柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「一念」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
一念【いちねん】 〔世事百談巻三〕人は初一念《しよいちねん》こそ大事なれ。たとへば臨終一念の正邪《しやうじや》によりて、未来善悪の因《いん》となれる如く、狂気するものも金銀のことか、色情か、事にのぞみ迫りて狂《きよう》を発する時の一念をのみ、いつも口ばしりゐるものなり。ある人の、主命にて人を殺すはわが罪にはならずと云ふを、さにあらず、家業《かげふ》といへども殺生の報いはあることとて、庭なる露しげくおきたる樹《き》をゆり見よとこたへけるまゝやがてその木の下《もと》に行きて動かしければ、その人におきたる露かゝれり。さてその人云ふやう、怨みのかゝるもその如く、云ひつけたる人よりは、太刀取《たちとり》にこそかゝれといひしとかや。諺にも盗みする子は悪しからで、縄とりこそうらめしといへるは、なべての人情といふべし。これにつきて一話《ひとはなし》あり。何某《なにがし》が家僕《かぼく》、その主人に対し、さしたる罪なかりしが、その僕《ぼく》を斬らざれば人に対して義の立たざることありしに依りて、主人その僕を手討《てうち》にせんとす。僕憤り怨みて云ふ。吾さしたる罪もなきに、手討にせらる。死後に祟りをなして、必ず取殺《とりころ》すべしと云ふ。主人わらひて、汝何ぞたゝりをなして我をとり殺すことを得んや、といへば、僕いよいよいかりて、見よ、とり殺さんといふ。主人わらひて、汝我を取殺さんといへばとて、何の証《しよう》もなし、今その証を我に見せよ、その証には汝の首を刎《は》ねたる時、首飛んで庭石に齧《か》みつけ、夫《それ》を見ればたゝりをなす証とすべしと云ふ。さて首を刎ねたれば、首飛びて石に齧みつきたり。その後《のち》何のたゝりもなし。ある人その主人にその事を問ひければ、主人こたへて云ふ、僕初めにはたゝりをなして我を取殺さんとおもふ心切《せつ》なり、後には石に齧みつきてその験(しるし)を見せんとおもふ志《こころざし》のみ専《もは》らさかんになりしゆゑ、たゝりをなさんことを忘れて死《しし》たるによりて祟りなしといへり。<小泉八雲『術数』も同様>
[やぶちゃん注:「世事百談」「麻布の異石」で既注の山崎美成が天保一四(一八四四)年十二月に刊行した随筆集。全四巻。風俗習慣・故事・文芸・宗教・天象地誌・奇聞など、広範囲に及ぶ百三十八条から成る。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』巻九(昭和二(一九二七)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで当該条「○欺きて寃魂(ゑんこん)を散(さんず)」が正字で視認出来る。これはルビが多く附されてあるので、それで読みを補った。
「小泉八雲『術数』」私の「小泉八雲 術數 (田部隆次訳)」を見られたい。そちらでは、原拠を不詳として示していなかったので、注を追補した。]
« 柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「鼬と蛇」・「鼬の怪」・「鼬の火柱」 | トップページ | フライング単発 甲子夜話卷之二十二 8 桑名に一目連と云ふ龍ある事 »