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2023/08/06

甲子夜話卷之七 12  朝鮮國の僧松雲の事

[やぶちゃん注:今回は殆んどが漢文訓点附きでかなり長い。されば、特異的に訓点に従って訓読したものを電子化することとした。一部では推定で送り仮名を添えた。他に記号等を用いて読み易くし、句読点も変更・追加した。また、訓点はかなり不全で、一部は( )で推定で訓読せざるを得ず、歴史的仮名遣で補い、注は文中に挿入した。なお、各個条は、二行目以降は一字下げであるが、引き上げた。]

7―12 朝鮮國の僧松雲の事

 御旗本衆に山本新右衞門と云(いふ)人あり。朝鮮人松雲(しやううん)の書札を收めり。其摸本を人の示しければ、ここに寫す〔「元(もと)、印あれども、文字、浸漶[やぶちゃん注:「しんかん」。文字や印・絵などが磨耗や湿気で、かすれてしまい、はっきり判読出来ないことを言う。]してよめがたし。」と云。〕。

一、庚寅(こういん)の歲、使ひを日本に送るは、只、是、隣りに交はり信を通じ、相好(さうがう)するのみ。歸服するに非ざるなり。(庚寅は天正十八年[やぶちゃん注:一五九〇年。]。明、萬曆十八年。吾(わが)文祿に先(さきだ)つこと三年[やぶちゃん注:底本に『欄外原注』とある。])。[やぶちゃん注:「行長」小西行長。]

一、此の時、對馬島の守(もり)と、行長と、奏(そう)する所は、僞り也[やぶちゃん注:「也」は「僞」の右下に打たれている。衍字か或いは「なる」と読んでいるか。]なり。日本及び我が朝鮮を欺罔(ぎまう)す、實語に非ざるなり。

一、我が國、君臣父子、有りて、而る後(のち)、大明の國に屬することを爲(な)す。君臣の義、定まり、誠心、大いに事とす。天地、覆墜すると雖も、易(か)へざるなり。何ぞ日本の與(た)めに道を借して同じく大明を伐(う)つべけんや。是れ、臣、君に叛(そむ)き、子、父に叛く。天地の間、寧(なん)ぞ是の理(ことわり)有らんや。寧(むし)ろ、百死すべきもや。此等の語(ことば)を聞くことを願はざるなり。

一、對馬守と行長と、何ぞ道を借(か)る事を以つて、進みて、我が國に告ぐることを得んや。此等の傳語、有りと雖も、我國、只、伏死(ふくし)すべきのみ。豈(あに)聽從することを得べけんや。是れを以つて、此等の語を聞かざるなり。

一、六年前、日本の軍兵、渡海の初め、城に逢へば、卽ち、毀(こぼ)ち、人を見れば、卽ち、殺す。何ぞ、路を借(か)るの說、通ずる暇(いとま)あらんや。何ぞ、從・不從、殺・不殺を論ずる暇あらんや。行長等(ら)、太閤に報ずるの說、是れ亦、大いに日本を欺罔するなり。

一、五年前、日本の軍兵、京城を出づるの時、王子、放ち還せば、則ち、國王、親(みづ)から、渡海して、謝(しや)を致すの說、實(まこと)に、何人(なんぴと)の口に出(いづ)るや。朝鮮の地を割(さ)き、日本に屬(ぞく)するの說、又、何人の口に出るや。沈爺に出るか、行長に起こるか。日本、百の王子を擒(とりこ)にして還さずと雖も、豈(あに)、國王、渡海して謝を致すの理(ことわり)あらんや。大上官才智、人に出づ。豈、可・不可、義・不義、成・不成、知らざらんや。而るを、妄(みだり)に之れを爲さんや。成すべからざるを知り、而(しか)も、强(し)いて之を爲すは、則ち、竹を架(か)して、天を打ち、空(そら)を敲(たた)きて、響きを覓(もと)む、其れ、得べけんや。此の說を作(さく)して、太閤の報ずる者は、日本を欺罔し、大明を欺罔し、朝鮮を欺罔す。三國を欺罔して、而して、其れ、庸-詎(いづくんぞ)身を天地の間に容(いれ)んや。是の人は、

則ち、天地鬼神を欺罔す。人を欺(あざむ)すら、猶、且つ、堪へず。況んや、天を欺き、神を欺くをや。此れ、必ず、國を誤るの臣なり。說くべからず、說くべからず。我が國、則ち、曾つて未だ此等の語を聞かざるなり。又、此等の人を見ざるなり。大抵、事を做(つく)るの人は、則ち、相ひ與(とも)に、論議し、義、合へば、則ち、成り、合はざれば、則ち、成らず。豈(あに)此等の做(つく)りし難(がた)き底(そこ)の無義の事、有らんや。吾、此の意を將(も)つて、歸りて、朝廷に告げば、則ち、必ず、掌(てのひら)を付せんのみ。又、何ぞ言はんや。

一、王子、渡海の事は、勢(せい)は難(かた)からずに似て、而(しられ)ども、義、則ち不可なり。何となれば、王子を以つて、一身、之れを論ずれば、則ち、宜(よろ)しく渡海して禮を太閤の前に伸(の)ぶ。宗社を以つて、之れを論ずれば、則ち王子を以つて、君父の讐(かたき)の家に送禮す。明(あきら)かに、決して、送るべからざるを知るなり。況んや、我が國王の子、天子の命に非ざれば、則ち、天朝に入覲(にふきん)[やぶちゃん注:参内して天子に拝謁すること。]するすら、猶、且つ、爲(な)さず。其れ、能(よ)く渡海して讐の家の面目(めんぼく)を見んや。然(しか)れども、謀(はかりごと)は人に在りて、成(なる)ことは天に在るなり。天を言(い)ひて、謀をせざるべからざるなり。大上官(たいじやうくわん)は、則ち、宜しく之れを謀(はか)るべし。而(しか)も、我が國は、則ち、之れを斷(だん)ずるに、義を以つてせんや。余(よ)、歸りて、先づ、沈老と慶州に入るの意を喩(さと)せん。又、朝廷に告げて、稟(りん)[やぶちゃん注:命令を受けること。]を取り、命令の如何(いかん)を聽きて、還報(くわんはう)せんことを、是れ、料(はか)る。但し、此の意、外人をして之れを知らしむ。行長の徒(と)、上官、我等と、論議の事を聞かんと欲し、窺(うかが)ひ聽く者、紛紜(もめごと)、更に須(すべか)らく之れ愼しむ。我、亦、勉力(べんりよく)して、之れが大計を圖(はか)らん。

一、我、上官と論ずる所の事、之れを成せば、則ち、渡海、何ぞ難(かた)かんらんや。

一、上京して(「而」の下に「奏」の字。[やぶちゃん注:静山の注記か。前の原文は「上京而」で、この丸括弧の内の原文は「而下奏字」。])之れを事とす[やぶちゃん注:原文にはレ点はないが、返って読んだ。]。成・不成の消息は、則ち、先づ、子(し)[やぶちゃん注:王子のことか。]、蒋啓仁を下送(げさう)し、之れを傳通(でんつう)せしめん。我、則ち、事勢、光り有るを待ちて、然して、後(のち)、下來(げらい)せん。

一、亦、未だ期すべからざるなり。時に隨ひて、善(よ)く處(しよ)するを、科(はか)らんと爲(す)。

一、答夜問書[やぶちゃん注:「夜を徹して問いへの答えを書いた文書」の意か。]、二件、一樣。

義・不義、可・不可、已に前書に陳(ちん)す。吾、何ぞ儞的(じてき)[やぶちゃん注:不詳。現代中国語では「あなたの」或いは「座右」の意がある。]と强(しい)て指馬(しば)を分(わか)たんや[やぶちゃん注:意味不明。或いは、「馬鹿」(鹿を指して馬と言わせる)の始皇帝の末子(ばっし)の秦の第二代皇帝胡亥(こがい)の故事に基づくか。]。只(ただ)、天下の公論を待つのみ。復(ま)た何ぞ言はんや。然りと雖も、我、當(まさ)に勉力して、之れを謀るべし。

 皇明萬曆二十五年三月二十一日

             朝鮮北海松雲 

                    

Syouun

[やぶちゃん注:「松雲」の署名。底本よりトリミング補正した。底本では名前のすぐ下にある。]

  此の十一件、淸正、諸(もろもろ)、日本に告ぐべし。

 この萬曆二十五年は、吾(わが)慶長二年[やぶちゃん注:一五九七年。]にして、秀吉、復(また)朝鮮を伐(うつ)の年なり。又、松雲は、濟門[やぶちゃん注:臨済宗の意か。]の僧なりと云。「懲認錄」に所ㇾ載(のするところ)は【此書は彼國の所著なり。】、[やぶちゃん注:以下、最後まで、再び、漢文。]沈惟敬(しんいけい)[やぶちゃん注:朝鮮語「シェン・ウェイジン」。生年未詳で万暦二五(一五九七)年に没した、明の外交使節の官人。当該ウィキによれば、『嘉興府平湖県の出身。若いときから弁舌に巧みで、明に仕官した』「文禄の役」の際、『明の遊撃軍の将軍付きの使節として派遣され、小西行長や宗義智らとともに和議交渉を持続したが』、『欺瞞外交によって、アジア各国の混乱を大きくした』。『明使として日本に来朝し』、『大坂城で豊臣秀吉に面会もしている。しかし、欺瞞外交が露呈し』、「慶長の役」の『再出兵を招いたため、明に帰国後、万暦帝の勅命によって』、『北京で公開処刑された』とある。]、平壤より賊中に出入(しゆつにふ)す。勞苦、無からんばあらず。然れども、講和を以つて名を爲す。故、我が國の爲めに喜ばられず。最後、賊、釜山(ぷさん)に留(とどま)りて、久しくして、海を渡らず。李册使、逃(のが)れ還る。中朝、就きて、惟敬を差して、副使に充(あ)て、楊使と倭國に入る。終(つひ)に要領を得ずして、囘(かへ)る。行長・淸正等(ら)、還りて海上に屯(とん)す。是れに於いて、中國、我が國と、論議、籍々(せきせき)[やぶちゃん注:口々に言い囃すさま。]、皆、咎(とが)を沈惟敬に歸(き)して、甚だしき者は、或いは言ふ、「惟敬、賊と謀(はかりごと)を同じふして、叛(そむ)ける形(かたち)、有り。」と。我が國の僧人、松雲、西生浦(せいせいほ[やぶちゃん注:朝鮮語「ソセンポ」。「文禄・慶長の役」に於いて、加藤清正によって、現在の大韓民国蔚山広域市蔚州郡のここ(ウィキペディアの地図)に倭城が築かれた。])に入(はい)りて、淸正に見(まみ)え、還りて言(いは)く、「賊、大明を犯さんと欲す。」と。言ふ所、絕(た)だ、悖(もと)れり[やぶちゃん注:道理に反する。]。卽ち、具(とも)に天朝に奏す。聞く者、益(ますます)、怒る。惟敬、禍(わざはひ)至るを知り、憂ひ惧(おそ)れて、出づる所を知らず。乃(すなは)ち、書を金命元に貽(おく)り、其の終始を敍(の)べて、以つて、自(みづか)ら、辨ず。

 

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