フライング単発 甲子夜話續篇卷之九十二 10 薩摩領にて十四歲なる子、鷲に摑れし事 付膳所にて少年の馬上なるを摑し事
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。カタカナの読みは珍しい静山の振ったルビである。数も多く、特異点である。なお、標題の「付」は「つけたり」と読む。]
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印宗和尙、語る。
「天保壬辰(みづのえたつ)[やぶちゃん注:天保三(一八三二)年]の夏のこととよ。薩摩領にて小給の士の子、年十四なるが、父の使(つかひ)として、書通(しよつう)を持(もち)て、朝五つ[やぶちゃん注:不定時法で午前七時頃。]頃と覺(おぼし)きに、近邊に行きけるが、ある坂を越しゆくとき、大(おほき)なる鷲、空より、飛下(とびくだ)り、かの悴(せがれ)を、摑(つかん)で、飛去(おびさ)りぬ。
悴は、驚きたれど、はや、空中のことなれば爲(せ)ん方もなく、始(はじめ)は遙(はるか)に村里も見へ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]たるが、暫くして見へずなるまゝに、能く見れば、渺海(べうかい)[やぶちゃん注:果てしなく広がる海。]の上を行くなり。
悴も恐しながら、爲すべきことも無ければ、兩手を懷に入(いれ)て、運命に任せ行くほどに、果(はて)しもなければ、片手を、そと、出(いだ)して見るに、自由なれば、鷲を刺さんと思ひしに、折ふし鷲は大(おほき)なる木の梢に羽を休めたり。
悴は指(さし)たる脇刀(ワキザシ)に手をかけ見しに、殊に高き木末(こずゑ)なれば、
『鷲を殺せば、己(おのれ)は、墮ちて、微塵に成らん。』
と思ひ、姑(シバ)し、猶豫(いうよ)せし中(うち)、鷲、復(また)、飛び行く。
やゝ有りて、悴、その下を臨むに、程近くして、且(かつ)、平地(ひらち)なるを見て、
『頃、よし。』
と、脇刀(わきがたな)を拔(ぬき)て、胸と思ふ所を、後ろさまに突(つき)たれば、鷲、よはる[やぶちゃん注:ママ。]と、おぼしきを、二刀(ふたがたな)、三刀、刺し通せば、鷲、死(しん)で、地に落(おち)たり。
この處(ところ)、山中なれば、二町[やぶちゃん注:二百十八メートル。]ばかりを下りたれど、方角、辨ぜず。
又、ふと、思ひつきて、立戾(たちもど)り、彼(か)の鷲の首と片翅(かたはね)とを、切落(きりおと)し、打負(うちカツギ)て、
「麓を。」
と、志(こころざし)つゝ下りしに、樵夫(きこり)に行逢(ゆきあひ)たり。
樵(きこり)、
「何方(イヅカタ)の人ぞ。」
と云(いふ)ゆゑ、悴、
「城下へ往く者なり。導(アンナイ)してくれよ。」
と賴めば、
「城下とは、何(イヅ)れのことぞ。」
と云ふゆゑ、
「城下を知らずや。」
と云へば、
「曾て知らず。」
と答(こたふ)るゆゑ、悴、立腹して、
「鹿子嶋(かごしま)のことよ。」
と云へば、
「鹿子嶋とは何(いづ)れの所や。」
と云ふゆゑ、倅、心づきて[やぶちゃん注:注意を与えて。やや、あきれて怒っているのである。]、
「薩摩鹿子嶋なるが、汝、居《をり》ながら、辨(べん)ぜざるか。」
と云へば、樵、あきれて、
「薩摩とは、こゝより何百里なるや。」
と云ふゆゑ、されば、
「この處は、何處(イヅク)か。」
と問へば、
「こゝは、木曾の山中なり。」
何(なに)かにして[やぶちゃん注:孰れの答えにも、いちいち。]、かく分らざることを云ふゆゑ、
「我は薩摩の者なり。鷲に捕(トラ)はれ、かく。」
と言ひて、證《シルシ》に、かの首と翅とを、出(いだ)したれば、樵も疑はず。
麓に連れ下り、庄屋に、此由を訴へたれば、陣屋へ達したるに、人々、驚き、醫者など呼(よび)て見せたれど、少しも替(かは)ることも無(なか)りければ、夫(それ)より、件(くだん)の遍歷を問(とひ)たるに、
「薩州にて、鷲に摑(つかま)れしは朝五つ過(すぎ)にて、木曾の山中にて、鷲の手を離れしは、夕(ゆふ)七つ[やぶちゃん注:不定時法で午後五時前。]過なりし。」
と。
「されども、暫時と覺へ[やぶちゃん注:ママ。]たれば、空腹とも知らず。」
と云ふ體《てい》にて、歸さんに、數百里處なれば、まづ、江都(えど)の薩摩屋舖へ送りとどけたれば、老侯、聽(きき)給ひて、殊に賞感せられしと云(いふ)。
計(はか)るに、信濃より薩摩へは、殆んど四百里なるべし。かゝる遼遠を、僅か五時に到りしも、鷲の猛(たけ)きか、その人の暗勇か、奇事のみ。
また先年のことにて、江州膳所(ぜぜ)[やぶちゃん注:現在の滋賀県大津市膳所(グーグル・マップ・データ)。]にても、少年の、馬に乘りゐしを、鷲、摑て、空中に飛行(とびゆき)たり。少年、捕はれながら、下を見るに、湖上を飛行ゆゑ、爲ん方もなくする中(うち)、兩刀、邪魔になるまゝに、刀は脫(ヌギ)て、湖水に投じ、脇差は指(さし)てありしが、後(のち)は陸地の方(かた)へ飛行て、鷲も、羽や、疲れけん、摑し足を、ゆるめければ、少年は、濱邊と覺しき所に墮(おち)たり。鷲は、其邊りの巖上(がんしやう)に飛下(とびくだ)り、翅を休むる體(てい)なり。少年も、幸(さひはひ)に、恙(つつが)なければ、起揚(おきあが)り、
『鷲を、切らん。』
と思ひしが、
『斯(か)くせば、忽ち、鷲に害せらるべし。』
と、臥(ふし)たるまゝ、動かず。
鷲は、動かざるを見て、頓(やが)て少年に飛移(とびうつ)り、その面皮(つらがは)を摑み食はんとするを、少年、卽(すなはち)、脇差にて切(きり)つけたれば、鷲は、切られて、斃《たふ》れたり。
少年も、辛き命を助かり、あたりの人を尋(たづね)て、
「こゝは、何(いづ)れの所なりや。」
と聞けば、若狹の海邊なりしと。
これ等(など)は、近國のことなれど、何(いづ)れ、廿餘里もや往(ゆき)つらん。大鳥の、人を捕へしは同一事なり。
■やぶちゃんの呟き
「印宗和尙」この法号を持つ僧は複数いるが、どうも静山と時代が合わなかったり、法号の一部が異なる記載があったりして、特定出来なかった。
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