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2023/07/03

奇異雜談集巻第二 ㊄伊勢の浦の小僧、圓𮫭の子の事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 なお、「𮫭」は「魚」の異体字である。「圓𮫭(えいのうお)」は軟骨魚綱板鰓亜綱エイ上目(シビレエイ目・ノコギリエイ目・ガンギエイ目・トビエイ目)のエイ類を指すと考えてよい(作者は推定で読みを示しているとするが、私はそれでよいと思う。後述する)。本文では「ゑい」と読みを振るが、歴史的仮名遣は「えひ」が正しい。「𮫭」は「魚」の異体字。]

 

   ㊄伊勢の浦の小僧、圓𮫭(ゑいのうお)の子《こ》の事

 紫㙒大德寺、應仁亂中に、寺、たいてん[やぶちゃん注:「退轉」。廃(すた)れて他の地へ移転すること。]の間に、衆僧(しゆそう)、所々に散在す。

 岐庵(きあん)和尚の㐧子(でし)某書記、而(あざな)は牛庵(ぎうあん)、俗姓(ぞくしやう)は中村なり。

 近国を一見するに、伊勢の国の海邊(《かい》へん)に漁村あり[やぶちゃん注:「漁」は「グりフウィキ」のこれであるが、示せないので、通用字とした。]、山の腰に小庵あり。のぼりゆきてみれば、遠景、奇妙なり。

 小庵の緣(えん)に、腰をかけて、休息す。

 庵主(あんじゆ)、出でてざうだんす。

 小僧をよびて、

「茶を喫(きつ)せしめよ。」

といふ。

 小僧、茶を、もちきたる。

 牛庵、此の小僧を見れば、

『人にて、人とするに、たらず。』

と、あやしみて、つくづくとみれば、庵主のいはく、

「此小僧は、圓𮫭(ゑいぎよ)の子(こ)なり。」

といへば、牛庵、なほ、怪しみて、そのゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]を問はる。

 庵主のいはく、

「ふもとの漁村[やぶちゃん注:「漁」は底本では「グリフウィキ」のこの異体字であるが、表示出来ないので、通用字とした。]に、一人のれうし[やぶちゃん注:「漁師」。]あり。大なる圓𮫭(ゑいぎよ)をつりえたり。もちて、家にかへりて、あふのけてをけり[やぶちゃん注:ママ。]。その開閇(かいひん)[やぶちゃん注:の生殖器を指すが、エイの場合は、実際には複雑な襞を有した「螺旋腸」と呼ばれる組織が奥にある肛門部である。但し、外見の形状はヒトの女性生殖器とよく似て見える。実際にそうした行為が行われた事実があるようだが(江戸時代の絵に残っている。ネットで探されたい)、直下の尾の付け根に強力な毒針があるので、極めて危険な行為である。]のうごくを見て、人の如くなるゆへに、これを犯せば、只(たゞ)、人のごとし。不憫なる心出でくるゆへに、海に放す。見れば、よろこびて、海底に、いりぬ。十ケ月すぎて、夢に、圓𮫭、きたりて、

『君(きみ)の子あり。他所(たしよ)のうらの岩の間にあり。たづねて、とり給へ。』

と、いふ、と、みて、夢、さめたり。

 ふしぎの夢なり。

 つらつらおもふに、しかの事、あり。

 そのうらにゆきて、たつぬる[やぶちゃん注:ママ。]に、はたして、子あり。

 だづさへて、家にかへりて、これをやしなへば、人となりて、我《わが》㐧子(てし[やぶちゃん注:ママ。「弟子(でし)」。])となして、此の庵に、をきぬ[やぶちゃん注:ママ。]

 とし今十八なり。人といはんや、人にあらずと、いはんや。」

ともに一笑して、牛庵、かへるなり。

[やぶちゃん注:以下は底本では全体が二字下げ。]

本草に圍魚あり。是、別なり。今、圓魚、其(その)字(じ)不ㇾ詳(つまひらかならず[やぶちゃん注:ママ。])。許(はか)りて[やぶちゃん注:推測して。]書ㇾ之(《これ》をかく)。

[やぶちゃん注:「圍魚」「漢籍リポジトリ」でテキスト検索すると二十四件ヒットするが、それらには本格的な本草書と思われるものはない。漢文なので、種同定は不能である。単に漢籍で「本草」と言った場合、李時珍の「本草綱目」を指すが、同書には「圍魚」は載らない。本邦の本草書か。試みに、国立国会図書館デジタルコレクションで検索してみたが、あっても殆んどが「囲い網漁」の記載で、最早、万事休す。識者の御教授を乞うものである。

 

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