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2023/08/15

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「失なった釵」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 失なった釵【うしなったかんざし】 〔牛馬問巻四〕先年予<新井白蛾>が知音《ちいん》もの、比(ころ)はきさらぎの空、夙(つと)に[やぶちゃん注:朝早くに。]起(おき)て、庭園に遊ぶ。その妻を呼ぶ事三四声、通ぜざるをもて呼ぶこゑ急なり。妻驚き走りて庭に行く時に、銀の釵を失ふ。たづぬれども得ず。下女なるものを疑ふといへども、その証なければ止みぬ。ほどなく弥生の季《すゑ》も来ぬれば、かの婢《はしため》は暇《いとま》をとらせ、その事忘れて、この年も暮れぬれば、世とともに煤《すす》はらひせしに、庭の庇《ひさし》の屋根裏に、塵に埋《うづみ》て有りし。おもふに速かに走る時に飛びて、こゝに入りし事を覚えず、罪なき人を疑ひ疎《うと》んず。まことに慎むべき事なり。良《げに》も『輟耕録』に、木八刺《ぼくはつら》といふもの、妻とともに飯《めし》す。その妻、金鑱《かなふぐし》[やぶちゃん注:古くは「かなぶくし」で、本来は鉄製の土を掘る道具を指すが、ここは高価な金(きん)製の尖った笄(こうがい)を指すか。]にて肉を剌して口に入れんとす。時に客有りて至る。夫出《いで》て客に礼す。妻も肉を啖《く》ふに及ばず。置きて起つて茶をすゝむ。客かへるに及んで、膳に向ふに金鑱を失ふ。覓(もとむ)るに処《ところ》なし。時にひとりの小婢《せうひ》、側《かたはら》に有《あり》て給仕す。その竊《ぬす》み取る事をせむれども、終《つひ》に辞《ことば》なく、甚しきに至《いたり》て命《いのち》を損ず。歳去《としさり》て後《のち》屋《をく》を整ふ。人をして瓦上《かはらのうへ》の垢《あか》を掃《はら》はしむ。忽ち一物《いちもつ》をはき落《おと》し、石にあたつて声《こえ》有り。取《とり》てこれを見るに、向(さき)に失ふ所の金鑱、朽骨《くちたるほね》とともに墜《お》つ。その所以《ゆゑん》をたづぬるに、猫来《きたり》て肉を偸《ぬす》む。時に金鑱、肉に刺《さし》たれば、ともにもち去るなり。この婢、見るに及ばずして罪《つみ》に死す。哀しむべきの甚《はなはだ》し。これその品《しな》異《ことな》るといへども、和漢同日の談のみ。ともに記して後人の鑒《かがみ》とす。

[やぶちゃん注:「牛馬問」「烏賊と蛇」で既出既注。この正字原文は国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』㐧三期・㐧五卷(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここの「卷之四」巻頭にある「○釵を失ふ話」がそれ。

「輟耕録」元末の一三六六年に書かれた陶宗儀の随筆。巻十一にある「金鑱刺肉」。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の訓点附きの承応元(一六五二)年板行の、ここと、ここで視認出来る。新字新仮名だが、「青空文庫」の岡本綺堂「中国怪奇小説集 輟耕録」の「金の箆(へら)」で訳が読める。]

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