譚海 卷之八 房州の犬伊勢參宮の事 /(フライング公開)
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。]
寬政二年の秋、安房國、ある莊屋の許(もと)に飼ひたる犬、
「伊勢參宮したき。」
よし、主人の夢に見えけるとて、其犬を參宮にいだし立(たて)ける。
村送りに、人をつけてやりけるに、この犬、恙なく、參宮して歸りける。
勢州にも、見たる人の物語りせしは、他(ほか)の犬と違(ちがひ)て、呼(よび)て、ものを、くはすれば、やがて、人家の板敷のうへに、のぼり、うづくまり居(ゐ)て、物をくひ、みたし、
「最早、いね。」
と、いへば、其まゝ、飛(とび)おりて行(ゆき)ける。
はじめ、主人より鳥目(てうもく)三百文、犬の頭(かしら)に、かけて出(いだ)しけるが、路次(ろし)にても、鳥目(てうもく)、五文、三文づつ、あたふる人、有(あり)て、歸路には、三貫文にあまりたるほどに成(なり)て、犬のくびにかけてやりがたければ、村送りの者、持送(もちおく)りて、やりたる事に成(なり)たり、とぞ。
[やぶちゃん注:「寬政二年」一七九〇年で、これは伊勢神宮参拝の「抜け参り」が、爆発的なそれとなって、「御蔭参り」(明和八(一七七一)年以降)と呼ばれるようになって以降の話である。「御蔭参り」の様子は曲亭馬琴「兎園小説拾遺」に数回に亙って詳しく記されているが(私のブログ・カテゴリ「兎園小説」参照)、飼い主や雇われた随行者が連れて行くのではなく、犬が単独で伊勢神宮に行くのである(ここで言う「村送り」というのは、添え状を犬に添えて次の村や宿の村名主(庄屋・肝煎)や宿場の管理者宛で送り出すことで、或いは、人の「お蔭参り」の誰彼が次の村までその随行を行ったこともあったであろうが、基本、驚くべきことだが、犬一匹で丁重に送られたケースもあったのである)。さらに、『曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「松坂友人書中御陰參りの事」』で注したように、驚くべきことに、犬ばかりか、豚まで単独参宮した事実があるのである。「耳囊 卷之九 奇豕の事」に『文化六年』(一八〇九年)『豕(ぶた)壹疋、藝州より送り狀相添(あひそへ)、繼送(つぎおく)り來り候旨、右豕參宮致(いたし)候、送り狀』が示されてあるのである!]
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