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2023/08/14

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「魚石」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

     

 

 魚石【うおいし】 〔耳囊巻三〕いつの頃にやありけん、長崎の町家の、石ずへ[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]になしたる石より、不断水氣うるほひ出《いで》しを唐人見て、右石を貰ひたき由、申ければ、子細ある石ならんと、その主人これをおしみ[やぶちゃん注:ママ。]、右石ずへをとりかへて取入《とりいれ》て見しに、とこしなへにうるほひ、水の出《いで》けるにぞ、これは果して石中に玉《ぎよく》こそありなんと、色々評議して、打寄り連々《つれづれ》に研《みがき》とりけるに、誤つて打割りぬ。その石中より水流れ出て、小魚《こうを》出けるが、忽ちに死しければ、とり捨て済《すま》しぬ。その事あとにて、彼《か》の唐人聞きて、涙を流して、これを惜しみける故、くはしく尋ねければ、右は玉中に蟄《ちつ》せしものありて、右玉の損せざる様に、静かに磨きあげぬれば、千金の器物なり、をしむべしをしむべしといひしとなり。世に蟄竜などいへるたぐひも、かゝるものなるべしと彼地《かのち》ヘ至りし者語りぬ。 〔寓意草〕石の中にいきたるいをのゐることあり。長崎のつかさしける人のかたりける。二十年ばかりさいつころ、紅毛人の長崎より発船するとて、やどのあるじよびて、庭のかたへなる手水《てうづ》どころのほとりなる、いしひとつさして、これえさせよといふ。いとやすきなりといへばこよなうよろこほひて、こがね五両とりいでて与へぬ。えうまじ[やぶちゃん注:呼応の不可能の副詞「え」+「得まじ」で、「とても、こんな大金は貰うことは出来ない。」の意か。]といなべば、石得たるいはひなんやる、しろ[やぶちゃん注:「代」。代金。]にあらず、石はまたこんまでくらにをさめてたうべ、三年へばかならずきなんといふ。しきりに辞(いな)べどもきかで、こがねくれて舟だちしていにけり。いしは倉に納めてむとせ[やぶちゃん注:「六年」。]に成《なり》てわすれゐたり。あるひふととり出《いで》て、かたへの人にかくなんとかたりぬ。オランダびとのやういひぬるゆゑ、よしぞあらん、みとせへばかならずきなんと契りて、む年にもなりてこねば、又もこじ、いでわりてみてんよとて、をのもてうちわりぬ。石の中より水のさとこぼれて、あかき魚のいきたるをどりいづ。あなあやし、このいをのあるを知りてぞこひけめと、いぶかりてやみぬ。つぐる年かの紅毛人のきて、石はいかがしつらん、契りし年こざりければ失ひやしつといふ。あるじ身を措《を》く所無く、かほうちあかめて、かくとわびければ、力なきわざかな、万里の海を隔てぬれば、たよりもままならず。とひ聞かざりけるぞ悔しけれ。うへなきたから失なひぬとて歎きぬ。如何なる宝ととヘば、かの石をもていきて、すりみがきつれば、水さうなどのやうして、いをのすきてみゆ。千年ふれども此いをしなず。この中の魚をあさなゆふなにみをれば、人もしらず命を延《のぶ》るたからなり。命をながうするもの、この石の外にはあらず。国にもていきて、おほぎみに奉れば、かぎりなきめぐみをたべ[やぶちゃん注:原著(後述)では、編者によって「給(た)ぶ」の誤記か、とする割注がある。]、こと国にあらず、たゞ日の本にのみたまたまありといふ。石のみんやうこひまねびけれど[やぶちゃん注:「その石の見つけ方を教えて呉れるように頼んだが」の意か。]、をしへずしていにぬ。この物語は享保のすゑ、外記大久保忠清がいへにてきゝぬ。人のきたりてあやしきものがたりの侍る。このころ筑波山の麓なる人のかたり侍る。去歳《こぞのとし》の冬いづちともなき人ふたり来て、庭なる石どもみんとてみたり。その中の一つをかひなんといふ。あるじのおきな、かはばうらなん、我子の山へいきぬれば、帰らんを待《まち》てうらんといふ。しろにはこがね一両あたへん、かゝる石ひとつをこがねもてかはんてふはいつはりなめり。かたく偽らず、なほ山に入り石みてきなまし、かへるさに必ずえさせよとちぎりて、ふたりはいぬ。子の帰りければかくとかたれば、ゆゑありてぞほりすらめ、さあらばあらひてんとあらひつ、土のこほりたれば、あつき湯もて洗ひぬ。とばかりへて、二人のかへりきてもていなんといふ。とりてあたふ。おどろき歎きて、口をしきわざかな、湯にてあらひたればようなしといふ。あるじおやこもなげきて、あまりにつちにまみれたれば、さてあらひつ、あらひてようなきことやあるといへりければ、石のよしをしらぬからこそさは思ふらめ、わなみ[やぶちゃん注:「我儕・吾儕」は一人称代名詞。対等の者に対して自身を言う語。]は東の都よりきたれり、ちかき頃この石のみるようまねびて、かなたこなた尋ねめぐりて、たまたまかのひとつみえたり、この中にいをあり、湯もてあらひたるがふたついでたり。かゝるためしもあるぞといふ、長崎の物語とあひける。 信夫の山のもとを掘《ほり》ければ、ひらなるいしの四尺あまりありて青黒きに、三尺ばかりなるいをのつきたるをほりいでたり。鱒《ます》といふ魚ににて、いろこ[やぶちゃん注:「鱗」。]あらくあを色なり。めのうちもいきたる魚なして、板にのせたるやうに石につきてあり。その魚もいしなりけり。福嶋の孫右衛門といふもののいへにおきしを、原新六郎といふ人の御代官として、けみにきたりけるが、おほきみにたてまつらんとて、とりてのぼりき。

[やぶちゃん注:第一話は「耳嚢 巻之三 玉石の事」を見られたい。「雲根志」に載る同内容の話「生魚石(せいぎよいし) 九」を挿絵も添えて電子化注してある。

「寓意草」「鼬の怪」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションのそちらで示したのと同じ活字本で、当該部を視認出来る。]

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