フライング単発 甲子夜話卷之二十二 8 桑名に一目連と云ふ龍ある事
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号を加えた。]
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「雜談集(ざうたんしふ)」ニ曰、『勢州桑名に「一目連(いちもくれん)」と云(いふ)山あり【是(この)山の龍、片眼の由。依(より)て「一目龍」と謂(いふ)べきを、土俗、「一目連」と呼び來れり。】。此山より、雲、出《いづ》る時は、必(かならず)、暴風、迅雨(じんう)す。先年、此山の片目龍、をこり[やぶちゃん注:ママ。「怒(おこ)り」。]、尾州熱田の民家、數百軒を、大石を以て、累卵(るいらん)[やぶちゃん注:積み重ねた卵。]を壓(おす)がごとく潰し、熱田明神の一ノ鳥居は、大(おほい)さ、二圍(ふたかかへ)程あつて、地中へ、六、七尺、埋(うづ)め、十文字に貫(ぬき)を通したる故、幾千人にても搖(ゆるが)し難(がた)きを、此時、其鳥居を引拔(ひきぬき)、遙(はるか)の野へ、持行(もちゆき)たり。斯(かか)るすさまじき者なれば、此邊の者は、何にても、「疾(はや)く倒るゝこと」を、「一目連」と云。尾・勢の里言(りげん)なり。』【同上。】。世に「一もくさん」と云ふも、この轉語(てんご)なり。
■やぶちゃんの呟き
「雜談集」は林自見の随筆「市井雜談集」(しせいぞうたんしゅう)で、宝暦一四(一七六四)年刊。「東京大学学術資産等アーカイブズポータル」のこちらの「18」コマ目から原版本の当該部が視認出来る。
「一目連」(これは、中部地方の広域方言で、「旋風(つむじかぜ)」を指す語である)については、所持する「和漢三才図会」の原本を見るに、巻第三の「風(かせ)」[やぶちゃん注:清音はママ。後も同じ。]の項の部分立項である「颶(うみのおほかせ)」の寺島の附記の中に(原文を訓点に従って読み下す。但し、この条、他と比べても、異様に送り仮名や読みが少ない。従って、送り仮名の一部や読みの多くは、私が推定で歴史的仮名遣で附した)。
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△按ずるに、勢州・尾州・濃州・驒州、不時(ふじ)の暴風、至ること有りて、俗に之れを「一目連」と稱す。以つて「神風(かみかぜ)」と爲(な)す。其の吹くや、樹を拔き、巖(いはほ)を仆(たふ)し、屋(をく)を壊(こは)し、破裂されざる者、無し。惟(ただし)、一路(いちろ)にして他處(よそ)を傷つけず。勢州桑名郡多度山、「一目連」の祠(ほこら)有り。
相州に、之れを「鎌風(かまかぜ)」と謂ひ、駿州に、之れを「惡禪師(あくぜんじ)の風」と謂ふ。相傳(あひつた)へて云ふ、「其神の形、人のごとくして、褐色の袴(はかま)を着(ちやく)す。」云云。
蝦夷(ゑそ[やぶちゃん注:ママ。原本はカタカナ。])松前に臘月(らうげつ)[やぶちゃん注:旧暦十二月の異名。]、嚴寒、而(しか)も晴天、㐫風(きやうふう)[やぶちゃん注:「㐫」は「凶」の異体字。]有り、行人(みちゆきびと)、之れに逢ふ者は、卒然、倒-仆(たふ)れ、其の頭(かしら)・靣(おもて)、或いは手足、五、六寸許(ばか)り、創(きず)を被(かふむ)る。俗に「鎌閉太知(かまへたち)」と謂ふ。然(しか)れども、死に至る無し。急に萊菔(たいこん)[やぶちゃん注:大根。]の汁を用ひ、之れを傅(つ)くるときは、卽ち、癒ゆ。痕(きずあと)は金瘡(かなきづ)のごとし。津輕の地にも亦、間(まゝ)、之れ、有り。蓋し、極寒(ごくかん)の隂毒(いんどく)なり【此れ、「一目連」と似て、同じからず。皆、惡氣の風なり。】。
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因みに、この「惡禪師」は、平安末から鎌倉初期の僧で源義朝の七男にして源義経の同母兄、源頼朝の異母弟である知られた阿野全成の通称である。彼は、頼家の命を受けた八田知家によって誅殺されたので、所謂怨みを持った「御霊」(ごりょう)である。
「尾・勢の里言なり」上記原本を見るに、ここは『尾州勢州の鄕談(きやうだん)也』となっている。]