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2023/07/02

奇異雜談集巻第二 ㊁糺の森の里胡瓜堂由來の事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵をトリミング補正して掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   ㊁糺(たゞす)の森の里(さと)胡瓜堂(きうりだう)由來の事

 糺の森は、むかし、大木(たいぼく)、おほく、保境(ほうきやう)[やぶちゃん注:境内地。]、ひろし。社頭、いらかを磨き、神威靈驗、あらたなり[やぶちゃん注:「あらたかなり」に同じ。]。

[やぶちゃん注:「糺の森」ここ(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)]

 地下《ぢげ》[やぶちゃん注:周辺の一般の民草。]、五、六町[やぶちゃん注:五百四十五~六百五十四半メートル。]、繁盛し、民家、おほく、つらなる。叡山より、出京の街道なるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、人の往來、絕ゆることなし。

 地下の、にしよりに、きれいにして、おほきなる家、あり。「ちや屋」なり。

 家ぬしは、婦人にして、夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])、なし。一、二年、ひとりやもめなり。つねに、茶屋の本座(ほんざ)に居(ゐ)て、茶を、うる。[やぶちゃん注:「本座」高田氏の注に『店の主人の坐る場所』とある。]

 おもてに、いたをもつて、かりに棚(たな)をつりて、胡瓜(きふり[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。])、五、六を出して、賣る。

 山の小法師原(こぼうしばら)、三人、同道して通るが、

「めつらしき[やぶちゃん注:ママ。]胡瓜あり。」

とて、よりてみる。

 ひとりのわらは、手に胡瓜をとりて、

「わが坊のばうずのわたくし物は、たゞ、是よ。かたちも、此のやうなるぞ。」[やぶちゃん注:言わずもがな、「わたくし物」は陰茎のこと。稚児僧は男色の対象とされたので、しっかり知っている訳である。]

といふて、棚に置きて、三人、わらひて、ゆけり。

 内婦、きゝて、心をうごかし、念を、むすぶ。

 おもひ、やゝ、いやましにして、思案・工夫するゆへに、一《ひとつ》の方便を、えたり。

 三人のこばうしばら、京に入《いり》て、おもひおもひの用を、弁(べん)ずるゆヘに、歸路は各々(おのおの)なり。

 内婦、めをはなたず、かいだうを見て、小法師ばらのかへるを、待つ。

 かのきふり、手にとりしわらは、一人、とをり[やぶちゃん注:ママ。]ゆくをみて、内婦、これをよびて、

「物申すべき事あり。」

とて、先(まづ)、茶を、すすむ。

「その方は、何谷(なにだに)何坊(なにばう)の人ぞ。」

と問へば、わらはのいはく、

「東塔(とうどう[やぶちゃん注:ママ。])のひがしだに、『正覚坊(しやうかくばう)』に候。」

と、こたふ。[やぶちゃん注:「正覚坊」現存しないが、歴史的資料を見ると、確かに比叡山東谷(所謂、「東塔」(とうとう)地区)に正覚坊はあった。]

 婦のいはく、

「御ばう樣は、祈禱のために、いづかたへも、御出で候や。」

と、いへば、

「なかなか。いづかたへも御出《おいで》候。」

といふ。

「こゝもとの、見ぐるしき所へも、御出であるべきや。」

「なかなか、御出あるべし。」

といふ。

 婦のいはく、

「われわれ[やぶちゃん注:謙遜の一人称単数。「わたくしめ」。]、年久しきりうくわん[やぶちゃん注:ママ。「立願(りふぐわん)」。]の事候ひて、七日の護摩(ごま)をおこなひたく候。おくのざしきを見給へ。」

と、いへば、わらは、ゆきて見れば、四間(よま)のざしきにをしいた[やぶちゃん注:ママ。「押板」。「床の間」のこと。]あり、次は三間(みま)、また、三でうじき[やぶちゃん注:ママ。「三疊敷」は「さんでふじき」が正しい。。]なり。

「護摩も、しかるべき手(て)つかひ[やぶちゃん注:ママ。「手番(てつが)ひ」で、高田氏の注に、『遣(てづか)いに同じ。手はず。てくばり』とあった。]なり。」

といふ。

「しからば、そのはうを賴み入れ候。」

といひて、飯酒、すすむ。

 七日の朝夕(てうせき)御布施のやうだい[やぶちゃん注:「樣體」。仕来たり・作法。]、談合す。

「御坊へ、うかゝひ[やぶちゃん注:ママ。]ありて、明日のべんぎ[やぶちゃん注:「便宜」。]に、御さううけたまはりたく候。」

と、いへば、わらは、

「心得申す。」

とて、山に、かヘりゆき、その翌日(よくひ)、かのわらは、きたりて、御りやうしやう[やぶちゃん注:「了承」。]の由を申す。

 内婦、よろこんで、また、飯酒、すすめ、引物(いんぶつ)[やぶちゃん注:贈り物。]をあたふ。

「しからば、明日、御とも申し、まいるへく[やぶちゃん注:総てママ。]候。」

とて、歸る。

 そのあけの日、かのわらは、本尊のゑばこ[やぶちゃん注:「繪箱」。本尊を絵に写したものを入れた箱。]、護广[やぶちゃん注:ママ。](ごま)の檀[やぶちゃん注:ママ。]、仏具の箱、ごま木(き)、礼盤(れいばん)等(とう)をになひ、もちきたる。

[やぶちゃん注:「礼盤」高田氏の注に、『本尊の前に置く壇。導師が礼拝を行う台。らいはん』とあった。]

 あとに御坊、ただ中方(《ちゆう》ばう)一人、小者(こもの)一人ばかりにて、御出《おいで》あり。

[やぶちゃん注:「中方」同前で、『雑務にあたる身分の低い僧。法事執行の』際、『助手の役をはたす。なかかた。中坊』とある。]

 内婦、よろこびて、奧の座敷へ請じ申し、やがて、ざしきをかざりて、ごまを、はしめ[やぶちゃん注:ママ。]らる。

 

Tyayaonanokakusei1

 

[やぶちゃん注:底本では見開きに二図がのる

 

 内方《うちかた》[やぶちゃん注:「内婦」に同じか。]、ごんぎやうのひまを、ねらふ[やぶちゃん注:ママ。]てとりより[やぶちゃん注:言い寄り。]、引きおとさん[やぶちゃん注:無理に引いて共寝しよう。]とすれども、すこしもゆだんなく、灯明(とうみやう)、をこたら[やぶちゃん注:ママ。]ず、ごんぎやう・かんきん[やぶちゃん注:「看經」。]し、よこ臥(ぶし)し給はず、とりしよるべきやう、さらになくして、七日、すでに。おはれり[やぶちゃん注:ママ。]

 内婦のけしきを、怪しく思ひ給《たまひ》て、いとまごひもせず、門(かど)に出《いで》給ふ。

 内婦、かどをくり[やぶちゃん注:ママ。]にいでて、したひゆく。

 御坊の御身近く、よりてゆくほどに、御坊、あしばやに、ありき給へば、婦も、また、あしばやに、ありく。

 中方・小者、よりて、

「さやうには、なき事ぞ。しりぞけ。」

といへども、もちひず。

 

Tyayaonanokakusei2

 

 なを[やぶちゃん注:ママ。]、袖にとりつくを、ひききり、はしりゆき給へば、婦も、また、はしらんとするを、御むかへにきたりたる衆(しゆ)・供奉(ぐぶ)の衆、みな、をさへ[やぶちゃん注:ママ。]てひきとむれば、御坊は、はるかに、ゆきさり給ふを見て、婦人、おほきにいかりて、けしき、變じ、おそろしく、すさましく[やぶちゃん注:ママ。]なりて、みちのほとりに、池水(いけ《みづ》)ありしに、とび入《いり》て、たちまち、大虵(だいじや)となる。

 諸人(しよにん)、あつまりて、みる事、群(ぐん)を、なせり。

「是、たゞ事に、あらず。」

といふて、地下《ぢげ》より、管領(かんれい)へちうしん[やぶちゃん注:「注進」。]申せば、人、數《かず》きたり、兵革(ひやうかく)をたいして[やぶちゃん注:「帶して」。]、大虵を退治す。

 ころしおはつて[やぶちゃん注:ママ。]、土(つち)をあつめて、池をうめ、虵(じや)を、うづみて、そのうへに、堂を、たつ。きりいしを、もつて、堂をつくり、佛像をあんちし、香花(かうはな)をそなへて、かの婦人の、しうしんあくごう[やぶちゃん注:「執心惡業」。]、蛇躰變作(《じや》たいへんさ)のざいしやう[やぶちゃん注:「罪障」。]をとぶらふなり。

 此堂、「きふり」より、事おこるゆへに、「胡瓜堂」となづくるなり。「應仁の亂」中(ぢう)に、地下民家(ぢげみんか)、たいてん[やぶちゃん注:「退轉」。]すといへども、石の堂は、のこりて、今に、あり。

 此の雜談、津田紹長(つだのぜうちやう)、

「叡山にて、聞く。」

と、いへり。

[やぶちゃん注:「津田紹長」高田氏の注に、『不詳。泉州堺の茶人津田宗及の関係者か』とある。

 一物の長さだけで、魅了されるこの女は、恐らくは、かなり特異的なニンフォマニア(nymphomania)としか思われない。正覚坊の坊主の年齢も容貌も聴かずに、招聘しているからである。しかし、年も茶屋の経営の様子や挿絵からは、中年とは思われず、寧ろ、文字通り、番茶も出花の女性であって、されば、そうした病的な色情疾患であれば、幾らも市井に相手は、いよう筈であり、或いは、この小坊師のふざけた台詞に敏感に、しかも突発的に感応し、それまで潜在していたニンフォマニア疾患が覚醒してしまった不幸なケース(或いは彼女は処女であったのかも知れない)とも考えられる。そうした未経験者の遅い覚醒型のニンフォマニアの思い込みの強さが、愛憎の結果として、遂に身を蛇体へ変じるというのは、寧ろ、判り易い神話や伝説の古形をもとにしていると言えるのである。

 なお、「胡瓜堂」は実在しないようである。ネットで検索すると、かなりセクシャルな内容の画像を持った怪しい複数のポルノ的サイトがかかってくるので、検索はおやめになった方がよろしいかと存ずる。]

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