譚海 卷之五 下野日光山がんまん瀧地藏石佛かぞへ定めがたき事 附房中冬月幷岩たけの事
[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]
○日光山中、「がんまんの瀧」へ、まうづる道に、石佛の地藏尊、百軀(たい)あり。はじめより、かぞへさだむるに、誰(たれ)にても、たしかにかぞへあつめしもの、なし。十人、かぞふれば、十人ながら、その數(かず)、たがふ。不思議なる事に、いひ傳へたり。すべて、日光山は深山ゆゑ、嚴冬は、至(いたつ)て、雪、ふかく、房中の僧も、みな、机の下に火燵(こたつ)を、しかけ、その上にて、讀書するなり。水風呂、懸樋(かけひ)の水、冰(こほ)る事、たびたびにて、難儀なるよし。病身の人、他邦(たはう)より、來りて、一兩年も住山(ぢゆう)すれば、必らず、靑く腫(はる)る病(やまひ)を受(うく)ると、いへり。山中の產(さん)、おほき中に、岩たけ、殊に絕品(ぜつぴん)也。さる深山幽谷の岩上(がんしやう)に生(しやう)ずる事故、風味、他所(よそ)のものに比類すべきにあらず。又、大屋川(だいやがは)の海苔(のり)を取て製するを、「川海苔」と號す。疊一枚ほどの大さなるもの也。至(いたつ)て香氣、はげしく、珍味也。海苔の色、みどりにして、さなから[やぶちゃん注:ママ。]、山水の氣を帶(おび)て、口中(こうちゆう)にふくむに、淸絕(せいぜつ)なる事、云(いふ)べからず。但(ただし)、久しく、たくはふれば、味(あじは)ひ、敗(はい)し安し。
[やぶちゃん注:「がんまんの瀧」栃木県日光市匠町(たくみちょう)にある「憾満ヶ淵」(かんまんがふち:グーグル・マップ・データ)。サイト「日光旅ナビ」の「憾満ヶ淵」によれば、『男体山から噴出した溶岩によってできた奇勝と大谷川の清流が織りなす自然美』で、『川岸に巨岩があり、岩上に晃海僧正(こうかいそうじょう)によって造立された不動明王の石像が安置されていましたが、その不動明王の真言』『の最後の句から「かんまん」の名がついたといわれています』。『南岸には』、『数えるたびに数が違うといわれることから』「化地蔵(ばけじぞう)」と呼ばれる約七十体の『地蔵群が、また』、『上流の絶壁には、弘法大師が筆を投げて彫りつけたという伝説のある「かんまん」の梵字が刻まれており』、『弘法大師の投筆』(なげふで)『とよばれています』とある。
「靑く腫る病」「レイノー症候群」である。機能性末梢動脈疾患の一種で、寒さに対する反応として惹起される細動脈の狭窄が、正常時より強くなる状態になったもので、通常は手足の指の細動脈が侵されて青白くなったり、痺れやチクチクする異感覚が生じたりする症状を発する。「レイノー」は一八六二年に、この疾患現象を報告したフランスの医師Raynaud(レイノー)に因む。私は高校時代、「冷悩(或いは「膿」)症」と思い込んでいた。
「岩たけ」菌界子嚢菌門チャシブゴケ菌綱チャシブゴケ目イワタケ科イワタケ属イワタケ Umbilicaria esculenta 。参照した当該ウィキによれば、『深山の岩壁に着生する地衣類の一種』で、『東アジアの温帯に分布し、中国、朝鮮、日本では山菜、生薬として利用する』とある。より詳しくは、私の「日本山海名産図会 第二巻 芝菌品(たけのしな)(=茸蕈(きんじん)類=きのこ類)」の「イハタケ」を参照されたい。
「大屋川の海苔」「大屋川」は憾満ヶ淵のある、日光を貫流する「大谷川」(だいやがわ)が正しい。「海苔」は緑藻植物門トレボウクシア藻綱 Trebouxiophyceaeカワノリ目カワノリ科カワノリ属カワノリ Prasiola japonica のこと。当該ウィキによれば、『岐阜県や栃木県、熊本県などの河川に生息』(関東地方から鹿児島県にかけて太平洋に注ぐ河川の上流(渓流)にほぼ限定されて分布)するが、『日本海側の河川からは発見されていない』。『渓流の岩石に着生して生活するが』、『生息数は少なく』、『日本では絶滅危惧種に指定されている』。『夏から秋にかけて採集され、川海苔として食用にされ』、『産地の河川名を頭につけて呼ばれることもあり』、ここに出たのは「大谷川のり」と呼ばれ、他に「桂川のり」「菊池のり」「「芝川のり」などと呼ばれる』とある。長く日本固有種と考えられていたが、現在では、中国と韓国にも分布することが知られている。]
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