桶文章(ゆとうぶんしやう)にして、牛一牽(びき)といふべきか。[やぶちゃん注:「湯桶文章」漢字二字で書き表す熟語に於いて、上の字を訓で、下の字を音で読む読み方。現代でも「手本(てほん)」・「消印(けしいん)」・「身分(みぶん)」・「手数(てすう)」など、多くその例がある。]
馬を一疋といふいはれは、馬の目には、絹(きぬ)一疋長(《いつ》びきだけ)の間をみるなり。字注にいはく、『一疋は四丈(ぢやう)[やぶちゃん注:十二・一二メートル。]なり。馬の光景(くわうけい)、疋の長(たけ)なり。』と云ふ。
[やぶちゃん注:「馬の目には、絹(きぬ)一疋長(びきたけ)の間をみる」ちょっと意味をとり難いのだが、これは馬の両眼の視野が「絹一疋」の丈(たけ)に相当することを意味しているように思った。検索したところ、福岡女子大学国際文理学部教授目加田さくを氏の論考「奇異雑談集の語彙について」(同学部紀要『文芸と思想』一九五五年七月発行所収・ネット上でダウン・ロード可能)の「光景」の注に(「34」ページ上段)、『「馬を一疋といふいはれは馬の目には絹一疋長(だけ)の間をみるなり字註にいはく一疋は四丈なり馬の光景(くはうけい)疋の長(たけな)り」』の『光景は、有様、様子、景色等の意であるが、此の用例では、視野、視界の意に使用している。』とあったので、間違いない。なお、この論文は、最初に、本書の幾つかの篇に出る諸年号や事件(「応仁の乱」等)から、作者の年譜が作られており、非常に興味深いので、是非、読まれたい。]
絹を一疋といふいはれは、一疋は二(ふた)きだけなり。夫婦二人のいしやう[やぶちゃん注:二人分の「衣裝」。]となるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下、総て同じ。]に、一疋といふなり。夫婦二人、相(あひ)したがふを、『一疋の夫婦』といふなり。「論語」に『匹夫匹婦(ひつぶひつふ)』といふ、是なり。「匹(ひつ)」は「配(はい)」なり。物を『一對(《いつ》つい)』といふがごときなり。「疋」の字、同《おなじ》なり。
犬を一疋・二疋といふいはれは、犬追物(いぬをふもの[やぶちゃん注:ママ。])の時、河原者(かはらもの)、輸の内より、犬を、はなせば、馬上(ばしやう)、一矢(《いち》や)、犬を、いる。若(もし)、二騎・三騎、をつかけて[やぶちゃん注:ママ。]いるといへども、本《ほん》になる矢は、一つなり。馬一疋に、犬一なるゆへに、犬を「一疋」といふなり。ことなる犬をば、一疋・二疋とはいふべからずといへども、世俗のことぱ、みだりにして、つねの犬をも、一疋・二疋といひ、あまつさへ、鹿(しか)・兎・狸・狐・猫・鼡(ねづみ)・小虫(こむし)にいたるまで、一疋・二疋・五疋・十疋といふは、まことに、下賤愚昧のいひならはしなり。
[やぶちゃん注:「犬追物」馬上から犬を標的として弓を射て、その技能を競う武芸。馬場の中央に、縄で円形の囲いを作り、その中に犬を放ち、三手に分かれた射手が外周からこれを射る(一般には、犬を使い廻すために、矢の先を鏃ではなく、鈍体にした)。流鏑馬(やぶさめ)や笠懸(かさかけ)などとともに「騎射三物」(きしゃみつもの)の一つとして、中世には大いに流行したが、室町末期には戦闘法の変化とともに衰えた。
「河原者」中世の賤民の一つで、平安以後、河原に住むことを強制された人々。肉体労働・染色・皮鞣(なめ)し・雑芸能・雑務などを業とした。室町時代には、隷属関係をもつ寺社の権力を背景に、さまざまの特権を獲得したものもあり、特殊な技能者の集団として多様な活動もしたが、一般に蔑称として用いられた。]
料足(れうそく)[やぶちゃん注:あることにかかる費用。代価。中世に銭の異称として使われ始めた。]を、十疋・廿疋といふいはれは、犬追物の時、河原者、犬を百疋、はなてば、一貫文、とる。五十疋、はなてぱ、五百文、とるなり。犬一疋は、十錢にあたるゆへに、十錢を一疋といひ、百文を十疋といへり。是、犬追物より出たることばなり。
さて、かの裕福百姓のもちたる牛一びきは、大にして、ちから、はなはだ、つよし。地目天角(ぢもく《てん》かく)にして、吉相(きつさう)、すぐれたり。飼料(かひれう)、じゆんたくなるゆへに、肥(こへ[やぶちゃん注:ママ。])たる事、象(ざう)のごとし。
[やぶちゃん注:「地目天角にして、吉相、すぐれたり」先の目加田氏の論考に(「35」ページ上段)、この語を掲げられて、『牛の相のすぐれたのを形容して言つている。仏家で言うところの智目行足等より出た語歟。』とあった。「智目行足」(ちもくぎょうそく)は「WEB版新纂浄土宗大辞典」によれば、『悟りに至るために必要な智を目に、行を足に譬えて表現したもの』とある。各種仏典によって解釈が多様。リンク先を読まれたい。]
人の牛と觸合(つき《あひ》)て、かつこと、おもしろきゆへに、ふだをたてゝいはく、
――誰も牛をひき きたりてつきあはせられよ 此方の牛 まけたらば れうそくを百貫文しんずべく候 よそのうしまけたらば れうそくをば とるべからず たゞそのうしを取べきなり――
と云ふ。
此札をみる人、みな、
「れうそくを、とるべし。」
とて、牛をひき來りて、つき合《あひ》て、まけて、牛を、とらるゝもの、おほき事、かぎりなし。
その牛を、うりて、いよいよ、ぶんげんになるなり。
又、五、六里よそに、牛を、もらたるもの、あり。
その牛、駮(ぶち)にして、ひだりのかたより、右のわきにいたりて、脊(せ)の毛色、黃(き)なり。その外は、くろし。やせて、よはきゆへに、犁(からすき)をも、かけず、おもにをも、おはず、あはれみをなして、飼事(かふこと)、年、久し。
あるとき、此牛、家主の夢にみえて、いはく、
「某(それがし)、牛とし、久しく、やしなひをうけ、あはれみにあづかりて、かいがいしく用にたつこと、なし。いたづらに飼料をついやす事、本意(《ほ》い)のほかなり。此間、これより、五、六里みなみに、ゆうふくの百姓、よき牛をもちて、人の牛とつきあはせて、せうぶ[やぶちゃん注:ママ。]にして、『我(わが)牛、つきまけたらば、銭百貫文、出《いだす》すべし。よそのうし、まけたらば、錢をば、とるべからず。たゞ、牛をとるぺし。』といふて、「ふだ」を、たてたり。それがしを引《ひき》ゆきて、つきあはせられよ。われ、つきかちて、錢百貫、とらせ申《まふし》て、としごろのをん[やぶちゃん注:ママ。]を、ほうずべし。」
と、いふと、みて、夢、さめたり。
家主、おもふに、
『かの牛、きゝをよぶに[やぶちゃん注:ママ。]、力つよき大牛なり。此うし、かつべき事、おもひもよらず。牛をとられんこと、むようなり。』
とて、ひきゆかず。
又、かさねて、夢に、いはく、
「何とて、それがしを、ひきゆき給はぬぞ。それがし、かならず、かつべし。うたがひ給ふ事、なかれ。」
といふ。
「さては。ふしぎなり。引《ひき》てゆくべし。」
とて、くはたつる[やぶちゃん注:ママ。]なり。
『もし、錢百貫とることもや、あらん。』
と、おもふて、人數(にんじゆ)あまた、つれて、ゆきたり。
かの在所にゆきて、かたはらに桃林(たうりん)のあるに、先《まづ》、この牛をつなぎをきて[やぶちゃん注:ママ。]、かの家に、あんないを、いふ。
亭主、よろこび出《いで》て、
「いづかたより御出《おいで》ぞ。」
と、いへぱ、
「五、六里よそより、札のおもてにまかせて、參り候。」
といふ。
「その牛を見申《まうす》べし。」
といふに、瘦牛(やせうし)を引きたりてみすれば、亭主、あざわらひて、わが門(かど)に入《いり》て、大牛をひき出《いづ》れぱ、聞《きき》をよび[やぶちゃん注:ママ。]しより、なを[やぶちゃん注:ママ。]見ごとなる大うしなり。
人數、目をおどろかす[やぶちゃん注:ママ。]處に、瘦牛、すゝみ出《いで》て、大道(だいだう)の場中(ばなか)にゆく。
大牛、すなはち、出ゆきて、ちかくよりて立《たち》むかへば、大牛、おそるゝ躰(てい)、有(あり)。
頭(かしら)を、わきへ、ふつて、そのまゝ、にげさり、我門(わがかど)に入《いり》て、かけ足を出して、後園(こうゑん)ににげゆくを、瘦牛、をつかけ[やぶちゃん注:ママ。]、かけゆきて、後園に、をつつめ[やぶちゃん注:ママ。「追ひ詰め」。]たり。
大牛、にげがたなく、めいわくして、四《よつ》ひざを、おり[やぶちゃん注:ママ。]ふして、かしらを、うなたれ[やぶちゃん注:ママ。]たり。
[やぶちゃん注:底本の挿絵はここ。黒い大牛が四肢の膝をついて相手の痩せ牛に降参しているシーンである。奥の絵は、負けた結果、痩せ牛の主人が引き連れてきた村人らが、銭緡(ぜにさし)を受け取っている。]
瘦牛、とんでかゝる所を、牛のぬし、ひきとめて、
「それがしがうし、かち申候。」
と、いへば、亭主、
「なかなか、よぎなく候。頁貫文、しんずへく[やぶちゃん注:ママ。]候」。
と、いふて、人數をよびて、わたしたり。
うけとりて、牛を引(ひき)て、かへれり。
亭主、大《おほき》にぶけう[やぶちゃん注:ママ。「無興」。「ぶきよう」でよい。後も同じ。]し、腹をたてたり。
日《ひ》、すでにくれ、その寄り、大牛、亭主の夢に見えて、いはく、
「今日《けふ》の儀、御ぶけう、もつともなり。子細あるゆへに、つげ申候。それがし、さきの生(しやう)の時に、山上に、禪宗の寺、あり、それがしは、その寺僧なり。住持は西堂(せいたう[やぶちゃん注:ママ。比叡山の西塔で学んだ禅僧ということであろう。])なり。やせたる僧なれども、福分(ふくぶん)[やぶちゃん注:裕福であったこと指す。]にて、たのしき[やぶちゃん注:「賴(たの)もしき」の意であろうか。]ゆへに、人みな、錢を、かるなり。それがしも、莫太(ばくたい[やぶちゃん注:ママ。])、かり債(おふ)て、活計(かつけい)をするゆへに、こえ、ふとりて、ちから、つよかりしが、そのしやくせん[やぶちゃん注:「借錢」。]、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、九牛(くぎう)が一毛(いちもう)ほども、返さずして死(しに)き僧なりしゆへに、牛に、むまれて、此家にやしなはれ申候。住持は、山下(やまもと)の檀越(だんゑつ[やぶちゃん注:ママ。])の家の牛に、むまれてゐられ候。西堂ゆへに、左のかたより、右の脇まで、脊の毛色、黃なるは、袈娑の色なり。僧にても、やせたるゆへに、牛にても、やせたり。住持の德に、からすきをも、かけず、重駄(おもに)をも、をはず[やぶちゃん注:ママ。]して、うやまはれ、やしなはるなり。今日きたる所の牛、いづれのうしともしらず、立むかふてみれば、かの西堂牛(さいたううし)なり。それがし、債(をいめ[やぶちゃん注:ママ。])が身なるゆヘ、難義、折角して[やぶちゃん注:全力を出して。]、にげさるなり。まけて、百貫文の失墜をさせ申事、ほんいの外(ほか)なり。さりながら、此よし、世にふうぶんせば、いよいよ、牛をひいてきたるもの、おほかるへし[やぶちゃん注:ママ。]。涯分(がいぶん)[やぶちゃん注:以後、残る命の間のこと。]、つきかちて、牛を、おほく、とらせ申さば、百貫文は、やがて、いゆべし。御心やすくおぽしめさるへし[やぶちゃん注:ママ。]。」
と、よだれを、ながして、いふほどに、亭主、
『まんぞくす。』
と、おもふて、夢、さめたり。
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