柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大門崩壊」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
大門崩壊【だいもんほうかい】 〔筱舎漫筆巻十二〕弘化二年七月七日[やぶちゃん注:一八四五年八月七日。]、大風雨にて京都市中所々破損あり。東本願寺の大門も崩れたり。その子細をたづぬるに、七日の日は九ツ<昼の十二時>時分は雨風絶えてなきを、上数珠屋町《かみじゆずやまち》不明(あかず)門通り西へ入る南側に、万屋惣助とて荒物あきなひをするものあり。このもの信者にて、例の御斎参《おときまゐ》りとて、九ツ半[やぶちゃん注:午後一時頃。]時分に参詣せしが、その時は小雨そぼふれども、傘もさゝずして宿を出《いで》ぬ。御影堂(みえいだう)に上り、しばしして宿より下女《げぢよ》傘を持ち来りて、やがて帰りぬ。要事をおもひ出しければ、縁先に出《いづ》る。すなはち空かきくもり真暗《まつくら》になる。大夕立もや降り来ると、きとみれば雲霧むらがりかゝりて、大門を包むとせし間に、身のけいよだち、ズンとするとひとしく、御影堂の屋根の上より、腰よりうへは黒く、下は赤きもの著て、頭は法体《ほつたい》か、有髪《うはつ》か見わけがたき人、雲に乗りてすらすらと門の上にいたると見えしが、地震とも雷鴫とも思はれず鳴動す。そのとき門外の人々、大門がつぶれこんだり、あれあれとよばはるにつけ、近くよりて見れば、この頃新たに建てかゝりし大門なれば、足場いかめしくゆひまはし、高さ十間[やぶちゃん注:十八・一八メートル。]もあるべく、東西十八間[やぶちゃん注:三十二・七二メートル。]、南北十四間[やぶちゃん注:二十四・二五メートル。]なるが、半分より一様にをれたり。柱は太さ二囲の槻の丸柱にて、いまだ四本のみたてたりしが、白箸《しらばし》[やぶちゃん注:割り箸。]など折りたるごとくふたつに、一本は半分にさけ、一本はつゝがなし。その折れたるさまを見るに、大風の吹き倒したるにあらず。上の方より大力にて押しつぶしたるがごとし。そのあたりの塀や茶所など、すこしも損ぜし処なし。風のためにはたふるゝことまゝあれど、風もなきに押しつけられて、ヒシヤゲこむといふこと、かゝる奇妙なることなしと、則ちこの惣助が秋田屋忠兵衛といふ者に、七月九日の日に物語りしよし、秋田屋、同月十七日、下坂《げはん》しての物語りなり。
[やぶちゃん注:「筱舎漫筆」(ささのやまんぴつ)は「牛と女」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第二巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字で当該部が視認出来る。標題は『○不思議』である。この話を冒頭に、同年中の記事が後に三つ載る。二つ目は小人症の子どもと相撲取りの話で関連性がないが、三話目は暴風による大木倒壊事故、最後のものは、奥州仙台の白鳥社で、その社領の中の小山に埋蔵金があると言うので、神主主導で、皆で掘り始めるやいなや、山が鳴動して、恐れて沙汰止みとなったが、五日後に神主の自宅が、芝居の奈落に落ちるような塩梅で徐々に地中に沈み始め、金堀りに係わった者たちの家も同じように陥没現象が起きたという怪事件を記している。
「上数珠屋町」の通りはここの東西(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「御斎参り」僧に軽い食事を供して参拝することか。
「御影堂」東本願寺のこの建物。]
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