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2023/08/05

怪異前席夜話 正規表現版・オリジナル注附 巻之五 龍恠撫育の恩を感し老嫗を免る話 / 怪異前席夜話 正規表現版・オリジナル注附~完遂

[やぶちゃん注:「怪異前席夜話(くわいいぜんせきやわ)」は全五巻の江戸の初期読本の怪談集で、「叙」の最後に寛政二年春正月(グレゴリオ暦一七九〇年二月十四日~三月十五日相当)のクレジットが記されてある(第十一代徳川家斉の治世)。版元は江戸の麹町貝坂角(こうじまちかいざかかど)の三崎屋清吉(「叙」の中の「文榮堂」がそれ)が主板元であったらしい(後述する加工データ本の「解題」に拠った)。作者は「叙」末にある「反古斉」(ほぐさい)であるが、人物は未詳である。

 底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同初版本の画像を視認した。但し、加工データとして二〇〇〇年十月国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』の「初期江戸読本怪談集」所収の近藤瑞木(みづき)氏の校訂になるもの(玉川大学図書館蔵本)を、OCRで読み込み、使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 なるべく表記字に則って起こすが、正字か異体字か、判断に迷ったものは、正字を使用した。漢字の読みは、多く附されてあるが、読みが振れると思われるものと、不審な箇所にのみ限って示すこととした。逆に、必要と私が判断した読みのない字には《 》で歴史的仮名遣で推定の読みを添えた。ママ注記は歴史的仮名遣の誤りが甚だ多く、五月蠅いので、下付けにした。さらに、読み易さを考え、句読点や記号等は自在に附し、オリジナル注は文中或いは段落及び作品末に附し、段落を成形した。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なため、正字或いは繰り返し記号に代えた。漢文部は返り点のみ附して示し、後に〔 〕で、訓点に従って書き下し文を載せた。

 また、本書には挿絵があるが、底本のそれは使用許可を申請する必要があるので、単独画像へのリンクに留め、代わりに、この「初期江戸読本怪談集」所収の挿絵をトリミング補正・合成をして、適切と思われる箇所に挿入することとした。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。

 標題の「撫育」は、「常に気を配り、大切に育てること。愛し養うこと。撫養」の意。「免(たすく)る」は、若干、当て訓気味。

 なお、本篇を以って「怪異前席夜話」は終わっている。]

 

 怪異前席夜話  五

 

怪異前席夜話巻之五

   〇龍恠(れうかい[やぶちゃん注:ママ。])撫育(ぶいく)の恩を感し[やぶちゃん注:ママ。]老嫗(らうう)を免(たすく)る話

 近きころの事になむ。

 上州赤城山のふもとの民、六人、山に入《いり》て、薬(くすり)を採《とり》て、歸る事を忘れしか、咽(のんど)のかわきける故、谷水を飮(のま)んに、此處、松柏(しやうはく)、悉く、生繁(おひしけ[やぶちゃん注:ママ。])り、人倫(じんりん)通ふべき道もなく、靑苔(せいたい)滑(なめらに)、巖(いはほ)をつゝみ、遙(はるか)に、水の流るゝ声(こへ[やぶちゃん注:ママ。])を聞(きゝ)て、諸人(しよ《にん》)、これを慕ひて、谷に下《くだ》るに、果して、澗水(じゆんすい[やぶちゃん注:ママ。「澗」の音は「カン・ケン」で「ジユン」の音はない。「潤」を「澗」(谷)と誤ったものであろう。])あり。その淸くして鑑(かゝみ[やぶちゃん注:ママ。])のことき[やぶちゃん注:ママ。]、砂礫(されき)、磊砢(うずたかく[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:音「ライラ」で、石などが重なり合っているさまを言う。歴史的仮名遣は「うづたかく」が正しい。]して、洞徹(すきとほり)、玉《ぎよく》のことく[やぶちゃん注:ママ。]、武陵桃源(ぶれう[やぶちゃん注:ママ。「りよう」でよい。]とうげん)の仙境も、かゝる所なりけんや、しらず。

[やぶちゃん注:「武陵桃源」知られた陶淵明の「桃花源記」に見える架空の地で、中国の晋の時代に、湖南武陵の桃の林の奥に乱を避けていた人々がおり、その人たちは時代の移ったのも知らずに暮らしていたという故事による成句で、「世間とかけ離れた平和な別天地・桃源・桃源郷」の意。]

 水を掬(くみ)て、飮(のま)んとするに、よくよく見れば、水底(みなそこ)に、その色、深黑(まつくろ)にして、光澤ある、細きもの、幾縷(いくすじ[やぶちゃん注:ママ。])といふ數(かず)をしらず、長くつらなる事、縷(いと)のことく[やぶちゃん注:ママ。]、山の腰をめぐりて、漂ひ流る。

「浮萍(うきくさ)か、水藻(も[やぶちゃん注:二字へのルビ。])のたくひにや。」

と、一人、手を延抓(のへ[やぶちゃん注:ママ。]つま)んとするに、忽(たちまち)、縮(ちゞ)んて[やぶちゃん注:ママ。]、手に上(のぼ)らず。

『怪しき事。』

に、おもひ、われも、われもと、手を出《いだ》し、取(とら)んとするに隨ひ、漸々(ぜんぜん)に縮《ちぢ》み、恰(あたか)も、水上(みなかみ)に、人、ありて、是を引(ひく)に似たり。

 いよいよ、不審、是にしたかひ[やぶちゃん注:ママ。]、岸に、つたひて、上流(みなかみ)に行(ゆき)、見れは[やぶちゃん注:ママ。]、いと窕ゝ(たをやか)なる女《をんな》の、うつふしに、伏《ふし》て、髮を澗水《たにみづ》に、あらひ居《をり》けるか[やぶちゃん注:ママ。]、その髮の、なかき[やぶちゃん注:ママ。]事、二丈ばかりも有(ある)へき[やぶちゃん注:ママ。]を、双手に綰(わがた)め[やぶちゃん注:「綰」は「わがぬ」と読み、「細長いものを曲げて輪にする」の意。「ため」は動詞「たむ」で「矯む・揉む・撓む」で、「曲がっているものを伸ばしたり、まっすぐなものを曲げたりして、形を整える。また、曲げて、ある形をつくる」の意。されば、畳語である。]、水をしぼり、

「ずつく」[やぶちゃん注:ママ。擬態語「すつく」。]

と、立《たち》て、人々を見、

「呵々(からから)」

と笑ふ声、山谷に響きたり。

 

Ru1

 

[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。]

 

 年のころは、凡《およそ》十八、九斗《ばかり》、芙蓉の顏(かんばせ)、遠山(えんさん)の眉、閉花羞月(へいくわしうげつ)の色(いろ)、綽約(うるはし)く[やぶちゃん注:「綽約」「しやくやく(しゃくやく)」で、「姿がしなやかで優しいさま。たおやかなさま」の意。]、蘭姿蕙質(らんしけいしつ)[やぶちゃん注:「蕙」単子葉植物綱キジカクシ目ラン科 Orchidaceaeの多年草で園芸植物・薬用植物であるセッコク亜科エビネ連 Coelogyninae 亜連       シラン属シラン Bletilla striataの異名。]の艷(ゑん[やぶちゃん注:ママ。])婀娜(たをやか)なりしかは[やぶちゃん注:ママ。]、人々、大(おほき)におとろき[やぶちゃん注:ママ。]怖れ、

「あら。怪(けし)からずの髮の長さよ。人間にては、よもあらし[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、肌粟毛起(みのけをたてゝ[やぶちゃん注:四字への当て訓。])、戰慄(ふるひ)、わなゝき、舊(もと)來りし路へ、迯(にげ)んとするに、夕霧(《ゆふ》ぎり)、四方に立掩(《たち》おゝ[やぶちゃん注:ママ。])ひて、咫尺(しせき)の間《かん》も、弁(わきま)へかたく、女の姿は、乍(たちま)ち、消失(きへうせ[やぶちゃん注:ママ。])しか[やぶちゃん注:ママ。]、日、すでに、晚(くれ)におよひ[やぶちゃん注:ママ。]、山谷《さんこく》、黑闇(くらやみ)と成《なり》、木ずゑに嵐(あらし)の声、喧(さは)ぎ、猿・梟の叫ぶのみす。

 六人は茫然として、痴(ち)なるかことく[やぶちゃん注:総てママ。]、醉(ゑい[やぶちゃん注:ママ。])たるかことく[やぶちゃん注:総てママ。]、澗(たに)の邊(ほとり)に立居《たちをり》けるが、遙(はるか)の谷に、火の光り、いと小(ちいさ)く見えたるは、

「樵夫(きこり)・仙人の夜嵐《よあらし》を防く[やぶちゃん注:ママ。]、燒火(たきび)にや。」

と、少しく、力を得て、是を的(めあて)に行《ゆき》、見れば、一間(《いつ》けん)の茅屋(かやや)、壁、落(おち)て、𨻶(ひま)洩(も)る爐裏(いろり)の火影(ほかけ[やぶちゃん注:ママ。])也。

 兎(と)やかくするうち、

「夜も更(ふけ)ぬらん。こよひは、爰(こゝ)に居寄(いより[やぶちゃん注:ママ。])て明(あか)し、明《あけ》なば、出行《いでゆき》て、道を尋(たづね)ん。」

と、皆々、簑戶(すと)、おしあけて、

「山みちに迷ひたる我々、止宿させたまわれ[やぶちゃん注:ママ。]。」

といふに、内にて、

「いとやすき事なり。入《いり》たまへ。」

と答ふ。

 人々、心、定(おちつき)て、即ち、うちに入《いり》、見れば、一人の老嫗(はゞ[やぶちゃん注:ママ。])、頭(かしら)は、三冬(さんとう)[やぶちゃん注:旧暦の冬三カ月。他に「三年分の冬」の意もあるが、以下の「九秋」(旧暦秋の三カ月。大まかに九十日間)との対句から前者であろう。]の雪(ゆき)積り、齒は九秋の木(こ)の葉(は)と落(おち)たるが、爐(ろ)の側(かたはら)にて、紡績(をうみ)居《い》たり。みなみな、爐邊(ろへん)にあかり[やぶちゃん注:ママ。]て坐し、

「腹、いとう饑(うへ[やぶちゃん注:ママ。])たり。何そ[やぶちゃん注:ママ。]食すべきものは、なしや。」

と問《とふ》に、

「山家(さんか)なれは[やぶちゃん注:ママ。]、何も侍らず。爰に、粟(くり)の、少し、はべる。これにても、やきて、食したまへ。」

とさし出せは[やぶちゃん注:ママ。]

「日本一のものなり。」

とて、打寄(うちより)て、爐に對(たい)し、食ふ。

 此時、嫗か[やぶちゃん注:ママ。]うしろにて、

「呵々。」

と、うち笑ふ声、いと高く響きける。

 人々、驚き、仰顏(あわむき)て、見れば、女の顏色、姝麗(うるはしき)か[やぶちゃん注:ママ。]、手に、なかき[やぶちゃん注:ママ。]髮を綰(わか[やぶちゃん注:ママ。])め、立《たち》たる姿、さきにみしに、少しも替らず。

「偖(さて)は、妖恠(ようくわい)の棲(すみか)に來りしよ。」

と、遽驚(あわて)まとひ[やぶちゃん注:ママ。]て、立噪(《たち》さわ)く[やぶちゃん注:ママ。]に、

嫗、制して、云《いふ》。

「客人は、わか[やぶちゃん注:ママ。]女(むすめ)の、人にまさりて、髮の多く生延(おひのび)たるを、『怪し』とばし思すらめ。[やぶちゃん注:「し」は強意の間投助詞。]彼(かれ)、全く、妖恠變化の類(るい[やぶちゃん注:ママ。])にもあらず。事、なかくは侍るか[やぶちゃん注:総てママ。「長くは侍るが」。]、嫗(うは[やぶちゃん注:ママ。])か[やぶちゃん注:ママ。]罪障懺侮(ざいしやうさんけ[やぶちゃん注:ママ。「さんげ」が正しい。])の爲、語りて聞《きか》せ申《まうす》べし。

 抑(そもそも)、姥は、此山の、ふもとの里に住(すみ)はべるものなるが、わかき時より、寡婦(やもめ)にして、一子、なく、身の行すゑの、心ほそく、やるかたなき折から、一日流(なかれ[やぶちゃん注:ママ。])の水に臨んて[やぶちゃん注:ママ。]、衣(ころも)を、あらい[やぶちゃん注:ママ。]ける時、しきりに、咽(のんど)、かわきし故、水を掬(すく)ひのむにおよんで、白き漦(あわ)[やぶちゃん注:「泡」。この漢字には「流れる・したたる」の他に、「よだれ。あわ。特に、竜の口から吐く唾(つば)」意がある。]のありしが、俄(にはか)に、腹、痛みて、難義せしまゝに、頭を挙(あげ)て見れば、木梢に、二ツの蛇(へび)、縄のことく[やぶちゃん注:ママ。]に相《あひ》まとひ、各々、口より涎沫(よだれ)を吐(はき)、流水(りう《すい》)に滴(したゞ)りて、漦(あわ)のことく[やぶちゃん注:ママ。]に見ゆ。

『此水を吞(のみ)しこそ、誤(あやまり)なれ。定《さだめ》て死すべき。』

と思ヘと[やぶちゃん注:ママ。]、せん方なく家に歸りて打臥ぬ。しかるに、身、恙(つゝか[やぶちゃん注:ママ。])なくして、是より、鬼胎(きたい)を懷(はら)み、十月(とつき)、滿(みち)て、此女(むすめ)を產む。生れし時より、髮、長さ、一尺ばかり有し《あり》。

『希有の者といひ、殊に、父なくして生れしかは[やぶちゃん注:ママ。]、野にや捨なん、殺(ころし)やせん。』

と、おもへども、さすがに可怜(ふびん)にも、おもひつゝ、また、

『我(われ)、一子を欲(ほつ)する心の、切(せつ)なる故、佛神の與へ給ひしにや。然らば、行すゑ、賴(たの)し[やぶちゃん注:ママ。送りは「み」の誤りか。]あり。』

と、恥を忍んで、取挙(おりあげ)、育てたりしに、里の古老の語りしは、

「『相兒経(さうしけい)[やぶちゃん注:ママ。]』といふ書に、『凡そ、孩兒(がいじ)の早行(はやくゆ)き、早く坐(ざ)し、はやく齒(は)生《おひ》し、はやく語るは、皆、𢙣種(あくしゆ)。』[やぶちゃん注:「𢙣」は「惡」の異体字。]とは見えたれども、早く髮の延(のび)る事、見えず。また、宋の邵康節(せうかうせつ)といふ人は、生れし時より、髮、なかかり[やぶちゃん注:ママ。]つと、きけり。漢の高祖の母は、大澤(《だい》たく)の陂(つゝみ)にて、龍の交(ましへ[やぶちゃん注:ママ。])るを夢(ゆめみ)、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]高祖を孕(はら)むといへり。かゝる奇瑞(めてたき[やぶちゃん注:ママ。])の例(ためし)あれば、父なしとて、慚(はづ)べからず。後(のち)には、王侯・貴人(きにん)の配匹(きたのかた)ともなるべき小兒ならめ。」[やぶちゃん注:「相兒経」晋の厳𦔳(げんじよ)の「孩兒」(=幼児)の身体上の特徴や性質によってその生の長短が記された一種の占い本。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の、元末から明初の学者・文人であった陶宗儀が現在は散佚された物の多い漢籍を集めた叢書『説郛』の正巻第一〇九巻PDF一括版)の、55コマ目から視認出来る。老人の言う内容は56コマ目の右丁最後に載る。「邵康節」(一〇一一年~一〇七七年)は北宋の哲学者的儒者。名は雍。李之才から河図・洛書・図書先天象数の教授を受け、数(すう)による神秘的宇宙観や自然哲学を説き、二程(程顥(ていけい)と程頤(ていこう)の兄弟学者)及び朱熹に影響を与えた。著に「観物篇」「皇極経世書」「伊川撃壌集」などがある。]

と、いひたるか[やぶちゃん注:ママ。]、果して、長(ひとゝ)なるにしたかひ[やぶちゃん注:ママ。]、容貌、數百人(すひやく《にん》)にまさり、針線(はりしこと[やぶちゃん注:ママ。])蠺織(はたをり)の女紅(わざ)[やぶちゃん注:「ぢよこう(じょこう)」で「女功」とも書き、「女性の手仕事、機織り・裁縫など」を指す古くからある漢語。]なと[やぶちゃん注:ママ。]をも、自然と、衆(しゆう)に、こへたり。

 されども、里人、髮のなかき[やぶちゃん注:ママ。]を、あやしみ、誰(たれ)、娶(めと)らんと、いふ者、なく、却(かへつ)て、人類(じんるい[やぶちゃん注:ママ。])にあらざるやうに罵(のゝし)り、耳かしましきまゝに、評する事のうたてさに、里に住《ゆく》事も能わずして、此山中に引(ひき)こもり、母子、ついに、木の実を食して、五穀を食((はま)ず、すでに、三とせの月日を送り侍る。

 かゝる恠しきもの語りも、嫗(うば)か[やぶちゃん注:ママ。]すく世の業身(ごういん)[やぶちゃん注:漢字も読みもママ。「業因」で「ごふいん」。]、果(はた)さんための、さんけ[やぶちゃん注:ママ。]と聞(きゝ)給わる[やぶちゃん注:ママ。]べし。」

と、こまこま[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」。]と、かたる。

 人々、面《おもて》を見合《みあは》せ、

「世に、奇異なる事も候ものかな。」

と、嵯嘆(さたん)、息(やま)ず。

 かくて、物語に、夜も、ふけぬ。

「いざ、息(やすま)ん。」

と、六人は、爐邊に匍匐(はらばひ)、臂(ひぢ)を曲(まげ)て、枕とし、卧(ふし)ぬ。

 嫗は、心を付《つけ》て、「せめては、透間(すき《ま》)の風なん、避(さけ)給ふべし。」

と、筵(むしろ)もて張(はり)たる屛風を、枕もとに引𢌞(ひきまは)し、女を倡(いさな[やぶちゃん注:ママ。])ひ、奧の方に、ふしぬ。

 かくて、六人のうち、五人は、よく寐入(ねいり)、一人、いまだ目合(めあわせず[やぶちゃん注:ママ。])して居《をり》ける所に、かの屛風の上に、

「ひらひら」

と、したるもの、見えて、面《おもて》に觸(さわ)る。

 かの一人、異(あやし)みて、爐(ろ)の焚(たき)すてたる火影(ほかけ[やぶちゃん注:ママ。])にて、よく見れは[やぶちゃん注:ママ。]、長き髮の毛、蛇(じや)の蜿蜒(うねる)ことく[やぶちゃん注:ママ。]、屛風を越(こへ[やぶちゃん注:ママ。])來りて、一人の咽杭(のどぶへ[やぶちゃん注:ママ。])を纏(まと)ひたり。

『こは恠(けしから)ず。』

と思へとも[やぶちゃん注:ママ。]、惣身《そうしん》、麻木(しびれ)て、声、出《いで》ねば、足にて、その人を躡(ふむ)に、恰(あたか)も死せる者のことく[やぶちゃん注:ママ。]にて、少しも動かす[やぶちゃん注:ママ。]。[やぶちゃん注:「麻木(しびれ)て」この作者、かな漢語の知識が豊富なようだ。「麻木」は現代中国語でも生きており、「マァームゥー」と発音し、「(長時間に亙る外部からの刺激や疾患によって、一部又は全部の知覚が失われて)麻痺する・しびれる・無感覚になる」の意だからである。]

 然るに、また、一※(いつは)の髮毛《かみのけ》、來りて、次に卧たる人の、咽(のど)を卷(まき)かくして、五※の髮毛、だんだんに、出《いで》て、五人を纏ひ、五人少しも、息をなさず示(しめ)[やぶちゃん注:ママ。「絞め」。]、少しも動かず。[やぶちゃん注:「※」は、「髪」の字の下方の「友」の代わりに「巴」を置いた字体。一つの束になった長い髪の毛のことらしい。後の「※」も総て同じ。]

 最後に、一※の髮毛、來り、目さめし男の頭《かしら》のうへに、近づくと見えたりしに、今は、耐(たま)りかねて、飛《とび》おき、外面(そとも)へ、はしり出《いで》る所に、かの髮、蜿蜒(ゑんゑん[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」。「ゑんえん」が正しい。])と延《のび》て、蛇行(じやこう[やぶちゃん注:ママ。])し、あとより逐(おつ)て、戶の外に出《いづ》る。彼(かの)男、いよいよ、慌(あわ)てゝ、命をかきり[やぶちゃん注:ママ。]に、はしりたるに、折しも、朦朧(おぼろ)の月影、木(こ)かくれに、ほのめき見へ、山間(《やま》あひ)に、一とすじ[やぶちゃん注:ママ。]、路(みち)、ありけれは[やぶちゃん注:ママ。]、足にまかせて、逃行(にけゆく[やぶちゃん注:ママ。])ほどに、路程(《みち》ぼど)、凡《およそ》、幾里(いくり)を過(すき[やぶちゃん注:ママ。])けるをしらず、ようよう、大路《おほぢ》に出《いで》けるに、鷄(にはとり)犬(いぬ)の声、はるかに聞《きこ》へ、

『人里(《じん》りん)、あり。』

と覚へ、少しく、蘇醒(そせい)の心地(こゝち)せり。

 すでにして、夜も明けれは[やぶちゃん注:ママ。]、山中を出《いで》、はなれて、野、あり。

 側(かたはら)に祠(ほこら)のことき[やぶちゃん注:ママ。]立《たつ》るありしかは[やぶちゃん注:ママ。]

『爰に入《いり》て、やすまん。』

と、する所へ、一人の老翁(らうおう[やぶちゃん注:ママ。])、裏(うち)より出《いで》、そのけしきの愴慌(あわて)たるを、あやしみ、詰(なし)り[やぶちゃん注:ママ。「なじり」。]問《とふ》。

 男、そのとき、夕(ゆふべ)の次㐧(しだい)を物語り、

「五人の同伴(なかま)、今は、定(さだめ)て、死しぬらん。」

と、淚を落して云《いふ》。

 老翁、聞《きき》て、眉を顰(ひそ)め、

「われも、久しく、かの女か[やぶちゃん注:ママ。]事、聞《きき》ぬ。其母なるもの、もと、此邑(むら)の寡婦(やもめ)なり。かれ、交龍(こうれう[やぶちゃん注:漢字も読みもママ。「蛟龍」で「かうりゆう」が正しい。])の精汁(せいじう[やぶちゃん注:ママ。「せいじふ」が正しい。])を吞(のむ)によつて、鬼孕(きよう)を受(うけ)、その生(うめ)る子、卽ち、人身《じんしん》にあらず。假(かり)に人胎(じんたい)に投(とう)する[やぶちゃん注:ママ。]のみにして、一奌(《いつ》てん)も、人の精氣を受(うけ)されは[やぶちゃん注:総てママ。]、その全身、龍にして、漢祖・邵康節の類(るい[やぶちゃん注:ママ。])とは、日を同じうして語るべからず。いはんや、漢祖誕生の奇瑞、皆、一時、人心(じんしん)を釣(つる)の虛妄(きよまう)。あに龍種(れうしゆ[やぶちゃん注:ママ。])人となるの理(り)あらんや。かの嫗か[やぶちゃん注:ママ。]生《うめ》る女(おんな[やぶちゃん注:ママ。])、即時(そくじ)、龍とならずして、假(かり)に、女と化(くわ)するものは、雲雨(うんう)のときを待(まち)て、いまだ、飛升(ひしやう)せず。且(かつ)は、十月(とつき)の間《あひだ》》、胎中(たいちう)にあたゝめらるゝ恩を報ぜん爲に、猶、老嫗(うば)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]を捨去るに、しのびずして、あるのみ。」[やぶちゃん注:「漢祖」劉邦。「史記」によれば、彼の母劉媼(りゅうおん)が劉邦を出産する前、沢の傍らで、転寝(うたたね)をしていると、夢の中で、神に逢い、父劉太公は、劉媼の上に龍が乗っている姿を見たとし。その夢の後に、劉邦が生まれたと記す。]

 かの男、是を聞(きゝ)て、いわく、

「我、きく。『龍は、九渕(きうゑん)に潛(ひそ)んて[やぶちゃん注:ママ。]眠り、起(おこ)る時は、雲に駕(か)[やぶちゃん注:ママ。]し、霧に乘じ、氣を吸(すい[やぶちゃん注:ママ。])、風を、くらい、その神靈(しんれい)なる、玄々(げんげん)微妙にして、はかるべからず。』と。形、あれども、無(なき)かことく[やぶちゃん注:総てママ。]、かの三停(てい)九似(し[やぶちゃん注:ママ。])の說のことき[やぶちゃん注:ママ。]は、画師(ゑし)のために設(まうく)るのみ。未だ、龍の人を食(くらい[やぶちゃん注:ママ。])たるを聞(きか)ず。かの女、ゆふべ、已(すで)に、わか同伴(なかま)五人を殺す。是、魑魅妖物(ようぶつ[やぶちゃん注:ママ。])にして、龍には、あらじ。御身の言葉、全く、信じかたし[やぶちゃん注:ママ。]。」[やぶちゃん注:「三停九似」南宋の博物誌「爾雅翼」では、竜の姿を「三停九似」、つまり首・腕の付け根・腰・尾の各部分の長さが等しく、角は鹿、頭は駝、眼は兎、胴体は蛇、腹は蜃、背中の鱗は魚、爪は鷹、掌は虎、耳は牛に、それぞれ似るとあることを指す。]

 老翁、笑《わらひ》ていわく、

「龍を神霊(しんれい)のものとする事は、孔子の、老聃(らうたん)[やぶちゃん注:老子の字(あざな)。]を称して、取(とつ)て喩(たとへ)とするに始(はしま[やぶちゃん注:ママ。])れり。しかれども、是、後世、司馬遷の徒(ともから[やぶちゃん注:ママ。])、文飾の詞(ことば)にして、孔子を誣(しい)るものなり。夫《それ》、龍は虵(へび)の類《たぐい》のみ。荆似(けいし)・非椒(ひしやう)・丘訢(きうきん)・周處(しうしよ)・趙昱(てういく)[やぶちゃん注:人名の読みは総てママ。人名は調べる気はない。以下の人名も同じ。悪しからず。]の輩(ともがら)、絞龍を殺す事、往々、書に見えたり。古ヘ、八珎(はちちん)に『龍肝(りうかん)』あり。★竜氏(けんれうし)[やぶちゃん注「★」は「養」の下中央の「良」の代わりに「豕」を入れたものであるが、こんな字は知らない。「初期江戸読本怪談集」では『拳』で起こされてあるが、その異体字には、このような字はない。]・御龍氏(きよれうし)[やぶちゃん注:人名の読みは総てママ。同じく人名は調べる気はない。]、能(よく)、龍を屠(き)る。朱萍漫(しゆへいまん)、此道を學ぶときは、龍、神霊(しんれい)の物にして、豈(あに)人に食(しよく)せられ、或は、人に殺されんや。唯(たゞ)、龍は、𩵋蟲《ぎよちゆう》[やぶちゃん注:「𩵋」は「魚」の異体字。]の中《うち》、最傑(もつとすぐれし)の物にして、雲霧(うんう)を得て、飛揚(ひよう[やぶちゃん注:ママ。])する事、猶、鳥雀(ていじやく)の風《かぜ》に乘じ、虛(そら)を排して、飛(とぶ)に同じ。されば、愼子(しんし)いわく、『飛龍、雲に乘り、騰蛇(とうじや)、霧に遊ぶ。雲雨(うんう)、霽(はるゝ)る[やぶちゃん注:ママ。]時は、蚯蚓((みゝず)に同し[やぶちゃん注:ママ。]。』と。世人《せじん》、しらずして云《いふ》。『雲は、龍に從ひ、風は、虎に隨ふ故に、龍、唫(ぎん)[やぶちゃん注:「吟」に同じ。]すれは[やぶちゃん注:ママ。]、雲、起り、虎、嘯(うそむけ[やぶちゃん注:ママ。])ば、かぜ、生ず。』と。龍虎、何《なん》そ[やぶちゃん注:ママ。]風雲を致すものならんや。是、雲、起《おこり》て、龍、是に隨《したがひ》て、飛(とび)、風、生(しやう)して[やぶちゃん注:ママ。]、虎、是に應じて、嘯(うそむ[やぶちゃん注:ママ。])くなり。普の成公綏(せいこうすい)の賦に、『飛廉鼓于幽燧、猛虎應于中谷。』〔飛廉(ひれん)幽燧(ゆうすい)に鼓(こ)し、猛虎(まうこ)中谷(ちうこく)に應(おう)ず。[やぶちゃん注:ここでは本文の読みの内、歴史的仮名遣の誤りは総て訂してある。]〕と造りしは、よく此理を、さとしたり。韓非子、いへる事あり。『龍の蟲たる、押(おし)て騎(のる)べし。』と。夫(それ)、龍は蟒虵(うはばみ)の類(るい[やぶちゃん注:ママ。])にして、玄々微妙の神靈、あるものならずといへども、其変化(へんくわ)、飛揚(ひよう[やぶちゃん注:ママ。])する、たとへば、狐狸(こり)の、形を變じて、人心を蠱惑(まよとはわせ)、白蓮敎(いづな)をなすものゝ幻術によりて、人の精神を奪ふかことく[やぶちゃん注:総てママ。]、天の、物を生ずるに、同し[やぶちゃん注:ママ。]からず。龍、偏(へん)に禀(うく)る所の伎倆(けいじゆつ[やぶちゃん注:ママ。])有《あり》て、よく、雲に跨(また)かり[やぶちゃん注:ママ。]、霧に乘(のる)を、世人、龍を「神靈」とし、狐狸(こり)のたぐひに至(いたつ)ては、「妖物(ようぶつ)」と、おもへり。何そ[やぶちゃん注:ママ。]龍の「幸(さいわいゐ[やぶちゃん注:ママ。])」にして、狐狸の「不幸(《ふ》かう)」なる。時、維(これ)、十一月の始《はじめ》、陰、極《きはまり》て、一陽を出《いで》ず。龍は陽物(ようぶつ)なり。其氣候に應じて、飛昇(ひしやう)すべし。」

と、いひけるが、山嶽、俄に震動して、雲霧、白日を遮り、暴風、木の葉を捲(まい)て起る。

[やぶちゃん注:「成公綏」(せいこう すい 二三一年~二七三年)は晋代の文人で官僚。当該ウィキによれば、『経書や春秋三伝を広く渉猟し、若くして詞賦の才能を見せた。「天地賦」を作って、張華に文才を見出され、太常に推薦され、博士として召し出された。秘書郎を経て、秘書丞となり、中書郎に転じた。ことあるごとに武帝に命じられて、張華とともに詩賦を作り、また賈充らとともに法律の制定に参与した』。『作品に「楽歌王公上寿酒歌」「中宮詩二首」「仙詩」があった』とある。引用は「嘯賦」の一節。「維基文庫」のこちらで、全賦が電子化されている。その第三段落中にある。

「白蓮敎(いづな)」「白蓮敎」(びゃくれんきょう)は、南宋代から清代まで存在した中国の宗教。当該ウィキによれば、『本来は東晋の廬山の慧遠の白蓮社に淵源を持ち、浄土教結社(白蓮宗)であったが、弥勒下生を願う反体制集団へと変貌を遂げた』。『創始者は南宋孝宗期に天台宗系の慈昭子元だが、当初から』、『国家や既成教団からも異端視されていた。それは、半僧半俗で妻帯の教団幹部により、男女を分けない集会を開いたからだとされる。教義は、唐代三夷教のひとつ明教(マニ教)と弥勒信仰が習合したものといわれる。マニ教は、中国には』六九四年に『伝来し、「摩尼教」ないし「末尼教」と音写され、また教義からは「明教」「二宗教」とも表記された。則天武后は官寺として首都長安城にマニ教寺院の大雲寺を建立している』。『元代には、廬山東林寺の普度が』「廬山蓮宗宝鑑」十巻『を著し、大都に上京して白蓮教義の宣布に努め、布教の公認を勝ち得たが、すぐにまた禁止の憂き目に遭った。元代に、呪術的な信仰と共に、弥勒信仰が混入して変質し、革命思想が強くなり、何度も禁教令を受けた』。『元末、政治混乱が大きくなると』。『白蓮教の勢力は拡大し、ついに韓山童を首領とした元に対する大規模な反乱を起こした。これは目印として紅い布を付けた事から』「紅巾の乱」『とも呼ばれる』。『明の太祖朱元璋も当初は白蓮教徒だったが、元を追い落とし皇帝となると』、『一転して白蓮教を危険視し、これを弾圧した。朱元璋が最初から白蓮教をただ利用する目的だったのか、あるいは最初は本気で信仰していたが』、『皇帝となって変質したのか、真偽のほどは不明である』。『清代に入ったころには』、『「白蓮教」という語彙は』、『邪教としてのイメージが強く定着しており、清の行政府は信仰の内容に関わらず、取り締まるべき逸脱した民間宗教結社をまとめて白蓮教と呼んだ』。『この時代、宗教結社側が自ら「白蓮教」と名乗った例は一例もなく、白蓮教と呼ばれた団体にも白蓮教徒としての自己認識はなかった』。『邪教として弾圧されることにより』、『白蓮教系宗教結社は秘密結社化し』一七九六『年に勃発した』「嘉慶白蓮教徒の乱」『へとつながった』。『清代の白蓮教系宗教結社には、長江中流域の民間宗教である八卦教や清茶門教を淵源とする共通の宗教観が見て取れる[3]。根源的な存在である「無生老母」への信仰と、やがてくる「劫」と呼ばれる秩序の破局の際に老母から派遣される救済者によって、覚醒した信者だけが母のもとへ帰還できるという終末思想である。一般的に救済者は弥勒仏とされる場合が多いが、清茶門教系の経典『九連経』では阿弥陀仏になっている。救済者は聖痕を持った人間として地上に転生するとされ』、「白蓮教徒の乱」『の際には各団体が』、『それぞれの救済者を推戴していた』とある。一方、作者が勝手に振ったルビの「いづな」は「飯綱」で、本邦のブラック・マジック及び民間の特定の家系に伝承される架空の妖獣に基づく邪法「飯綱(いづな)の法」であり、「飯綱」(いづな)は、その妖術師が使役するダークな妖怪「管狐(くだぎつね)」のことを指す。これを語り出すと、また、エンドレスになるので、それは「老媼茶話卷之六 飯綱(イヅナ)の法」の本文と私の注を参照されたい。にしても、ここに至って、作者の衒学趣味が頂点に達し、甚だ厭な生理的拒否感が横溢してしまう。中国の「白蓮教」に「いづな」と場違いな当て訓によって、中国と本邦の起原民俗を一緒くたにして気取った謂いが、逆に半可通を感じさせるからである。]

 

Ru2

 

[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。]

 

 老翁、ゆひ[やぶちゃん注:ママ。]さして云《いふ》。

「赤城山中(やまなか)の妖龍、今こそ、其ときを、得たり。見よ、見よ、山の麓の村落(むらおち[やぶちゃん注:ママ。未だ嘗つて、こんな読みは見たことも聴いたこともない。])、みな、巨#(ぬま)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]と成《なる》ヘし[やぶちゃん注:ママ。]。[やぶちゃん注:「#」は(へん)は「氵」、(つくり)は「くさんかんむり」の下の中間部に「夆」の「丰」を除いたようなものを配し、その下に「巳」を配した奇体な字である。「初期江戸読本怪談集」では、「蟒」の「虫」を「氵」に代えた字で起こされているが、そのような字には私の底本は見えない。まあ、巨大な沼の意ではあろう。]汝、幸《さひはひ》に、迯(のかれ[やぶちゃん注:ママ。])來りて、此所にあり。」

 其詞(ことば)、なを[やぶちゃん注:ママ。]、終らざるに、赤城山のかたより、同國、白根(しろね)か嶽[やぶちゃん注:ママ。日光白根山(にっこうしろねさん)。]、信州、朝熊山(あさくまやま)[やぶちゃん注:不詳。浅間山のズラしかね?]、遠近(えんきん)に、雲、立おゝひ[やぶちゃん注:ママ。]て、霡霖(こさめ)、半天に降り出し、須臾(しゆゆ)にして、烈風(かぜはげしく)、梢(こずゑ)をを[やぶちゃん注:ママ。]折(おり[やぶちゃん注:ママ。])、急雨(きうう)、盆を傾くることく[やぶちゃん注:ママ。]、霹靂(へきれき)、閃電(せんでん)、岩石(がんせき)を崩し、高岸(かうがん)を劈(つんざき)て、大《おほき》さ、屋(いへ)のことき[やぶちゃん注:ママ。]䃲石(ばんせき)[やぶちゃん注:「䃲」は底本では「石」が「皿」の上に「般」の左に並置されてある。]、飛揚(ひよう[やぶちゃん注:ママ。])して、八方に落來(おちきた)る、その音、天も崩れ、地も塌(おちい)るかと疑われ[やぶちゃん注:ママ。]て、かの男は、肝(きも)を喪(うしな)ひ、魂(たましい[やぶちゃん注:ママ。])を落(おと)し、老翁の側(そば)に、潛居(すくみい[やぶちゃん注:ママ。])たるに、その一日一夜、大風・迅雷(じんらい)、止(やま)す[やぶちゃん注:ママ。]。山嶽、鳴響く事、おびたゝしく[やぶちゃん注:ママ。]、纔(やうやう)、暁(あけ)にいたりて、鎭(しつま[やぶちゃん注:ママ。])りぬ。

 老翁、此とき、一ツの白き餅を、かの男にあたへ、食(くわ[やぶちゃん注:ママ。])しむるに、仍(よつ)て、その間、少しも饑(うへ[やぶちゃん注:ママ。])る事なく、夜明(《よ》あけ)におよひ[やぶちゃん注:ママ。]て、戶を、ひらき、外に出《いで》て、見わたせは[やぶちゃん注:ママ。]、実(げ)にも、いひしに違(ちが)わ[やぶちゃん注:ママ。]ずして、遠近(えんきん)の村里(そんり)、人家、一ツもなく、淼(ひよう)〻[やぶちゃん注:ママ。「べうべう」が正しい。]たる水溜りと成(なり)て、人(にん)馬(ば)鷄《けい》犬《けん》、死(しに)つくして、その尸(かばね)だに、なし。

 かの男、大《おほい》に、おどろき、

「我(わ)か[やぶちゃん注:ママ。]住里(すむさと)も、定《さだめ》て、墟(ぬま)[やぶちゃん注:底本の漢字の字体は「グリフウィキ」のこの異体字だが、表字出来ないので正字で示した。]となりけむ。いかゝ[やぶちゃん注:ママ。]。」

と問《とは》んとする時に、老翁の姿は、見えず。

 弥(いよいよ)、

「奇異の事。」

とし、かの祠(ほこら)をたち出《いで》、鷄樓(とりい[やぶちゃん注:ママ。「鳥居」。])のうへに、一ツ、扁(へん)の額(がく)あるを、省(かへりみ)れは[やぶちゃん注:ママ。]

「八幡宮」

の三字あり。

「さては。神霊、わか[やぶちゃん注:ママ。]命を救ひ、危難を免かれしめ給ふなり。」

とて、始《はじめ》て、さとり、感淚、眸(まなじり)に灑(そゝ)ぎて、社壇に、再び、詣(けい)して叩頭(ぬかつき)し、それより、廟(ほこら)を出《いで》て、向ふを見るに、たまり水の中に、浮木(うきき)の流れ漂ふうへに、人、ありて、危き、よふ子(す)[やぶちゃん注:ママ。「樣子」。]に見ゆるまゝ、

「定《さだめ》て、なんに逢(あい[やぶちゃん注:ママ。])て免(まぬか)れ來れるものならん。」と、急き[やぶちゃん注:ママ。]、扶(たす)けて岸に上《あがり》たるに、山中に有《あり》し老嫗(らうう)なり。

「こは、いかゝ[やぶちゃん注:ママ。]して、免れ來りし。」

と問(とふ)に、嫗(うば)、語りけるに、

「わか[やぶちゃん注:ママ。]女(むすめ)、われにおしへ、

『此枯木(かれき)に乘(のり)て、谷の流れに隨ひ、元(もと)住(すみ)し里へ、出《いで》よ。我は、今、龍身を現(あらは)し、飛昇(ひしやう)するなり。』

とて、辭し、別《わか》る。姥(うば)、そのおしへに從ひ、浮木(うき《き》)に乘(のり)て、澗水《たにみづ》に入《いり》けるが、半途(はんと)にして、山嶽(さんかく[やぶちゃん注:ママ。])、鳴響(なりひゞき)し音(おと)、夥しきに驚き、魂(たましい[やぶちゃん注:ママ。])を失ひ、夫(それ)より後(のち)は知らず。唯(たゞ)、夢中(むちう)のごとく也。」

と語る。

「さては。女(むすめ)の撫育(ぶいく)の恩を謝せんために、老嫗(うば)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]を免れしめし。」

と、益(ますます)、神霊の苦(つげ)[やぶちゃん注:漢字はママ。「告」の誤刻。]、尊(たつと)く覚へ、嫗(うば)に此事をものかたりして、倶(とも)に奇瑞を感し[やぶちゃん注:ママ。]けり。

 夫より、路をたづね、彼(かの)山、遠く、龍難(りうなん)を蒙(かふむら)ざる村里に、老嫗(らうう)もろとも、住(すみ)けりとぞ。「怪異話大尾」

 

怪異前席夜話卷之五終

[やぶちゃん注:以下、奥書であるが、底本のリンクに留める。]

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