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2023/08/01

「今昔物語集」卷第二十六 東下者宿人家値產語 第十九

[やぶちゃん注:テクストは「やたがらすナビ」のものを加工データとして使用し、正字表記は国立国会図書館デジタルコレクションの芳賀矢一編「攷証今昔物語集 下」の当該話で確認した。本文の訓読はそれに加えて、所持する小学館『日本古典全集』版「今昔物語集 三」(馬淵・国東・今野校注・昭和五四(一九七九)年刊)の訓読と注を参考しつつ、カタカナをひらがなに代えて示した。漢文訓読の基本に基づき、助詞・助動詞の漢字をひらがなにしたりし、読み易さを考えて、読みの一部を送り出したり、記号等も使い、また、段落も成形した。□は欠字。一部のそれは欠字かどうか疑わられる箇所では、カットした。さらに、一部の不審箇所は、『日本古典全集』版の注を参考に弄った箇所がある。]

 

    (あづま)に下(くだ)る者、人の家(いへ)に宿りて產(さん)に値(あ)ふ語(こと)第十九(じふく)

 

 今は昔、東の方へ行く者、有りけり。

 何(いづ)れの國とは知らず[やぶちゃん注:作者の附記。]、人鄕(ひとざと)を通りけるに、日、暮れにければ、

『今夜(こよひ)許(ばか)りは、此の鄕(さと)には、宿りせん。』

と思ひて、小家(こいへ)の□□[やぶちゃん注:「流石(さすが)」が推定比定される。]に大(おほ)きやかに造りて、稔(にぎ)はゝし氣(げ)也けるに、打ち寄せて、馬(むま)より下りて云はく、

「其々(そこそこ)へ罷(まか)る人の[やぶちゃん注:どこそこへ参る者ですが。]、日の暮れにたれば、今夜(こよひ)許りは、宿し給ひてんや。」

と。

 家主立(いへあるじだち)たる、老(お)いしらひたる[やぶちゃん注:老いぼれた。]女(をむな)、出で來て、

「疾(と)く入りて、宿り給へ。」

といへば、喜び乍ら、入りて、居客人(まらうどゐ)[やぶちゃん注:客間。]と思(おぼ)しき方(かた)に居(ゐ)ぬ。

 馬(むま)をも、廐(むまや)に引き入れさせて、從者共(じゆしやども)も、皆、然(しか)るべき所に居(ゐ)つれば、

『喜(うれ)し。」

と思ふ事、限り無し。

 然(さ)る程に、夜に成りぬれば、旅籠(はたご)□て[やぶちゃん注:旅用の携帯の弁当を『廣げて』辺りか。]、物など食ひて、寄り臥(ふ)したるに、夜(よ)、打ち深更(ふく)る程に、俄かに、奧の方(かた)に、騷ぐ氣色(けしき)、聞こゆ。

『何事ならむ。』

と思ふ程に、有りつる女主、出で來て、云はく、

「己(おのれ)が娘の侍るが、懷姙、既に此の月に當りて侍りつるが、『忽ちにやは』[やぶちゃん注:今日(きょう)には生まれるということは、これ、あるまい。]と思ひて、晝[やぶちゃん注:深夜から「夕暮れ時」を指して「昼」(の終り)と言ったものであろう。]も宿(やど)し奉つる。只今、俄かに、其の氣色(けしき)の侍れば、夜(よる)には成りにたり、若(も)し、只今にても產(むま)れなば、何(いか)が、し給はむずる。」

と。

 宿人(やどりうど)の云はく、

「其れは、何(いか)でか、苦しく侍らん。己(おのれ)は、更に、然樣(さやう)の事、忌(い)み侍るまじ。」[やぶちゃん注:出産は死穢と並んで民俗社会では「穢(けが)れ」としえ忌み嫌われた。出産の血の穢れの他に、一つ体内に魂が二つあるということが、異常な状態とされたこと、則ち、その異常事態が魔物を侵入させ易いと考えられことなども大きい。]

と。女(をむな)、

「然(さ)ては。糸(いと)吉(よし)。」

と、云ひて、入りぬ。

 其の後(のち)、暫く有る程に、一切(ひとしき)り、騷ぎ喤(ののし)りて、

『產まれつるなめり。』

と思ふ程に、此の宿人(やどりうど)の居たる所の傍らに、戸の有るより、長さ八尺許りの者の、何(なに)とも無く、怖ろし氣(げ)なる、内より、外(と)へ出でて行くとて、極めて怖ろし氣なる音(こゑ)して、

「年(とし)は八歲(はつさい)、□は自害。」[やぶちゃん注:欠字は「死」・「死因」などが仮定されている。]

と、云ひて、去りぬ。

『何(いか)なる者の、此(かか)る事は、云ひつるならむ。』

と思へども、暗(くら)ければ、何とも、え見えず。

 人に、此の事を語る事、無して、曉(あかつき)に、疾(とく)、出でぬ。

 然(さ)て、國に下りて、八年有りて、九年と云ふに、返り上りけるに、此の宿りし家を思ひ出でて、

『情(なさけ)有りし所ぞかし。』

と思へば、

『其の喜びも云はむ。』

と思ひ寄りて、前の如く、宿りぬ。

 有りし女(をむな)も、前より老いて、出で來たり。

「喜(うれ)しく、音信(おとづれ)給へり。」

と云ひて、物語などする次(つい)でに、宿人(やどりうど)、

「抑(そもそ)も、前に參りし夜(よ)、產(むま)れ給ひし人は、今は、長(ちやう)じ給はむ。男(をとこ)か女(をむな)か、疾(と)く、忩(いそ)ぎ、罷り出でし程に、其の事も申さざりき[やぶちゃん注:お訊ね致しませんでした。]。」

と云へば、女、打ち泣きて

「其の事に侍り。糸(いと)淸氣(きよげ)なる男子(をのこご)にて侍りしが、去年(こぞ)の、其の月、其の日[やぶちゃん注:細かな部分が不明な作者による不定表現。]、高き木に登りて、鎌を以つて、木の枝を切り侍ける程に、木より落ちて、其の鎌の、頭(かしら)に立ちて、死に侍りにき。糸(いと)哀れに□□[やぶちゃん注:「はべ(侍)」か。]る事也。」

と、云ひける時にぞ、宿人、

『其の夜(よ)の、戶より出でし者の云ひし事は、然(さ)は、其れを、鬼神などの、云ひけるにこそ、有りけれ。』

と、思ひ合はせて、

「其の時に、然々(しかじか)の事の有りしを、何事とも、え心得(こころえ)侍らで、『家の内の人、只、云ふ事なめり。』と思ひて、然(さ)も申さで罷りにしを、然(さ)は、其の事を、者の示し侍りけるにこそ。」

と云へば、女、彌(いよい)よ、泣き悲しみけり。

 然(しか)れば、人の命は、皆、前世(ぜんぜ)の業(ごふに依りて、產(むま)るゝ時に、定め置きつる事にて有りけるを、人の、愚にして、知らずして、今、始めたる事の樣に思ひ歎く也けり[やぶちゃん注:その時、突然に、何の前触れもなく、死がやって来るように誤って思ってしまい、後の祭りと歎くのである。]。

 然(しか)れば、皆、前世(ぜんぜ)の報(ほう)と、知るべき也、となむ語り傳へたるとや。

 

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