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2023/08/31

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「巨椋池の鯉」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 巨椋池の鯉【おぐらいけのこい】 〔北窻瑣談後巻二〕伏見小倉の湖は、古名を巨椋《おほくら》の入江といひて、淀川に水通ひ、大なる湖水なり。この中に一丈に余れる大鯉《こい》二頭住めり。この鯉を鳥羽殿と呼びて、この湖中の神霊《しんれい》とす。この鯉、出て遊行《いうかう》する時は、鳥羽殿出られたりとて、そのあたりには網を下《おろ》し釣をたれず。余<橘春暉《はるあきら》>も初めは虚談なるべしと思ひ居《をり》しが、後に親しく交りし、そのあたりの事を司《つかさど》る人に聞きしに、その人も見たりと語りき。この頃はたえて出ずと聞ゆ。

[やぶちゃん注:「北窻瑣談」は「網に掛った銘刀」で既出既注。当該部は八巻本の刊本のここ。「国文学研究資料館」の「国書データベース」版のそれをリンクさせた。所持する吉川弘文館『随筆大成』版と比較し、読みを添えた。但し、一部に、三者、或いは、二者に異同がある。必要と判断した部分を以下に示す。

「巨椋池」現在の京都府の南部(京都市伏見区・宇治市・久世郡久御山町に跨る地区)に嘗つて存在した池。近代の大干拓によって完全に消滅した。当該ウィキによれば、『規模からいえば』、『池よりも「湖」と呼ぶ方がふさわし』い。『形成されたのは縄文前期頃と比較的新し』い。『豊臣秀吉による伏見城築城期の築堤をはじめとする土木工事などにより』、『時代によって姿を変え、最終的には』昭和八(一九三三)年から昭和一六(一九四一)年にかけて『行われた干拓事業によって』六百三十四ヘクタールの『農地に姿を変えた』。『干拓前の巨椋池は周囲約』十六『キロメートル、水域面積約』八『平方キロメートルで、当時京都府で最大の面積を持つ淡水湖であった』とある。当該ウィキも詳しいが、何より、地図を比較対比するに若くはない。まず、「ひなたGPS」の戦前の地図と現在の国土地理院の左右対照がよい。なお、そこでは戦前の地図(明治四二(一九〇九)年測図で昭和七(一九三二)年要部修正測図版)の池の中央の池名(横書右から左)『巨椋池』の『巨椋』には『オクラ』と清音のルビが振られてある。但し、池左岸の縦書のそれには、水深の線と重なっていて、明確ではないが、『オグラ』と濁点が振ってあるようにも見える。そこで、「今昔マップ」の対比図を見ると、明治二四(一八九二)年から明治四三(一九一〇)年にかけて地図でも、そこでは『巨椋湖』となっているのだが、『巨椋』の箇所には『オグラ』と濁音であった。この「今昔マップ」は現代に至る地図上の変遷を見ることが可能なサイトなのだが、残念ながら、完全な大干拓の時期の年代部では地図が見られない。

「住めり」は「国書データベース」版は『住(すまへ)り』である。

「この鯉を鳥羽殿と呼びて」「国書データベース」版も吉川弘文館『随筆大成』版も、ともにこの前に(後者は新字体)、『此邊の漁者』とあり、前者では『ぎよしん』(「ぎよじん」か)というルビが振られてある。

「鳥羽殿」平安中期、白河上皇が山城国紀伊郡鳥羽(京都市伏見区下鳥羽と中島・竹田に跨る地)に造営した離宮。後、鳥羽上皇も入居した。北・南・東の三殿と田中殿・馬場殿・泉殿からなっており、壮麗を極めたが、鎌倉時代以後、次第に衰微し、当時の面影を伝えるものは、秋の山(築山)・安楽寿院・城南宮などに過ぎない。「今昔マップ」のこちらで、右の現在の地図で上記の地名が確認出来る。嘗つてあった巨椋池の北岸から三キロメートル位置に相当することが判る。

「遊行《いうかう》」の読みは「国書データベース」版のみにあるものを採用した。]

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