フライング単発 甲子夜話續篇卷之四十四 16 桑名の大鼠
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。
なお、冒頭、「是も緋威」(ひおどし)「が話し」とあるのは、この前の前の44―14の話、「安藝(あき)の狸(たぬき)、人と交語(かうご)す」で、静山が、年来(としごろ)、親しくしていた、『世に知れたる關取の角力(すまふ)、緋威(ひおどし)』という安芸出身の力士の話が載っており、その同一人物の語りを受けたものである。この力士、初代緋縅力彌(ひおどしりきや 明和九(一七七二)年~文政一三(一八三〇)年:静山より十二年下)は、かなり知られた大関である。当該ウィキによれば、安芸国山県郡川戸(現在の広島県北広島町)の出身で、本名は森脇勝五郎。身長一メートル七十七センチメートル、体重百十六キログラム。幕内生活二十一年という、『驚異的な長期間の活躍が記録されている。上位陣にはあまり通じなかったが、下位には』、『順当に』、『取りこぼし少なく』、且つ、『運良く』、『一場所だけ大関に昇進した。引退後は「赤翁」と称し、養子であった錦幸太郎改め』、二『代目緋縅力弥(緋縅力弥)の活躍を楽しみとした』とある。]
44―16
是も緋威が話しは、先年、京より歸る道中、桑名に宿りしとき、自餘の角力取(すまふとり)は、皆、妓(ぎ)を買(かひ)に往き、己(おの)れ一人、留守をしてゐたるに、風呂所(ふろどころ)の槽樋(をけとひ)の下より、鼠、出たり。
その大(おほい)さ、猫ほども、あり。
緋威、是を捕へんと、かの槽に追(おひ)こめたれども、見えざれば、其口に魚網を張り、湯を樋につぎ入れたれば、鼠、驚き、出(いで)て、網に羅(かか)れり。
よつて、捕へ、多葉粉(たばこ)に唐辛(たうがらし)をまぜて、吹(ふき)かけたれば、口より漚(あわ)は出(いだ)せども、中々、よわらず、再遍[やぶちゃん注:何度も。]、かくせしかば、息、絕(たえ)たりしが、やがて、復(また)、蘇(よみがへ)りたれば、
『もし、これを放さば、定(さだ)て、夜中、仇(あた)をなすべし。殺(ころす)にしかず。』
迚(とて)、脇指(わきざし)を拔きたれば、亭主、聞きつけて、かけ來り、平伏して、
「何卒、これを御助け下さるべし。」
と云故、緋威、云ふ。
「この大鼠、今、殺さずんば、害あらん。何(いか)にして止(と)むるや。」
と問へば、
「御不審、尤なり。是には、仔細あり。その仔細は、某(それがし)は養子なり。この家、養子をすれば、頓(やが)て出(いで)、終(つひ)に居(ゐ)つく者、なし。某も、初めは知らずして來りしが、其夜、ふせりゐると、何か物音するゆゑ、目を覺(さま)し、見たれば、大さ、圓盂(まるばち)ほどもあらん黑蛇《くろへび》の、身を、半ば、立(たて)にして、向ひ來(きた)る。側(かたはら)に臥(ふし)たる養母を見れば、夜衣(やぎ)を引(ひき)かむりてあり、斯(か)くすると、大鼠、二匹、出(いで)て、某が臥たる邊(あたり)を、終夜(よもすがら)、旋(めぐ)りてありたれば、この蛇、遂に來りつくこと無くして夜明けたり。かゝれば、此鼠は、この家の主護なり。夫(それ)故に助命をかへすがへすも乞申(こひまを)すなり。」
と云へば、緋威、是を聞《きき》て、きみ惡く思ひたれど、
『流石(さすが)、力士と云(いは)るゝ者、弱みを見せてはすまず、また、放しなば、返報に荷物など喰(く)はれんも、外聞あしゝ。』
と思ひ、
「明朝、この家を出立し後(のち)、放すべし。」
と云ひて、其夜は、氣丈なる顏をして、こはごは、枕元に置き、翌朝に至り、亭主に渡し、發足(ほつそく)せしとぞ。
この家は、酒屋久大夫と云ひて、今に有り。この久大夫も、去年迄は、達者にて居《をり》たり。
又、その後《のち》、桑名の町、燒亡せしが、又、其所(そこ)を通行せしゆゑ、久大夫が方(かた)に立休(たちやすら)ひ、
「かの大鼠は、何(い)かに。」
と聞きたるに、
「燒後(やけしのち)は、何地(いづち)へ往きしや、見ず。」
となん。
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