譚海 卷之五 駿州興津鯛の事
[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]
○駿河の「沖津鯛」と云(いふ)は、總名ばかりには、あらず。たしかに「おきつ鯛」と號する大魚ある事也。「さつた峠」の上の山に、地藏堂あり。此堂より、二、三丁も上(のぼ)りて、頂上に、燈明堂、有(あり)。海舶(かいはく)の目印に、火を、ともす所なり。この山、眞直(まつすぐ)に、海岸より立(たち)のぼりたる一片の石にて、麓は、波に、ひたりたり。其(その)波にひたりたる所の石、幅、四、五尺斗り、竪(たて)に裂(さけ)て、内は、洞(ほら)に成(なり)て、廣さ、いかほどといふ事も、しれず。鮑(あはび)の、おほく、つく所にて、常に、蜑(あま)の、かよふ所也。此あまの物がたりせしは、「此石の裂(さけ)たる間(あひだ)より、のぞけば、内は、南を受(うけ)て、あきらかに、能(よく)見ゆる。その洞の内に、大(おほい)なる鯛、壹(ひと)ツ、住みて、あり。人のの、ぞくをみては、驚き、いかりて、ひれを、ふり、かしらを、もたぐるさま、おそろしき事、いはんかたなし。此鯛、水にひたり居《を》るゆゑ、全體は見えねども、いかほど大なるものとも、計りがたし」是は、はじめ、この鯛、石の裂(さけ)たるあひだより、入(いり)て、洞の中にて生長して、出(いづ)る事、成(なり)がたく、年へて、かくある也。是を「興津鯛」と號し來(きた)る。」と、いへり。
[やぶちゃん注:海水がたっぷり入りながら、海食洞の中で成長してしまい、出入り口が結果して狭くなったために、そこに封じ込められてしまった、モンスター並みになってしまった人をも威す巨大な鯛の怪奇動物談である。
まず、「總名」というのは、興津の面した駿河湾湾奥西方(グーグル・マップ・データ。以下同じ)で漁獲される、広義のタイ類の総称名ということであろう「おきつだひ」という御は、「沖つ鯛」に通じ、それでなくとも、鯛類の通称名に相応しい。
次に、「さつた峠」=薩埵峠は、この附近である。而して、「頂上に、燈明堂、有」とあるのを、文字通り受け取るなら、「今昔マップ」の「薩た山」(国土地理院図では峠名も「埵」はひらがな表記である)標高二百四十四メートルの箇所に当たることになる。
そして、その直下にあったという海食洞は、現在の「薩たトンネル」の上り側出口附近に存在したということになろう。現在のその附近には、ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)に有意な岩礁塊があるのが確認出来るから、ここを第一候補として問題はあるまいかとも思う。
さても本題に入ろう。底本の竹内利美氏の注には、『この興津鯛は不思議な話だが、かなりひろく知られていた』とある。
奇談絡みではないが、「甲子夜話卷之五 5 興津鯛、一富士二たか三茄子の事」に記されてあった。
そして、そこで私はこの「興津鯛」を、京阪で「グジ」の名で親しまれ、西京漬けなどにされるアマダイ、則ち、スズキ目スズキ亜目キツネアマダイ(アマダイ)科アマダイ属 Branchiostegus のうち、本邦近海で見られるそれら、アカアマダイ Branchiostegus japonicus・キアマダイ Branchiostegus argentatus・シロアマダイ Branchiostegus albus の三種としたが、その後、『畔田翠山「水族志」 アマダヒ (アマダイ)』の私の注では、今一種、スミツキアマダイ Branchiostegus argentatus も追加している。一番の候補は最初のアカアマダイである(後述)。アマダイの博物誌は、それらの私の注、及び、絵が見たいなら、私の『栗本丹洲自筆巻子本「魚譜」 方頭魚 (シロアマダイ)』、及び、同魚譜の「方頭魚 (アカアマダイ)」を見られんことをお勧めする。この私のアカアマダイ比定が信じられない方は、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のアカアマダイのページを見られたい。そこに、『興津鯛』と項立てされて、『静岡県静岡市(旧清水市)興津の名産とされる。それで「興津鯛(オキツダイ)」。徳川家康に、おきつという奥女中が献上し、賞味されたから「おきつ鯛」』と記しておられる。]
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