譚海 卷之五 武州秩父領三峯山の事
[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]
○三峯山(みつみねさん)の社(やしろ)といふは、秩父の奥、大瀧(おほたき)といふ山中にあり。この神、甚(はなはだ)、靈(れい)、有(あり)。守札(まもりふだ)を門戶に張付置(はりつけおく)ときは、盜賊の難をさけると、いへり。中山道熊谷驛の西より、秩父へ行(ゆく)みち、あり。二泊ほどをへて、「下はくれ」・「上はくれ」なと[やぶちゃん注:ママ。]いふ峠を、こゑ[やぶちゃん注:ママ。]、至る所なり。嶮岨、いふべからざる道なり。棧道(さんだう)あり。その外、所々の橋も、皆、丸木を、藤かづらにて結ひて、わたる所、おほし。銀(しろがね)のくさりにすがりて、のぼる所も、あり。秩父、深山、行どまりの所にて、又、同じ道を歸る事なり。然れども、時々、貴人の代參など、往來、たゆる事、なし。武甲山に近き所也といふ。又、三峯の麓、大瀧といふ所に、甲州・信州へ通ふ道、有(あり)て、關(せき)あり。關をこゑて[やぶちゃん注:ママ。]、甲州の府中へ至る、山道、只、七里、有(あり)。壹騎(いつき)うちにて、甚(はなはだ)、難所也。所々、大木の朽(くち)て、たふれたる、道にふさがり有(あり)て、その木の上を、またぎこゑ[やぶちゃん注:ママ。]、又は、下をくゞりて、とほる所、多し。然れども、甚(はなはだ)、近道也。順道(じゆんだう)を、もとめて、まはり行(ゆか)ば、府中まで、三十里ありとぞ。
[やぶちゃん注:「三峯山の社」埼玉県秩父市大滝(グーグル・マップ・データ。後に出る熊谷を東北に配した)にある三峯神社。ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。
「守札」三十年程前に妻と訪れ、これを貰った。狼を左右に配した御札で、元三大師(がんさんだいし)良源の「角大師護符」と並んで、無神論者である私が特異的にお気に入りのもので、居間の飾り書棚に今も一緒に掲げてある。
『「下はくれ」・「上はくれ」なといふ峠』戦前の地図を探したが、「はくれ」の地名や峠名を確認出来なかった。識者の御教授を乞うものである。以下の武甲山の麓を旧「熊谷宿」から廻る二本の三峯神社への参道らしいのだが。
「武甲山」(ぶこうざん・ぶこうさん)は埼玉県秩父地方の秩父市と横瀬町の境界に位置する山で、秩父盆地の南側にあり、標高は千三百四メートル。ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。
「一騎うち」「一騎打ち」。「うち」は「馬を走らせること」を言う。馬一騎ずつを一列に並べて進むしかないほど、山道が狭いことを言う。
「順道」近道などを用いずに、順当な道筋を行くこと。
「三十里」これは大道で現在の一里で、しかも、行程実測と思われる。]
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