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2023/07/25

怪異前席夜話 正規表現版・オリジナル注附 始動 / 「叙」・「目禄」(ママ)・巻之一 「一囘 旅僧難を避て姦兇を殺す話」

[やぶちゃん注:「怪異前席夜話(くわいいぜんせきやわ)」は全五巻の江戸の初期読本の怪談集で、「叙」の最後に寛政二年春正月(グレゴリオ暦一七九〇年二月十四日~三月十五日相当)のクレジットが記されてある(第十一代徳川家斉の治世)。版元は江戸の麹町貝坂角(こうじまちかいざかかど)の三崎屋清吉(「叙」の中の「文榮堂」がそれ)が主板元であったらしい(後述する加工データ本の「解題」に拠った)。作者は「叙」末にある「反古斉」(ほぐさい)であるが、人物は未詳である。

 底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同初版本の画像を視認した。但し、加工データとして二〇〇〇年十月国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』の「初期江戸読本怪談集」所収の近藤瑞木(みづき)氏の校訂になるもの(玉川大学図書館蔵本)を、OCRで読み込み、使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 なるべく表記字に則って起こすが、正字か異体字か、判断に迷ったものは、正字を使用した。漢字の読みは、多く附されてあるが、読みが振れると思われるものと、不審な箇所にのみ限って示すこととした。逆に、必要と私が判断した読みのない字には《 》で歴史的仮名遣で推定の読みを添えた。ママ注記は歴史的仮名遣の誤りが甚だ多く、五月蠅いので、下付けにした。さらに、読み易さを考え、句読点や記号等は自在に附し、オリジナル注は文中或いは段落及び作品末に附し、段落を成形した。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なため、正字或いは繰り返し記号に代えた。

 また、本書には挿絵があるが、底本のそれは使用許可を申請する必要があるので、単独画像へのリンクに留め、代わりに、この「初期江戸読本怪談集」所収の挿絵をトリミング補正・合成をして、適切と思われる箇所に挿入することとした。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。

 「叙」の表示字は、かなり凝った崩し字が使用されているが、使用可能な物以外は、「初期江戸読本怪談集」の活字を参考比較し、通常の最も近い字体で示した。]

 

怪異前席夜話  一

 

   叙

 昔、怪力亂神の語らざる說、誠(まこと)に、鬼神(きしん)、造化(ざうくわ)の常(つね)、不正(ふ《せい》)にあらす[やぶちゃん注:ママ。]といゑ[やぶちゃん注:ママ。]ども、窮理(きうり)の事は明羅(あきら)め易(やす)からずと、宋儒(そうじゆ)の註文。また、和漢、「切」・「燈」の名、紛々(さいさい)、これ有るをもつて、近來(ちかころ[やぶちゃん注:ママ。])、書肆、樟(あづさ)[やぶちゃん注:「樟」はママ。「梓」が正しい。]にちりばめて、童蒙(どうもう)の戯(たまむ)れ、勝て(あけ[やぶちゃん注:ママ。「舉(あ)げて」。])、かぞへかたし[やぶちゃん注:「數へ難し」。]。雖然(しかりといへども)、もとより、不肖にして、其《その》是悲、知る事、あたわす[やぶちゃん注:ママ。]。依(よつ)て、序文のいとま、辭すること、再三なり。爰(こゝ)に親友文榮堂なる者、叱諫(しかりいさめ)て、曰(いはく)、「今や、邪說(じやせつ)の空言(くうげん)勿ㇾ論(ろんすること なかれ)。唯(たゞ)、故人(こしん[やぶちゃん注:ママ。])の茶談(ちやだん)の珎說(ちんせつ)、五條を選(えらみ)て、世に弘(ひろ)むる而已(の《み》)也(なり)。」とす。すゝめに應(おう[やぶちゃん注:ママ。])じ、漸ゝ(よふよふ[やぶちゃん注:ママ。後半は踊り字「〱」。])毫(ふで)をとれば、怔忡(せいちう)に、ゑり、本(もと)、ひやつく。是(これ)、世上、こわきに非ず、おそるゝにあらず。只、うたかふ[やぶちゃん注:ママ。]らくは、此怪談、我(わ)か[やぶちゃん注:ママ。「が」。]心を、うこかす[やぶちゃん注:ママ。]歟(か)。「嗚呼(ああ)、見る人、油斷あるな。」と、億而(おくして)序

于時《ときに》寛政二春正月

          反古斉謹識

          〔落款〕 〔落款〕

[やぶちゃん注:上方の落款は陽刻で「東都」とあり、後者は陰刻で「反古斉」か。

「怪力亂神の語らざる說」知られた「論語」の「述而」篇の孔子の言葉。「子、不語怪力亂神」(子、怪・力(りよく)・亂・神を語らず)。「力」は「腕力・暴力沙汰・武勇」、「亂」は「醜聞・乱倫・背徳」、「神」は「超自然の人智で説明出来ない霊的現象」。

『和漢、「切」・「燈」の名、紛々、これ有る』本邦で爆発的に好んで読まれ、翻案物が多く作られた「牡丹燈記」を含む明代に瞿佑によって書かれた怪異小説集「剪燈新話」、及び、その影響下に後の明代の李禎の「剪燈餘話」や、邵景瞻の「覓燈因話」(べきとういんわ)等の志怪小説集や、本邦のその翻案物の、「牡丹燈籠」系の改作怪談総てを指す。

「怔忡(せいちう)にゑり」「怔忡」は、動悸のうつでも、体を動かしていると強まる重症のものを言う。「恐ろしさに、心の臟を、バクバクさせながら、撰(えら)び(=「書き」)」の意であろう。

「本(もと)、ひやつく」「ひやつく」は「冷(ひ)やつく」で、「恐ろしさに、書いている私が、心本(こころもと=心底)、慄(ぞ)っとする」の意か。]

 

怪異前席夜話目禄

 

   一囘

 旅僧(りよそう)難(なん)を避(さけ)て姦兇(かんきう[やぶちゃん注:ママ。「かんきよう」でよい。])を殺(ころ)す話

   二囘

 狐精(こせい)鬼霊(きれい)寃情(ゑんしやう[やぶちゃん注:ママ。])を訴(うつた)ふる話

 同狐鬼(こき) 下

   三囘

 匹夫(ひつふ)の誠心(せいしん)剣(けん)に入て霊(れい)を顯(あらは)す話

   四囘

 抂死(わうし)の寃魂(ゑんこん)を報(ほう)ずる話

   五囘

 龍恠(れうくわい)撫育(ぶいく)の恩(をん[やぶちゃん注:ママ。])を感(かん)し[やぶちゃん注:ママ。]老嫗(らうう)を免(たすく)るの話

 

   已上

 

 

怪異前席夜話巻之壹

   ○旅僧難を避て姦兇を殺すの話

 昔、延享(えんけう[やぶちゃん注:ママ。])の頃、都に僧あり。浮雲流水(ふうんりうすい)を身に比(くら)べて、世の中の富貴(ふうき)をば、孫晨(そんしん)か[やぶちゃん注:ママ。「が」。]藁席(わらむしろ)よりも薄(うす)んじ、樹下石上(しゆ[やぶちゃん注:ママ。]かせきしやう)を、家となして、人間の營みをは[やぶちゃん注:ママ。「をば」。]、許由(きよゆう[やぶちゃん注:ママ。])か[やぶちゃん注:ママ。「が」。]瓢簞(ひやうたん[やぶちゃん注:ママ。])より輕しと覺へ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、身は北嵯峨に緇染(すみぞめ)の、衣(ころも)の外(ほか)は一鉢一杖(いつはついちてう[やぶちゃん注:「いちてう」は「一挺(いちちやう)」の当て訓であろう。)、飄然として、東西に行《ゆき》、南北にあゆむ。

[やぶちゃん注:「姦兇」ここは、心が邪(よこし)まな性根っからの悪人のことを言う。

「延享」一七四四年から一七四八年まで。九代将軍徳川家重の治世。

「孫晨」が「藁席……」以下は、「徒然草」の十八段に基づく。まず、同段の後半に書かれた、

   *

孫晨は、冬の月(つき)に、衾(ふすま)なくて、藁一束(わらひとつか)ありけるを、夕(ゆふべ)には、これに臥(ふ)し、朝(あした)には、をさめけり。

   *

に基づく。孫晨は、古代中国の隠者で、清貧にあまんじたことでよく知られる人物で、「蒙求」(もうぎゅう)に見える故事。「許由」は中国古代の伝説上の人物で、帝尭(ぎょう)が位を譲ろうと言うと、「汚(けが)れたことを聞いた。」と、潁水(えいすい)で耳を洗い、箕山(きざん)に隠れたと伝えられる高士。同段の前半は以下。

   *

 人はおのれをつづまやかにし、奢りを退(しりぞ)けて、財(たから)を持たず、世をむさぼらざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀れなり。

 唐土(もろこし)に許由(きよいう)と言ひける人の、さらに身に從へる貯(たくは)へもなくて、水をも、手にして、捧げて飮みけるを見て、なりひさこ[やぶちゃん注:ヒョウタンの異名。]といふ物を、人の得させたりければ、ある時、木の枝にかけたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、「かしかまし。」とて捨つ。また、手にむすびてぞ、水も飮みける。いかばかり心のうち涼しかりけん。

   *

で、先の許由に繋がり、最後に、

   *

唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記(し)るしとどめて、世にも傳へけめ、これらの人は、語り傳ふべからず。

   *

「けめ、……」は『「こそ……(已然形)、~」の逆接用法。中国の人々はちゃんとこうして後世にこの清貧の王道を伝えたけれども、「これらの人」=「ここの日本人の者ども」は、凡そ、そうしたことを語り継いだり、書き伝えたりもせぬであろう、という慨嘆の謂いである。]

 一とせ、東路(あづまじ[やぶちゃん注:ママ。])に心さし、膝栗毛(ひざくりげ)の、太く逞しきにまかせつゝ、いつかは、歸り逢坂(あふさか)の、關を霞(かすみ)と倶(とも)に出《いで》て、やうやう、秋風わたるころ、奧の白河のこなたなる、白阪(しらさか)の邑(むら)に、いたる。

[やぶちゃん注:「白坂」現在の福島県白河市白坂(グーグル・マップ・データ)。]

 かの西行か[やぶちゃん注:ママ。]、「道の邊(べ)の淸水流るゝ」と讀(よみ)し、遊行柳(ゆきやうやなき[やぶちゃん注:ママ。])の古蹟など尋ね、むかしの人は見えねとも、「細柳爲ㇾ爲誰綠(さいりうたれかためにみとり[やぶちゃん注:ママ。但し、ルビは分解されて附されあり、返り点に従って整序した。])なる」と、杜少陵か[やぶちゃん注:ママ。]句を想ひ出《いあ》して、折(おり[やぶちゃん注:ママ。])に合《あは》されど[やぶちゃん注:ママ。「ざれど」。]、いと興ありて覚へたり。

[やぶちゃん注:「西行」が『「道の邊(べ)の淸水流るゝ」と讀し、遊行柳』私の、かなりリキを入れた『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅14 遊行柳 田一枚植ゑて立ち去る柳かな』の私の注を参照されたい。

『「細柳爲ㇾ誰綠」と、「杜少陵」』が「句」杜甫の七言古詩「哀江頭」(江頭(かうとう)に哀しむ)の第四句だが、不全。「細柳新蒲爲誰綠」で「細柳(さいりう)新蒲(しんぽ)  誰(た)が爲にか綠(みどり)なる」である。所謂、人事の無常と不易の自然の感慨の吐露である。全篇はサイト「詩詞世界 碇豊長の詩詞」の「杜甫 哀江頭」がよい。]

 西山《にしやま》の入日《いりひ》に、遠寺(ゑんじ)の鐘の聲、晚風(ばんふう)に謝(うた)ふ頃(ころ)、淼茫(びやうぼう[やぶちゃん注:ママ。「べうばう」が正しい。])たる曠原(りろはら)枯野の草の葉末より、一かたまりの燐火、陰々と燃出(もへいで[やぶちゃん注:ママ。])、風に隨(したかつ[やぶちゃん注:ママ。])て、

「ひらひら」

とす。

[やぶちゃん注:「謝(うた)ふ」はママ。崩し字は「謝」に確かに見え、「詠」・「謠」・「謳」・「謌」などとは読めない。「初期江戸読本怪談集」でも『謝(うた)ふ』と起こしてある。しかし、いくら調べても、「謝」の字には「うたふ」の意味はない。甚だ不審である。

「淼茫」水或いは単一の対象状態が広々としているさまを言う。]

『怪し。』

と見るうち、亦、一ツの團火(だんくわ)、同し所より現(あらは)れ、相《あひ》逐(を)ふて、上下し、飛𢌞(とびめぐ)り、霎時(しばし)にして、たちまち、消失(きへうせ[やぶちゃん注:ママ。])ぬ。

[やぶちゃん注:「霎時(しばし)」。「初期江戸読本怪談集」では『しばしば』と振る。確かに後半部は踊り字「〱」に見える(前の「し」に対して、明かに頭が右側に傾いてはいる)が、どうも「しばしば」では、流れがおかしく、躓く。私は「し」と判じた。

「実(けに)や、昔人(せきじん)の詩に、「一将功成(いつしやうこうなり) 萬骨枯(はんこつ[やぶちゃん注:ママ。] かるゝ)」と賦(ぶ[やぶちゃん注:ママ。])したる、古戰場、目(ま)のあたり、是や、人血(じんけつ)の化(くわ)する所ならん。抑(そもそも)、源姓(けん[やぶちゃん注:ママ。]せい)か、平氏(へいし)か、何《いづ》れの時の戰ひ、誰人(たれひと)の鬼火(きくわ)なるや。此邊(《この》あたり)に知る人し[やぶちゃん注:「し」は強意の間投助詞。]あらは[やぶちゃん注:ママ。]、聞《きき》まほし。」

と、彷徨(たちやすら)ひ、筇(つゑ)[やぶちゃん注:「杖」に同じ。]に倚(すがり)て、たち居《をり》たるに、側(かたはら)に、老人、有(あり)。

[やぶちゃん注:「一将功成 萬骨枯」「一將(いつしやう)功(こう)成りて 萬骨(ばんこつ)枯(か)る」故事成句で、「たった一人の武将が城を築くのに、万人の百姓を苦しめた」という謂い。晩唐末期の詩人曹松(そうしょう)の詩「己亥(きがい)の歲(とし)」の一節。戦乱に苦しめられる庶民の暮らしを心配した上で、「君に憑(たの)む 話(かた)る莫(な)かれ 封侯(ほうこう)の事を 一將 功 成りて 萬骨 枯る」(お願いだから、軍功を挙げて、高い地位を得たいなどと言わないでくれ。一人の将軍が功名を上げる陰で、おびただしい数の人骨が朽ちていくのだから)に基づくもの。]

「御僧(《おん》そう)は、かく、あれはてたる草はらの中に、何の感ずる事ありて、延佇(たゝずみ)て詠(なかめ[やぶちゃん注:ママ。])給ふ。」

と問《とふ》。

「されは[やぶちゃん注:ママ。]こそ。斯(かゝ)る事の侍りぬ。此地は、古への垓下(せんじやう)には非(あらざ)る歟(か)。倘(もし)知(しろ)しめす事もあらは[やぶちゃん注:ママ。]、物語し給へ。」

と云《いふ》。

[やぶちゃん注:「垓下(せんじやう)」無論「戰場」の当て訓。高校の漢文で必ずやる、劉邦に攻められ、項羽の虞美人と別れるシークエンスで知られる最終集団戦となった「垓下の戦い」に擬えたもの。]

 老人、頭(かしら)を掉(ふり)、

「是、古戰場に、あらず。又、狐狸《こり》の所爲(なすところ)にても、なし。近き頃、此𠙚(《この》ところ)にて、死せし者の、さむらふ[やぶちゃん注:ママ。「候(さふらふ)」。]。瑣細(くだくだし)けれども、語り聞(きこ)へん。旅中の疲勞(つかれ)を慰めなから[やぶちゃん注:ママ。]、聞《きき》て、話柄(はなしのたね)ともなしたまへ。」

 ……往昔(むかし)、寬保(かんぽ)の頃[やぶちゃん注:一七四一年から一七四四年まで。徳川吉宗の治世。]、これも御僧のことく[やぶちゃん注:ママ。]、諸國を經歷し給ふ衲子(しゆけ)[やぶちゃん注:ママ。「出家」。「衲子」(のつす(のっす))。「衲衣(のうえ)を着る者」の意で、特に禅僧を指す。]、此地に來られつる、その折しも、陽月(かみなづき)[やぶちゃん注:陰暦の十月。]のはしめ[やぶちゃん注:ママ。]に、荒(あれ)のみ増(ます)る木嵐(こがらし)の、落葉(おちば)するやとはありなから[やぶちゃん注:総てママ。「落ち葉する宿は有り乍ら」。]、月たに[やぶちゃん注:ママ。]もらぬ板庇(いたひさし)、しかも周迊(まはり)の柴垣(しばかき)さゑ最(も)、偏疎(まはら)なる[やぶちゃん注:ママ。「疎(まば)らなる」。]に寒蛩(こうちき)[やぶちゃん注:「カンキヨウ」は〙 秋の末に寂しげに鳴く蟋蟀(こおろぎ)を指す語。]、吟(すだく)、夕まくれ、さし寄せたる竹の扉(とぼそ)に、火影《ほかげ》の映(さす)を力《ちから》に、たちより、投宿(やとかる[やぶちゃん注:ママ。])事を乞(こひ)しとき、かの白屋(くづや)のうちより、わかき女《をんな》一人《ひとり》、立出《たちいで》て、

「今宵は、主(あるじ)は他(た)に行《ゆき》ぬ。ことに、御僧に、まいらすべき儲(もうけ)[やぶちゃん注:供養するもの。ここは主に供応する食物を指す。]もなけれは[やぶちゃん注:ママ。]、宿(やど)し參らせん事、叶(かなふ)まし[やぶちゃん注:ママ。「まじ」。。」

 僧、おしかへし、

「さりとも、廡下(のきした)になりとも、卧(ふせ)しめたまへ。雨露(うろ)をだに、かふむらずは、我に於て、事(こと)足(たり)ぬ。もとより、此身は、木の斷(はし)[やぶちゃん注:木の切れ端。木っ端。]か、炭(すみ)の塊(おれ)[やぶちゃん注:板炭の折れ落ちた屑。]とも云《いは》ば、いひなん、のぞみなき心。再ひ熾(をごる)べき憂(うれへ)無(なれ)ば、縱(たちひ)、今、主、歸り給ひても、さのみ、恠(あや)しみ給ふまし[やぶちゃん注:ママ。]。食物は預備(ようひ[やぶちゃん注:ママ。「予備」或いは「用意」か。])もはべれは[やぶちゃん注:ママ。]、こゝろつかひに及は[やぶちゃん注:ママ。]ず。」

と、いふに、扉(とほそ[やぶちゃん注:ママ。])を明(あけ)て入れぬ。

 僧は、草桂(わらじ[やぶちゃん注:ママ。])とく。

 とく[やぶちゃん注:直ぐに。底本では「とく」の後に踊り字「〱」があって続いており、句点も存在しない。されば、このようにシーンを分けてみた。]上にあかり[やぶちゃん注:ママ。]、扨《さて》、かの女を見れば、年は廿(はたい)に、二ツ、三ツ、あまりぬらん、春笋(つまはづれ)[やぶちゃん注:「褄外れ・爪外れ」で、本来は「着物の褄の捌き方」を言うが、転じて、「身のこなし」の意。ここは後者。]、細小(しんしやう[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:「しんしやう」の読みは不審だが(「身小」或いは「芯小」などを想起した。)、意味は、身柄が細っそりとして小柄な手弱女風の体つきを指すのであろう。]にして、顏色《がんしよく》、賤《いや》しからず。野花(やくわ)、人の目に、美(うるはし)と、浩(かゝ)る鄙(ひな)には珍らしかるべし。

 僧は、竃(かまと[やぶちゃん注:ママ。])の前の、竹簀((ゆか)に、頭陀袋(づだぶくろ)を枕に、ふしぬ。

 女も、燈火(ともしび)、吹《ふき》けして、一間なる所に、入て、寢(ね)たり。

 賊風(すきまのかぜ)の、さむしろに、夜《よ》を、寢(ね)かねしまゝ、こし方・ゆくすゑの、おもひ出《いで》られ[やぶちゃん注:ここは自発。]、僧は、夢も結ばて[やぶちゃん注:ママ。「結ばで」。]有(あり)し處に、主の、歸りぬと、覚へて、謦欬(しはぶき)[やぶちゃん注:咳払い。]の戶外(そとも)に聞ゆるにそ[やぶちゃん注:ママ。]、女、一間より、出來り、何やらん、もの語《がたり》して、そのまゝ、伴ひ入(いり)ぬ。

 やゝありて、また、跫(あしをと[やぶちゃん注:ママ。])のして、戶を、あららかに打敲(うちたゝ)き、主(ぬし)、

「今こそ帰りたり。」

といふに、女、

「唯(い)。」

と、應(いらへ)て、たち出《いづ》。

 戸を押明(おしあけ)、

「おもひの外に、おそかりつ。御身の留守に、旅僧(たびそう)の、宿を乞(こひ)しまゝ、おもやに卧(ふさ)しめたり。」

と、いへは[やぶちゃん注:ママ。]、主、聞《きき》て、

「よくこそ、したり。僧を供養するは、その功德(こうとく)、七級浮圖(しちしやうのとう)を造るに、まされりと、きく。まいて、旅僧の、日(ひ)、晚(くれ)、道、遠きに、宿、求むべき方《かた》なきは、さこそ、難義ならん。」

と、云《いひ》つゝ、草鞋・脚半(きやはん)[やぶちゃん注:「脚絆」はこうも書く。]なと[やぶちゃん注:ママ。]、脫(とき)すてゝ、足を濯(あら)ひ、飯(したゝめ)なと[やぶちゃん注:ママ。]するに、僧、

『さては。向來(さき)に入來《いりきた》りしは、主に非ず。』

と知(しり)て、また、思ふに、

『一樹の蔭だに、假(かり)そめならぬ因緣なるを、まいて、それにも勝(まさ)りし今夜の宿、一禮《いちれい》を謝(しや)せん。』

と、起出(おき《いで》)んとせし処に、主は、遠路(とを[やぶちゃん注:ママ。]みち)を踰(こへ[やぶちゃん注:ママ。])きたりし勞(つかれ)にや、一間に入《いる》と斉(ひと)しく、いびきの声、雷(らい)のことく[やぶちゃん注:ママ。]に聞ゆ。

[やぶちゃん注:「七級浮圖」古代インドの仏塔ストゥーパに倣いながら、中国で建立された仏塔の内、重層楼型のものを、「浮屠」・「浮圖(図)」と呼んだ。「七級」は七層の楼の荘厳(しょうごん)を指すのであろう。]

 

Ryosounanwosaskete

[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら

 

 夜半の嵐に、遠寺(ゑんじ)の鐘も、殷々(かうかう)たる比(ころ)しもあれ、俄(にわか)に、一間に、もの音し、

「吁(あな)、くるしや、誰(たれ)そ、扶(たす)けよ、』

と、呻吟声(うめくこへ[やぶちゃん注:ママ。])するは、

『何事にか。』

と、僧は驚くうちに、一人の大男、長き刀を、腰にはさみて、一間より出《いで》、女を呼(よべ)ば、最前(さいぜん)より、眠(ねぶら)ずと見えて、はや、起《おき》て、

「いかに仕課(しおゝせ[やぶちゃん注:ママ。])給ひしか。」

と問《とふ》。

 男か[やぶちゃん注:ママ。]、いふ。

「叓(こと)[やぶちゃん注:「事」の異体字。]、馴(なれ)たり。外《ほか》に、しるもの、なしや。」

 そのとき、指さして、云(いふ)。

「宵に、止宿(ししゆく)させつる旅僧(りよそう)のみ、此事を知りけむ、はかりかたし。」[やぶちゃん注:「知っているかも知れず、それは、どうともいえない。」の意。]

 男、首肯(うなづき)て、

「心やすかれ。我、計較(なすべきかた)あり。」[やぶちゃん注:「計較」「けいかう」が正しいが、慣用読みで「けいかく」とも。「はかりくらべること・比較してみること」の意だが、ここは「仕方・計略」の意。]

とて、聲を勵(はけま[やぶちゃん注:ママ。])し[やぶちゃん注:大声で。]、僧を、よひ[やぶちゃん注:ママ。]起す。

 僧、心におもへらく、

『彼(かれ)、必定(ひつでう[やぶちゃん注:ママ。])、女か[やぶちゃん注:ママ。「が」。]ための奸夫(かんふ)にて、向來(さき)にきたりて、隱れ在(あり)、主の帰るを、まち、殺せるならん。我をも、活(いき)ては置(おく)まじ。』

と、心寒(むねつぶれ)たれど、答應(いらへ)もせず、故(わざ)と、鼾息(いびき)の音して居《をり》たるに、かの男、枕元を、踏轟(ふみとゝろか[やぶちゃん注:ママ。])し、

「旅僧に、煩(たのむ)べき事、あり。夙(とく)、起(おき)候へ。」

と呼(よば)わる[やぶちゃん注:ママ。]に、僧、

「應(おゝ)。」

と、いゝて、起たり。

「主《あるじ》、歸り給ひしか。今宵は、宿を許されまいらせ、辱(かたじけ)なき事よ。」

と、始《はじめ》て目の醒《さめ》つることく[やぶちゃん注:ママ。]に、もてなすに、男、一間より、葛籠(つゝら[やぶちゃん注:ママ。])を扛(かき)て出《いで》、僧の前に置(おき)、

「我は、此家の主にあらず。宿の主は、此中に在《あり》。いさ[やぶちゃん注:ママ。]、擔(にな)ひて、我に隨ひ來《く》れよ。」

と云。

「是を、荷《にな》ひて、いづくに、行き侍らん。」

と、とへば、

「ともかくもあれ、速(すみやか)に負(おひ)候へ。我、行《ゆく》べきかた、あり。」

と、眼(め)を大《だい》になし、声を暴(あらゝ)け[やぶちゃん注:ママ。]ていふに、詮方(せんかた)なく、僧は、かの葛篭(つゝら[やぶちゃん注:ママ。])を、おひぬ。

 男は鍤(くわ[やぶちゃん注:ママ。])を荷(かつぎ)つゝ、夫《それ》より外面《とのも》に出《いで》、先に立(たち)て步み行《ゆく》。[やぶちゃん注:「鍤(くわ)」の「鍤」は(つくり)を貫く縦画が、下まで伸びている(縦画のみは「グリフウィキ」のこれに近い)。(つくり)の「臼」型の部分が出ている当該字で代えた。但し、ここに附された読みは誤りで、「くは(鍬)」ではなく、「すき(鋤)」の意である。

 むさし野にあらされ[やぶちゃん注:ママ。]ども、草《くさ》より、草に入る月の、影をしるべに、果(はて)もなき、廣莫(ひろの)を、四、五十けん[やぶちゃん注:七十・七二~九十・〇九メートル。]も來《きた》りぬらんと思ふころ、

「旅僧、しばらく、息肩(やすみ)候へ。」

と、いふに、葛籠を下(おろ)しぬ。

 男は鍤をもて、土を穿(うか[やぶちゃん注:ママ。])つに、腰間(こし《ま》)なる刀の障礙(じやま)と成るゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、脫(ぬい)て、僧に、わたし、

「少時(しばし)、これを、あつかり[やぶちゃん注:ママ。]得させよ。」

と云に、太阿(たいあ)を倒(さかしま)に持(もち)し仇人(あだ《びと》)に授(うく)るの諺(ことわざ)、これや、因果報應顯然(けんぜん)の理(ことわり)ならん、僧、心に思ふは、[やぶちゃん注:「太阿」は「史記」などに見える中国古代の銘剣。諺の出所や原文は知らぬが、意味は納得出来る。]

『此もの、穴を堀[やぶちゃん注:ママ。]おわら[やぶちゃん注:ママ。]ば、我をも、殺して、かの尸(かばね)と倶(とも)に合葬(かつそう[やぶちゃん注:総てママ。])すなるべし。あに、手を束(つか)ねて、死を待(また)んや。況(まし)てや、かゝる兇𢙣(きやうあく)[やぶちゃん注:「𢙣」は「惡」の異体字。]の徒、佛法王法の許さるゝ處なり。渠(かれ)を害して一夜《ひとよ》の宿《やど》の主《あるじ》の仇《あだ》を、むくゆべし。弥陀の利剣、多門[やぶちゃん注:四天王の一天なる多聞天(=毘沙門天)。宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)や、時に三叉戟を持って造形される。]の矛(ほこ)、方便(はうべん)の殺生、此ときなり。』

と、かの刀を拔出(ぬき《いだ》)し、男か[やぶちゃん注:ママ。]穴をほり居《をり》たる背後(うしろ)より、唯《ただ》一刀《ひとかたな》に斫付(きり《つけ》)たり。

「吁(あ)。」

と、叫んで、轉(ころ)ぶところを、たゝみ懸《かけ》て斬伏(きりふせ)て、力まかせに突殺(つきころ)し、僧は、夫より、足を早めて、南をさして走る程に、凡《およそ》百步ばかりも過《すぎ》て、兩三軒の民家、比屋(のきをならべ)て立《たて》るあり。

 立寄《たちより》て、戶を、うちたゝけば、人、出《いで》て、

「何誰(たそ)。」

と問。

 僧、

「かゝる事、ありき。」

と、始《はじめ》より、尓々(しかしか)もの語れは[やぶちゃん注:ママ。]、大勢、起《おき》て云《いふ》。

「然らは[やぶちゃん注:ママ。]、その女をとらへなは[やぶちゃん注:ママ。]、善𢙣・真偽、粉墨(わかる)べし。」[やぶちゃん注:「粉墨(わかる)」は不審な読みである。「粉墨」とは白粉。眉墨で粉飾することであるから、「粉墨を落として、元の面を露わにする」というのなら判る。]

と、俄に、四隣(しりん)の健(すこやか)なる男を擇(ゑら[やぶちゃん注:ママ。])みて、僧を、あんないし、かの、ひろはらの孤家(ひとつや)へぞ、向ひゆく。

 未だ寢(ね)ずして、消息(おとづれ)をまち侘(わび)ぬと見へ[やぶちゃん注:ママ。]、女は、燈火(ともしび)、明(あかる)くして居(い[やぶちゃん注:ママ。])けるか[やぶちゃん注:ママ。]、表に、ひそやかに足音のするを、聞(きゝ)、やかて[やぶちゃん注:ママ。]、立出《たちいで》、戶を、明《あけ》たり。

「いかに。僧をも、殺し給ひしや。」

と問《とふ》とき、思ひかけずも、農夫あまた、柴の戶のうちに、こみいり、乍(たちま)ちに、女を、とらへ、絏紲(からめ)ぬ。[やぶちゃん注:「絏紲」は孰れも罪人を縛る繩を指す漢語。]

 鷄(とり)も、しばしば、うとふころ、東林(とうりん)、しらみければ、人を遺(つかは)して、かの尸《かばね》を尋《たづね》させ、僧もろとも、女を引《ひき》て、郡(こほり)の守(かみ)の奉行所へ、いたる。

 郡守、諸人《しよにん》の訴訟を聞《きき》、女を責問(せめとは)れけるに、隱す事、能(あた)はず、ことことく[やぶちゃん注:ママ。後半の「こと」は踊り字「〱」。]、招(はくでう[やぶちゃん注:ママ。])す。

 依(よつ)て、女か[やぶちゃん注:ママ。]首を斬(きら)しめ、奸夫(かんふ)の首と倶に、梟木(きやうぼく[やぶちゃん注:ママ。]「けふぼく」が正しい。)に曝(さら)し、宿《やど》の主か[やぶちゃん注:ママ。]尸(かばね)をば、其僧に命(おゝせ[やぶちゃん注:ママ。])て、ちかき寺院に送り、葬(ほうむ)り吊(とむら)ひを、なさしめて後《のち》、その行所《ゆくところ》に任(まか)されけり。

 斯(かく)て、その后(のち)、土民等(どみんら)、淫婦・姦夫の二ツの首を、此ひろ野に埋(うづめ)しか[やぶちゃん注:ママ。「しが」。]、陰雨(いんう)のときは、二ツの鬼火(きくわ)、相雙(《あひ》ならび)て、飛出《とびだ》し、こゝに、閃爍(ひらめき)、かしこに燃(もへ[やぶちゃん注:ママ。])、瓢蕩(ひやうとう[やぶちゃん注:総てママ。「へうたう」が正しい。当てもなく漂うこと。])としては、又、屮(くさ)むらに入《いり》て消滅す。[やぶちゃん注:「    屮」「草」の異体字。]

「唯除五逆(ゆいじよごぎやく)ときく時は、弥陀の慈悲にも洩(もれ)たる者、幽鬼と成《なり》ては、冥間(めいかん)を出離(しゆつり)する事、あたわ[やぶちゃん注:ママ。]ずして、猶、業身(ごういん[やぶちゃん注:ママ。])を見すにこそ、御僧も、只今、かゝる物語を聞《きき》給ひ、三佛乘(さんぶつじやう)の緣とも覚(おぼ)し、吊《とふら》ひ得させ給へかし。」

と云《いふ》に、僧も、

「あわれ[やぶちゃん注:ママ。]なる事、承りぬ。これや、煩惱卽菩提のたねならめ。老人の御庇(《お》かけ[やぶちゃん注:ママ。「御蔭」。])にて、旅行の苦(うさ)をも、晴(はら)し候。」

と、鉦(かね)、うちならして、念佛し、かの老人に別れをなして、猶も、奧へそ[やぶちゃん注:ママ。]趣きけり。

[やぶちゃん注:「唯除五逆」「WEB版新纂浄土宗大辞典」の「唯除五逆誹謗正法」(ゆいじょごぎゃくひほうしょうぼう:現代仮名遣)に拠れば、『念仏を称える衆生は全て救われるのであるが、ただ』、『五逆の罪および正法を謗る罪を犯したものだけは救われないということ』とある。詳しくは、リンク先と、解説の中のリンク先を読まれたい。

「三佛乘」サンスクリット語では「トリーニ・ヤーナーニ」或いは「ヤーナ・トラヤ」と称し、孰れも「三つの乗り物」の意を表わす。「乗」(乗り物)は、人々を乗せて仏教の悟りに至らしめる教えを譬えていったもので、大乗仏教では、それに声聞(しょうもん)乗(仏弟子の乗り物)、縁覚(えんがく)乗(独りで悟った者の乗り物)、菩薩乗(大乗の求道(ぐどう)者の乗り物)の三つがあるとする。但し、部派仏教(いわゆる小乗仏教)ではこの内の菩薩乗を説かず、代わりに仏乗(仏の乗り物)を立てる。初期大乗経典である「法華経」では、三乗は一乗(仏乗・一仏乗ともいう)に導くための方便であり、本来は、真実なる一乗によって、凡ての衆生は、等しく仏になると説いている(小学館「日本大百科全書」に拠った。

本篇は、シークエンスの順序や、一部の展開部を変えてあるが、寛文三(一六六三)年刊の知られた怪奇談集の仮名草子『「曾呂利物語」正規表現版 第五 五 因果懺悔の事』をインスパイアしていることが、明白である。これは、本書に先行する延宝五(一六七七)年の「宿直草」でも分割転用されており、それらの話もリンクさせてあるので、是非、読まれたい。

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