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2023/08/17

フライング単発 甲子夜話卷之四十七 36 濃州久須美山中の蟒蛇 / 37 同、木實村川の蛇橋

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。「蟒蛇」は「うはばみ」。続いている話で、宵曲も続けて載せていることから、特異的に二話を電子化した。]

 

47―36

 林[やぶちゃん注:林述斎。]話に、濃州岩村領惠那郡久須美村に「山中(やまなか)」と字(あざな)する所、今は兀山(はげやま)のよし。昔は灌莽(くわんまう)、生茂(おいしげ)りたりしとなん。

 今の城主【能登守乘保。】)先代【能登守乘蘊(のりもり)】)の時、此地にて蟒蛇(うはばみ)の骨を獲(え)て、今も尙、其頭骨を庫藏(こざう)す。

[やぶちゃん注:「濃州岩村領惠那郡久須美村」現在の岐阜県恵那市長島町(おさしまちょう)久須見(くすみ:グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。

「山中」と字する所」この附近

「能登守乘保」老中にして美濃国第四代岩村藩主松平乗保(寛延元(一七四八)年~文政九(一八二六)年)。丹波国福知山藩五代藩主朽木玄綱(くちきとうつな)の八男。後に乗蘊の養子となった。

「能登守乘蘊」美濃国第三代岩村藩主松平乗蘊(享保元(一七一六)年~天明三(一七八三)年)。

「灌莽」草木が生い茂った叢(くさむら)。ここ、畳語表現である。]

 大(おほき)さ、馬頭(むまのかしら)ほどにて、銃丸の透(とほ)りたる痕(あと)いちじる鋪(しく)殘れり。

 是を打留(うちとめ)たりしは、獵師、一郞右衞門と云(いふ)者なり。

 或日、一郞、曉(あかつき)、かけて、山中に往(ゆ)き、辨色(べんしよく)[やぶちゃん注:曙になって周囲のものの姿形が識別出来るようになることを言う。]の頃ほひ、例の如く、

「鹿を寄(よせ)ん。」

迚(とて)、鹿笛、吹(ふき)しかば、蔚然(うつぜん)[やぶちゃん注:草木の生い茂っているさま。]たる中より、大(おほき)なる蟒蛇の、首を擡(もた)げ出(いで)ける。

 折りしも、纔(わづか)に旭光(きよくくわう)の昇れるに、兩目、烱々(けいけい)[やぶちゃん注:目が鋭く光るさま。]と照り合ひしかば、八寸許(ばかり)の鏡を懸けたるほどなりしが、頓(やが)て首を卸(おろ)して、見へ[やぶちゃん注:ママ。]ず。

 その時、一郞、思ふやう、

『馳出(かきだ)せば、鹿と思ひ、一口に吞まるべし。』

と、鐵炮に込めたる玉《たま》・薬《やく》をぬき、常に「守護なり」とて、持ちゐし鐵玉(てつだま)を出(いだ)し、强藥(きやうやく)に、此(この)鉛子(たま)を込替(こめか)へ、又、鹿笛を吹しかば、この度(たび)は、蟒(うはばみ)、首(くび)間近く、我上(わがうへ)に擡げたりしを、鐵炮、引(ひき)よせて仰(あをむき)ざまに腮《あぎと》[やぶちゃん注:顎(あご)。]より打拔(うちぬく)と斉(ひとし)く、万山(ばんざん)一同に響き渡り、大地、震動して、覺へ[やぶちゃん注:ママ。]ず鐵炮持(もち)ながら、その身は、谷底に落(おち)けるが、幸(さいはひ)に、水も無(なか)りしかば、岩角(いはかど)を傳ひ攀上(よぢのぼ)るに、さしもの晴天、俄(にはか)に變じ、雲霧深く、四方を辨じがたし。去(され)ど、その地は熟路(じゆくろ)[やぶちゃん注:勝手知ったる山路。]なれば、山逕(やまみち)を、一筋に、跡をも見ず、息を切(きつ)て、家に歸り、家人に、

「この鐵炮は、守護なれば、屋(いへ)の棟(むね)に結《ゆひ》つけよ。」

と云ひながら、昏仆(こんふ)[やぶちゃん注:漢方で一過性に意識障害を指す語。]して、人事を省(せい)せず、日を經ても、茫然として、病むこと、久し。

 後(のち)三年を過ぎて、採薪(たきぎとり)の者、かの山中に往(ゆき)しに、何とも知らぬ白骨ありければ、訝(いぶか)りて、草を分(わけ)て見れば、山二つに亙(わた)りて、その末(すゑ)、頭骨と覺(おぼ)しき物、あり。

 驚き、還り、村長(むらをさ)に噺(はなし)ければ、

「左(さ)らば。」

とて、衆人、往(ゆき)て視るに、違(たが)はざりしかば、終(つひ)に城下の郡職へ訟へ出(いで)けり。

 其時に至りて、誰(たれ)云ひ出すとも無く、

「この三年《みとせ》、獵師一郎、臥病(ぐわびやう)せるが、鐵炮達者の男なれば、定(さだめ)て渠(かれ)が打(うち)たる當(べ)し。」

との、沙汰、頻りにて、郡職より、一郞を呼出(よびいだ)して尋ねたるに、其ことを、云はず。

 因(より)て、强(しひ)て問詰(とひつめ)られ、やうやうに、始末を云ひ、戰慄(せんりつ)して、後ろを、ふり顧みければ、

「箇(か)ほど迄に、懼(おそろし)きや。」

とて、郡職の者等(ものら)も咲(わらひ)し、となり。

 それより、一郞が疾(やまひ)、愈(い)へ[やぶちゃん注:ママ。]しが、遂に獵師を止(やめ)て農夫となり鳧(けり)とぞ。

 

47―37

 又、話(はなし)。城下一里餘に木實(きのみ)村と云ふあり。小川ありて、「あめの魚」を產す。

 人々、夜網(よあみ)を打(うち)て取る。

 家老味岡杢之允(あぢをかもくのじよう)が譜代若黨に、岡其右衞門(をかきゑもん)と云ふあり。

 今の其右衞門が祖父なりし者、その川にて夜網せしが、常に見ぬ所に小橋ありければ、

「よき幸(さいはひ)に、橋を踏(ふん)で、向岸(むかふぎし)へ渡らん。」

と、橋に踏(ふみ)かけたるに、踏み心(ごこち)、何となく柔かきやうに覺(おぼえ)しが、橋と思(おのひ)し物、しづかに、向(むかふ)へ進むゆゑ、其とき、始(はじめ)て、蛇背(へびのせ)なることを悟り、駭(おどろき)て、水に墜ち、泳(およい)で、もとの岸に登り、はうはう、逃げ歸りしとかや。

[やぶちゃん注:「岩村城跡」から南東の同距離の箇所に「ひなたGPS」の戦前の地図と国土地理院図で、『木實』及び『木ノ実』の地名が確認でき、グーグル・マップ・データでは、「木ノ実川」を確認出来る。現在の地名は岐阜県恵那市上矢作町木ノ実(かみやはぎちょうきのみ)である。

「あめの魚」種としては、条鰭綱サケ目サケ科サケ亜科タイヘイヨウサケ属サクラマス亜種ヤマメ(サクラマス)Oncorhynchus masou masou に比定してよい。本種は、サクラマスのうち、降海せず、一生を河川で過ごす陸封型個体を指す。北海道から九州までの河川の上流などの冷水域に棲息する。但し、この本文で、その種だけに限定するのは、やや問題がある。近世以前には、多くの淡水魚類を「あめのうを」と呼んでいたからである。

「味岡杢之允」この人物は林述斎の知り合いである。「国立国会図書館サーチ」の「書下案 味岡杢之允が祭酒公林述斎より大小を賜る件につき」の書誌データを参照されたい。]

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