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2023/08/01

「今昔物語集」卷第十三 天王寺僧道公誦法花救道祖語第三十四

[やぶちゃん注:テクストは「やたがらすナビ」のものを加工データとして使用し、正字表記は国立国会図書館デジタルコレクションの芳賀矢一編「攷証今昔物語集 上」の当該話で確認した。本文の訓読はそれに加えて、所持する小学館『日本古典文学全集」版「今昔物語集 一」(馬淵・国東・今野校注・昭和五四(一九七九)年刊)の訓読と注を参考しつつ、カタカナをひらがなに代えて示した。漢文訓読の基本に基づき、助詞・助動詞の漢字をひらがなにしたりし、読み易さを考えて、読みの一部を送り出したり、記号等も使い、また、段落も成形した。]

 

    天王寺(てんわうじ)の僧(そう)道公(だうこう)、法花(ほふくゑ)を誦(じゆ)して道祖(さへのかみ)を救ふ語(こと)第三十四(さむじふし)

 

 今は昔、天王寺に住む僧、有りけり。名をば、「道公」と云ふ。年來、「法花經(ほふくゑきやう)」を讀誦して、佛道を修行す。常に、熊野に詣でて、安居(あんご)を勤む。

[やぶちゃん注:「道公」事績不詳。

「安居」夏安居(げあんご)。夏安居は仏教の本元であったインドで、天候の悪い雨季の時期の、相応の配慮をした、その期間の修行を指した。多くの仏教国では、陰暦の四月十五日から七月十五日までの九十日を「一夏九旬」(いちげくじゅん)・「一夏」、或いは、「夏安居」と称し、各教団や大寺院で、種々の安居行事(修行)がある。安居の開始は「結夏(けつげ)」と称し、終了は「解夏(げげ)」と呼ぶ。本邦では、暑さを考えたものとして行われた夏季の一所に留まった修行を指す。

「「法花經(ほふくゑきやう)」古くは、歴史的仮名遣では、かく、書かれた。]

 而るに、熊野より出でて、本寺に返る間(あひだ)、紀伊の國の美奈部郡(みなべのこほり)の海邊を行く程に、日、暮れぬ。然(さ)れば、其の所に、大きなる樹(うゑき)の本(もと)に宿りぬ。

[やぶちゃん注:「美奈部郡」「今昔物語集 一」の頭注に、『この郡名』は「和名類聚抄」]には見えずとし、「法華験記」に『「三奈倍郷」とあるのを郡に誤解したもので、三奈倍郡は』「倭名類聚抄」の『紀伊国日高郡南部郷をさすか』とある。現在の日高郡みなべ町(ちょう:グーグル・マップ・データ)である。]

 夜半許(ばか)りの程に、馬(むま)に乘れる人、二、三十騎許り來て、此の樹の邊(ほとり)に有り。

『何(いか)なる人ならむ。』

と思ふ程に、一(ひとり)の人の云はく、

「樹(うゑき)の本(もと)の翁(おきな)は候ふか。」

と。

 此の樹の本に、答へて云はく、

「翁、候ふ。」

と。

 道公、此れを聞きて、驚き、怪しむで、

『此の樹の本には、人の有りけるか。』

と思ふに、亦、馬に乘れる人の云はく、

「速かに罷り出でて、御共(おほむとも)に候へ。」

と。

 亦、樹の本に云はく、

「今夜は、參るべからず。其の故は、駒(にほひむま)[やぶちゃん注:「荷負ひ馬」。]の足、折れ損じて、乘るに能(あた)はざれば、明日(あす)、駒の足を䟽(つくろ)ひ[やぶちゃん注:「療治するか」。]、亦、他の馬をまれ、求めて參るべき也。年(とし)罷(まか)り老(お)いて、行步(ぎやうぶ)に叶(あた)はず。」

と。

 馬(むま)に乘れる人々、此れを聞きて、皆、打ち過ぎぬ、と聞く[やぶちゃん注:「のように聴こえた」。]。

 夜(よ)、曙(あ)けぬれば、道公、此の事を、極めて怪しび、恐れて、樹(うゑき)の本(もと)を廻(めぐ)り見るに、惣(すべ)て、人、無し。

 只、道祖(さへ)の神の形(かたち)を造りたる、有り。

 其の形、舊(ふる)く、朽ちて、多く、年を經たりと見ゆ。

 男の形のみ有りて、女の形は、無し。

 前に、板に書きたる繪馬、有り。足の所、破れたり。

 道公、此れを見て、

『夜(よる)は、此の道祖の云ひける也けり。』

と思ふに、彌(いよい)よ、奇異に思ひて、其の繪馬の足の所の破れたるを、糸を以つて、綴(つづ)りて、本(もと)の如く、置きつ。

 道公、

『此の事を、今夜(こよひ)、吉(よ)く見む。』

と思ひて、其の日、留(とど)まりて、尙、樹(うゑき)の本に、有り。

 夜半許りに、夜前(やぜん)の如く、多くの馬(むま)に乘れる人、來たりぬ。

 道祖、亦、馬に乘りて、出でて、共に行きぬ。

 曉(あかつき)に成る程に、道祖、返り來(きた)りぬ、と聞く[やぶちゃん注:前と同じく音で判断したもの。]程に、年老たる翁、來(きた)れり。

 誰人(たれひと)と知らず、道公に向ひて、拜して云はく、

「聖人(しやうにん)の、昨日(きのふ)、駒(におひむま)の足を、療治し給へるに依りて、翁(おきな)、此の公事(くじ)を勤めつ。此の恩、報じ難(がた)し。我れは、此れ、此の樹の本の道祖、此れ也。此の多くの馬に乘れる人は、行疫神(えやみのかみ)に在(まし)ます。國の内を廻る時に、必ず、翁を以つて、前役(まへやく)とす。若(も)し、其れに共奉(ぐぶ)せねば、笞(しもと)を以つて、打ち、言(こと)を以つて、罵(ののし)る。此の苦(くるしび)、實(まこと)に堪へ難し。然(さ)れば、今、此の下劣(げれつ)の神形(しんぎやう)を棄(す)てて、速かに、上品(じやうぼむ)の功德(くどく)の身を得むと思ふ。其れ、聖人の御力(おほむちから)に依るべし。」

と。

 道公、答へて云はく、

「宣(のたま)ふ所、妙也(たへなり)と云へども、此れ、我が力に、及ばず。」

と。

 道祖、亦、云はく、

「聖人、此の樹(うゑき)の下(もと)に、今、三日(みか)、留まりて、『法花經(ほふくゑきやう)』を誦(じゆ)し給はむを聞かば、我れ、『法花』の力に依りて、忽ちに、苦(くるしび)の身を棄てて、樂(たのしび)の所に、生(むま)れむ。」

と云ひて、搔き消つ樣(やう)に失せぬ。

 道公、道祖の言に隨ひて、三日三夜(みかみよ)、其の所に居(を)りて、心を至(いた)して「法花經」を誦す。

 第四日(だいしにち)に至りて、前(さき)の翁、來れり。

 道公を禮して、云はく、

「我れ、聖人(しやうにん)の慈悲に依りて、今、既に、此の身を棄てゝ、貴(たふと)き身を得むとす。所謂(いはゆ)る補陀落山(ふだらくせん)に生(むま)れて、觀音の眷屬と成りて、菩薩の位(くらゐ)に昇らむ。此れ、偏へに『法花』を聞き奉つる故也。聖人、若し、其の虛實(こじち)[やぶちゃん注:真偽。]を知らむと思ひ給はば、草木(さうもく)の枝を以つて、小さき柴(しば)の船を造りて、我が木像を乘せて、海の上に浮べて、其の作法を、見給ふべし。」[やぶちゃん注:私はこれは、このロケーションの紀伊半島の東部の対位置にある紀伊那智勝浦の天台宗補陀洛山寺(ふだらくさんじ)の補陀落渡海のイメージが濃厚に作用しているもののように思われる。]

と云ひて、搔き消つ樣に失せぬ。

 其の後(のち)、道公、道祖(さへのかみ)の言(こと)に隨ひて、忽ちに、柴の船を造りて、此の道祖神の像を乘せて、海邊に行きて、此れを、海の上に、放ち、浮ぶ。

 其の時に、風、立たず、波、動かずして、柴の船、南を指して走り去りぬ。

 道公、此れを見て、柴船の見えず成るまで、泣々(なくなく)、禮拜(らいはい)して返りぬ。

 亦、其の鄕(さと)に、年老たる人、有り。其の人の夢に、此の樹(うゑき)の下(もと)の道祖(さへのかみ)、菩薩の形と成りて、光を放ちて、照らし、耀(かかや)きて、音樂(おむがく)を發(はつ)して、南を指して、遙かに飛び昇りぬと、見けり。

 道公、此の事を、深く信じて、本寺に返りて、彌(いよい)よ、「法花經」を誦する事、愚(おろ)かならず[やぶちゃん注:精進を重ねて熱心に誦し続けたことを言う。]。

 道公が語るを聞きて、人皆(ひとみな)、貴びけり、となむ語り傳へたるとや。

 

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