フライング単発 甲子夜話卷之十六 29 兎月夜に消する事
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号を加え、段落も成形した。]
6―29
兒謠(こうた)に、
「兎、兎、何視て、はねる、十五夜のお月さまを、觀て、はねる。」
と云ふ。
是、兎の月を好(このむ)を云ふにや。
或云(あるいはいふ)。
「兎を、月下に置《おか》ば、變じて、水となる。」
と。
信(まこと)なりや否(いなや)。
予、若き時、たはぶれに、野兎を多く捕らして、籠(かご)に入れて、城内築山(つきやま)に、月下、一夜(ひとよ)置(おき)て、翌朝、見るに、籠中(かごなか)に、一つも、居(をら)ず。今に不思議に思ふなり。
また、近頃、聞く、淺草福川町(ふくかはちやう)に行辨(ぎやうべん)と云へる山伏あり、予が隱邸(いんてい)、
「隣宅(りんたく)の、池の蛙(かはづ)、鳴(なき)、よき。」
とて、三、四つ、取(とり)て、かの住(すめ)る所にある、三、四尺許(ばかり)なる水溜(みづたまり)に放ち、逃去(にげさ)らざる爲(ため)に、竹簀(たけす)をかけ、四隅に石を鎭(しづ)[やぶちゃん注:重石(おもし)。]に置(おき)たり。
明朝、視れば、蛙、一つも居《をら》ず、と。
或人曰く、
「蛙(かはづ)、和名『かへる』と云ふは、その故地(こち)に歸るの性(しやう)あるゆゑなり。」
と云ふ。
さすれば、淺草より、本庄(ほんしやう)にや歸(かへり)けん。
■やぶちゃんの呟き
……消えた兎……静山さん……そりゃ、お母さまか、御家臣のどなたかの悪戯で御座いましょうぞ……なお、兎の博物誌は「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 兔(うさぎ) (ウサギ)」をどうぞ……因みに、その「本草綱目」の引用部には、『雄の豪(け)[やぶちゃん注:時珍の「毫」の誤字か。毛。]䑛めて孕む。五つ月[やぶちゃん注:五ヶ月。]にして子を吐く【或いは、「兔は雄無くして、中秋、望(もち)の月の中の兔を顧みて、以つて孕む。」と謂ふは、不經〔(ふけい)〕[やぶちゃん注:常軌を逸すること。道理に外れること。]の說なり。】。目、瞬(またゝきせ)ずして瞭然たり。【故に「明眎」と名づく。】兔は明月の精なり【白毛の者、藥に入るるに可なり。】。兔、潦(にはたづみ)[やぶちゃん注:大雨の水。]を以つて鼈(すつぽん)と爲り、鼈は旱(ひでり)を以つて、兔と爲る。熒惑星(けいわくせい)、明らかならざれば、則ち、雉〔(きじ)〕、兔を生ず』と、尤もらしいトンデモ変成(へんじょう)説が載っていますよ……蛙の、故郷の地に「かへる」は、恐らく、江戸時代の語呂合わせで御座いましょう……「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蝦蟇(かへる)」には載ってませんし、「日本山海名産図会 第二巻 山蛤(あかかへる)」なんどにも、あらしまへん……
「淺草福川町」現在の台東区寿四丁目(グーグル・マップ・データ。以下同じ)の内。
「隱邸」静山は隠居後は江戸本所の下屋敷で生活した。現在のこの中央附近。切絵図では、「江戸マップ」のここの左手上方の「松浦壹岐守」がそれ。この「隣宅」は周囲の内、灰色の町屋「原庭丁」か「表丁」であろう。因みに、平戸藩上屋敷は浅草橋の、この「蓬莱園跡」がそれである。
« 百井塘雨「笈埃隨筆」の「卷之七」の「大沼山浮島」の条(「大沼の浮島」決定版!) | トップページ | 柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「兎と月」 »