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2023/08/19

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「応声蟲」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。底本の標題の「蟲」はママ(ここ)。

 

 応声蟲【おうせいちゅう】 〔塩尻巻七十〕元禄十六(正月初)京師(油小路二条上る)の工人(屏風屋七左衛門)男子(十二歳、長三郎)俄かに発熱し、日をへて心《こころ》立直《たちなほ》りしに、腹中《ふくちゆう》物いふ声あり。合家おどろく。人のいふほどの事を答ふ。彼子毎にあらそふ薬禱を尽して験《しるし》なし[やぶちゃん注:不審有り。後注参照。]。一医(菅玄際)見て、方書および雑記の中にこの疾《やまひ》あり、応声蟲《おうせいちゆう》これなり、試みに薬あたへんとて、雷丸《らいぐわん》の入りし湯薬《たうやく》を三帖《さんでふ》を調して服せしめんとするに、腹声《はらのこえ》大いに拒《こば》みてその薬用ゆべからずと云ふ。頓《やが》て急にのませしが、次の日より声やゝかれしまゝ、弥〻《いよいよ》これを用ひしかば、日を経て声絶えし。一日《いちじつ》厠に登るに、肛門より一蟲を下《くだ》す。形蜥蜴(とかげ)のごとく額に小角《こづの》あり。走りてはたらく。その親やがて打殺しぬ。病者六月の末に快《こころよく》本復せしとぞ。奇疾《きしつ》さまざまにして人身をくるしめ侍る事、和漢の書に間々《まま》見ゆ。養林の上人、唐土《もろこし》この疾有出所《やまひ、しゆつしよあり》、さまざま記し、人間の身中にかぎりなき諸蟲ある事を書せり。(別に一冊とす)元より穢《ゑ》しき身、とく思ひとけばあさましかるべきを、うつくしく思ひひがみたるこそ愚《おろか》に侍れ。 〔閑田次筆巻四〕塘雨<百井塘雨>云ふ。元文三年の頃、四条坊門油小路の東に、観場(みせもの)の催しを業とする者あり。奥丹波の何とかいふ山里に、農人の妻五十歳ばかりにて、応声蟲の病《やまひ》あるよしを聞きつたへて、観場に出《いだ》さんやとかたらひに行きて、二三日逗留して有りしが、いかにも腹中に人声《ひとごゑ》ありて、病人の声に応じて、その詞《ことば》のごとくいふこと分明に聞ゆ。その夫(をつと)の物語に、先年霜月<十一月>に引きつれて、六条詣でせしに、茶所《ちやどころ》にて休らふ間、腹中にて物をいひしかば、諸人怪しみ、とやかくとふことのうるさく、恥かしくおぽえて、その夜たゞちに帰りしといへりとぞ。閑田云ふ。金蘭斎(こんのらんさい)といふ老荘者《らうさうしや》(この伝は予が『畸人伝』に出《いだ》せり)腹中より声に応じて物いふとおぼえたり。されどもこれはただ、みづからおぼゆるのみにて他人きかず。暫しの間にて止みたりと語られし、と馬杉亨安《ますぎこうあん》といふ老人の話なりし。自《みづか》らのみきくは気病《きびやう》にてもありけんかし。〔斉諧俗談巻三〕『遯斎閑覧(とんさいかんらん)』に云ふ。往古《わうこ》人あり。その人言語を発する度に、腹中にて小さき声ありてこれに応ず。漸々《ぜんぜん》にその声大なり。然るに一人の道士ありて云ふ。これ応声蟲なり。但《ただ》本草を読むべし。その答へざるものを取りて、これを治《ぢ》せとをしゆ。因《より》て本草を読むに、雷丸に至《いたり》て答へず。終《つひ》に雷丸を数粒服して、すなはち愈えたりと云ふ。

[やぶちゃん注:「応声蟲」この怪虫、日文研の「怪異・妖怪伝承データベース」の当該項では、この最初の一話を元として、しかし、「呼称」では、「応虫」を「コタエムシ」と訓じている。

「塩尻」「鼬の火柱」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの「隨筆 塩尻」下巻(室松岩雄校・明治四〇(一九〇七)年帝國書院刊)のここ(右ページ下段冒頭)から正字で当該部を視認出来る。

「元禄十六」一七〇三年。

「油小路二条上る」この附近(グーグル・マップ・データ)。

「彼子毎にあらそふ」個人的には、ここで句点で切るべきかと思う。腹中の声と当の少年が言い争うの意で採りたい。

「菅玄際」不詳。

「方書」医書の処方を記したもの。

「雷丸」小学館「日本国語大辞典」では、『竹類の根に寄生する担子菌の一種の菌体。中国に産する。不整齊の塊状で径一~二センチメートル、表面は黒く内面は白色。条虫駆除薬に使われる』とある一方、同じ小学館「デジタル大辞泉」には、『竹に寄生するサルノコシカケ科』(担子菌門菌蕈(きんじん)綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科 Polyporaceae)『のキノコの一種の菌体。直径』一~二センチメートルの『塊状。回虫・条虫などの駆虫薬にされる』とあった。どうも起原生物が怪しい気がした。「森林総合研究所 九州支所」公式サイト内の「雷丸の話」には以下のようにある(部分引用では筆者の意が十分に伝わらないと判断し、特異的に全文を引用させて戴いた。学名の斜体化と最終段落の頭の一字下げは私が行った)。

   《引用開始》

 きのこの菌核である雷丸は、類似の茯苓や猪苓と並んで文献に登場する。日本には分布しないとされるが、古くから薬物として輸入され、正倉院にも保存されているという。竹の根に寄生し、直径一~三㎝の球形~塊状の表面が褐色~黒色の菌核を作る。漢方薬として腸内の条虫、回虫の駆除に用いられてきた。有効成分は蛋白分解酵素の一種で、腸管内の虫体を破壊する。

 中国最古の本草書の神農本草経に登場し、「三虫(回虫、蟯虫、寸白虫)を殺し、毒気、胃中の熱を逐う。丈夫(男子)を利し、女子を利せず。摩膏に作れば、小児の百病を除く。」と記している。

 明代の本草綱目には、「この物は土中に生じ、葉がない。虫を殺し、邪を逐うこと雷のたまのようなものだ。竹の余気が結したものである。だから竹苓という。雷丸の大きさは栗くらいだ。形状は猪苓のようだが円く、皮は黒く、肉は白く、とても堅実である。その昔、ある男が中年になって不思議な病気にかかった。物を言うたびに腹の中から小声で応答する声がする。しだいにその声が大きくなった。ある道士がそれを見て「これは応声虫というものだ。本草学の本を声を出して読んでみて、応答しない物を服用すれば治る。」と言った。そこで雷丸のところで、応答しなかったので、数粒を飲んで治った。」と記されている。

 江戸時代中期の和漢三才図会では、雷丸の生物としての知識はまだ無かったようで、本草綱目の記事を引用しているだけである。また雷丸は中国から安い値段で入るので、珍しくない物だろうが、日本や朝鮮では竹林が多いのに採れないと記している。

 江戸時代後期になると国内からも見つかることもあったようだ。本草綱目啓蒙には「舶来が多い。国産もあるが薬屋には出てこない。舶来の物は、形は猪苓に似るが、小さくて重くて堅実である。大きい物は栗のようで、小さい物はムクロジのようで円いが、円くない物もある。外側は黒く内側は白いが、皮が赤い物もある。皮が黒くて肉が白い物が良く、赤黒色の物は人を殺すといわれる。(中略)先年、遠州の金谷で掘採った物は大きな塊で肉が白く柔らかった。形は茯苓に似ていて中に竹根を挟み込んでいる物があった。阿州の祖谷山の竹林から掘出した物は、竹根の先端が雷丸となっていて茯苓のようだった。」とある。

 これほど昔から知られている雷丸だが、子実体を見たことのある人は少ない。学名はPolyporus mylittaeとされるが、この学名の菌はオーストラリアに分布するきのこで、その菌核は一〇~二〇㎝で大きい。「土人のパン (Blackfellow's bread)」と呼ばれ、雷丸と同一種とは思えない。

 雷丸(菌核)も、本の記載だけではよくわからない。実物を見たいので、十数年前に東京の漢方薬店で雷丸を買った。百gで約三百円だった。ショウロくらいの大きさの菌核で、表面は褐色である。乾燥しきっていたためか石のように硬い。店の人の話では入荷してから十数年経っているとのこと。休眠器官の菌核だから、組織は生きているかもしれないと思い分離を試みたが、残念ながら成功しなかった。

 寄生虫の駆除としては、雷丸は役目を終えたようだが、未知の有用物質があるかもしれない。また生物としての謎は依然として残っている。

   《引用終了》

「三帖」標準一回分の薬を紙に包んだものを「帖」と呼ぶ。現行の漢方医学では、標準的には二・五グラムが「一帖」のようである。

「養林の上人」不詳。

「閑田次筆」国学者伴蒿蹊(ばんこうけい:生まれは近江八幡の京の豪商の子で、同地の同姓の豪商の養子となったが、三十六歳で家督を養子に譲って隠居した)著になる考証随筆。文化三(一八〇六)年刊。「閑田耕筆」の続編。紀実・考古・雑話の三部に分類し、古物・古風俗の図を入れたもの。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』 第七巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のこちら(左ページ後ろから四行目以降)で正規表現で視認出来る。

「塘雨」「百井塘雨」先般電子化した『百井塘雨「笈埃隨筆」の「卷之七」の「大沼山浮島」の条(「大沼の浮島」決定版!)』の冒頭注を参照されたい。

「元文三年」一七三八年。

「四条坊門油小路」この中央附近(グーグル・マップ・データ)。

「六条詣で」京都六条通りにある東・西の両本願寺に参詣すること。

「金蘭斎(こんのらんさい)」(こんらんさい 承応二(一六五三)年~享保一六(一七三二)年)は儒者。出羽久保田藩藩医金三室の子。京都に上り、伊藤仁斎らに学んだ。京で老荘を主として教え、「老荘家」とも呼ばれた。著作に「老子経国字解」「異学篇」などがある。

「この伝は予が『畸人伝』に出せり」伴蒿蹊著「近世畸人傳」のこと。第四巻に載る。国立国会図書館デジタルコレクションの明治一七(一八八七)年文求堂刊)のこちらで挿絵入りの正字表現で視認出来る。同書で、私のお気に入りの学者である。

「馬杉亨安」彼は儒者並河天民(なみかわてんみん 延宝七(一六七九)年~享保三(一七一八)年:京の人。初めは伊藤仁斎に学んだが、仁斎の仁義性情の説に反対し、人間主体の一元説を唱えた。経済・実用の学を重んじ、蝦夷開拓を幕府に建言し、自らも渡航を企て、「蝦夷地大地図」を作製した。和学・医法・本草学にも通じた。著に「疑語孟字義」「かたそぎの記」などがある)の門人で、実は、同じく「近世畸人傳」に「並河天民」があるのであるが、そこに追記して、彼のことが記されてある。同前でここ(三字下げの部分)。

「気病」所謂、「心気症」である。或いは、既にそれを通り越して、妄想性の強い強迫神経症或いは統合失調症に進んでいるのかも知れない。特に自分にしか聴こえない、自分には確かに聴こえる、というのは、後者の可能性が高いと思う。

「斉諧俗談」は「一目連」で既出だが、再掲すると、大朏東華(おおひ(或いは「おおで」)とうか)の随筆で、何時、刊行されたか不明だが、後編は宝暦八(一七五八)刊とするから、それ以前の出版ではある。但し、殆んど総てが引用の累積である。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』巻十(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のここ(左ページの『○應聲虫』)で当該部を正字で視認出来る。

「遯斎閑覧」北宋の陳正敏撰になる医書。現在は散佚して完本は伝わらない。]

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