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2023/08/11

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「烏賊と蛇」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度としたい。

 

 烏賊と蛇【いかとへび】 〔牛馬問巻四〕一客有《あり》て夜話《よわ》す。一人が曰く、我船にして海辺を通るに、舟郎《せんどう/かこ》が曰く、希に見る事こそ候へ。各〻見物し給へとて船をとゞむ。その指す所を見れば、大《おほき》なる蛇、岸に臨んで水中を窺ふ。水中よりは大《おほき》なる鳥賊、岸に向《むかひ》て蛇を取らんの勢ひ有り。両物間近くなりければ、鳥賊、波を吸ひ墨を噀(ふき)て、かの蛇にそゝぎかくれば、蛇は断々にきれて海中に落つ。見るもの奇と感ぜざるはなし。その後、また他に往きて夜話す。客の曰く、近きころ或人、鳥賊を料理するに、彼もとより庖丁の業《わざ》に疎《うと》ければ、鳥賊をあらふの方《はう》をしらず。腹中の墨やぶれ、手を添ふ所ことごとく黒く、殆んど※[やぶちゃん注:「彳」+「亞」。]《あぐみ》[やぶちゃん注:この読みは『ちくま文芸文庫』版のルビに従った。底本には読みはない。]はてたる折から、彼が児、蝮《まむし》にさゝれたるとて泣き叫ぶ。その親、大いに驚きあはて、かの鳥賊を捨て走寄《はしりよ》り、黒き手も厭はず、そこかこゝかと撫摩(なでさす)りていたはるほどに、この児も真黒になりて、痛む所も見へざるに、疼《いた》み暫時の間に愈えて、泣《なく》をとゞめ遊ぶ事常のごとし。皆人《みなひと》不審し、鳥賊の墨、蝮の毒を解すやといヘり。この両人の話を聞くに、烏賊の墨、諸蛇の毒を解する事疑ひなし。本草に烏賊骨《いかのほね》(海螵蛸《かいへうせう》といふ)蝎螫《けつせき》[やぶちゃん注:サソリ。]疼痛を治すとあれども、墨の能《のう》を載せず。姑(しばら)く書して後人に備ふ。

[やぶちゃん注:「牛馬問」儒者新井白蛾(あらい はくが 正徳五(一七一五)年~寛政四(一七九二)年:名は祐登(すけたか)。白蛾は号。当該ウィキによれば、『白蛾の父・祐勝は加賀藩の出身だったが』、『その妾の子として江戸に生まれる。三宅尚斎の門人である菅野兼山に師事して、朱子学を学ぶ』。二十二『歳の時に江戸で教え始めるが』、『当時は荻生徂徠の門流が風靡していたので』、『京都に上り、易学を究め』、『「古易の中興」を唱え』た。寛政三(一七九一)年、『加賀藩主の前田治脩に招かれ、藩校となる明倫堂の創設に関わり、その学頭となり』、『亡くなるまで』、『その地位』にあったとある)の随筆。宝暦五(一七七五)年成立で、全四巻百十六条からなり、同ウィキには、『人からよく尋ねられる物事について記したもの』とあった。この正字原文は国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』㐧三期・㐧五卷(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここの「○烏賊の墨」がそれ。

「本草に烏賊骨(海螵蛸といふ)蝎螫疼痛を治す」江戸時代の本草学のバイブルである李時珍の「本草綱目」の巻四十四の「鱗之三魚類」の「烏賊魚」の主治に『治蝎螫疼痛』とある。「漢籍リポジトリ」の同書同巻[104-46a] を参照されたい。「中日辞典」にも、海螵蛸(かいひょうしょう)=イカの骨(体内殻)は止血剤などに用いるとあった。但し、毒虫の解毒効果はない。因みに、タコの墨は、摂餌対象である甲殻類や、天敵ウツボの嗅覚を麻痺させる毒素が含まれているため、イカ墨のようには、食用とならない。]

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