柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「陰徳陽報」 / 「い」の部~了
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
陰徳陽報【いんとくようほう】 〔耳囊巻五〕或武家、両国を朝通りしに、色衰へし女、欄干の辺をあちこち徘徊せる様《さま》、身を投げ、入水《じゆすい》を心懸るやと疑はしく、立《たち》よりてその様を尋ねしに、綿摘《わたつみ》を業《なりはひ》とせるものにて、預りの綿をぬすまれ、我身の愁ひは申すに及ばず、親方も呉服所《ごふくしよ》への申訳なき筋なれば、入水せんと覚悟極めし由かたりぬ。いか程の価ひあれば、つぐのひなりぬるやと尋ねしに、我等が身の上にて急に調ひがたし、三分程あれば償ひも出来ぬべしと云ひし故、それは僅かの事なり、我与へんとて、懐中より金三分取出し、彼女子に与へしに、百拝して歓び、名所《などころ》など聞きけれど、我は隠徳に施すなり、名所を云ふに及ばずとて、立別れしが、年を隔て、川崎<神奈川県川崎市>とか、また亀戸《かめいど》<東京都江東区>辺とか、其所は聞かざりしが、所用ありて渡し場へ懸りしに、彼女にふと出会ひけるに、女はよく覚えて、過ぎし両国橋の事を語り、ひらに我元へ立寄り給へと乞ひし故、道をも急げばと断りしが、切に引留めて、あたりの船宿ヘともなひ、誠に入水と一途に覚悟せしを、御身の御影にて、事なく綿代をも償ひ、我身もみやづかへにて綿摘みし事、過ぎし盗難に恐れ暇《いとま》取りて此船宿へ片付《かたづき》けるに、不思議にも今日御目に懸りしも奇緣とやいふべきとて、蕎麥・酒抔出《いだ》し、家内打寄《うちよ》りて饗應せしに、かの渡し場にて何か物騷がしき様子、その訳を尋ねしに、俄かに早手(はやて)出《いで》て渡船《わたしぶね》くつがへり、或ひは[やぶちゃん注:ママ。]溺死、不思議に命助かりしも、怪我などして、大勢より集りて介抱せるよし、是を聞《きき》て、誠にこの船宿へ、彼女に逢ひ、引留められずば、我も水中のうろくづとならん、天道其《その》善に組《くみ》し、隱德陽報の先言《せんげん》むなしからざる事と人の語りぬ。〈『其昔談』に大体これと同じき話あり。明の『輟耕録』に基づくものの如し。『思出草紙巻四』に出でたるは、遥かに長けれども、話の眼目は全く同じ〉
[やぶちゃん注:「耳嚢 巻之六 陰德危難を遁し事」を参照されたい。
「呉服所」公・武・諸家の衣服類の御用達をした呉服屋。呉服調達の他に内証御用(金銀の融通)もした。
「其昔談」「そのむかしがたり」と読む。江戸後期の国学者三木隆盛(生没年未詳)が集めた明和(一七六四年~一八一八年)から文化に至る風聞随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの「續燕石十種」第二(明治四二(一九〇九)年国書刊行会刊)に載るもので当該話を発見した(左ページ上段三行目から)ので、見られたい。
「明の『輟耕録』に基づくもの」「飛雲渡」(ひうんど)がそれ。先の「耳囊」の私の注でもごく簡単に紹介してある。原文は「中國哲學書電子化計劃」のこちらから影印本が視認出来る。新字新仮名であるが、「青空文庫」の岡本綺堂「中国怪奇小説集 輟耕録」の冒頭で訳が読める。
「思出草紙巻四」「古今雜談思出草紙」が正式名で、牛込に住む栗原東随舎(詳細事績不詳)の古今の諸国奇談珍説を記したもの。その巻四の巻頭を飾る「○陰德陽報之事」がそれ。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第三期第二巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここから視認出来る。
因みに、最近、たまたま電子化した「只野真葛 むかしばなし (76) 命を救って命助かる奇譚」の聴き書きも、明かに酷似した同型譚である。これらは、まさに合って欲しいと当時の読者が思う、架空の話であったことが、判る。]