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2023/09/02

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「御先狐」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 御先狐【おさきぎつね】 別名尾裂狐。飼馴らすと飼主の命令により種々の神変不思議なことをするという妖狐 〔梅翁随筆巻一〕上州におさきといふ獣、人に取付き居るなり。この家の血筋を引きたるものは、いかにすれども離るる事なし。この血筋を切屋ものといふ。縁組など殊に吟味するなり。この血筋にあらずとも、その家の道具を外の家へ入るれば、則ちおさき付添ひ来るなり。食を毎日与ふれば害なく、怠る時は差別なく喰ひ尽し、若《も》し怒りを発する時は、いろいろの仇をなし、果《はて》はその人の腹内に入りて、終《つひ》に喰ひ殺すといふ。されば伝へてその筋を嫌ひ恐るゝ事甚し。しかるにその血筋の者にても、江戸へ出れば忽ちおさき離れて、少しも付添ひしたがふ事能はず。関八州の司《つかさ》たる王子稲荷有る故なりとて、上野にてはいひ伝ふといへり。〔反古のうらがき巻二[やぶちゃん注:「巻一」の誤り。]〕鎗術師範伊能一雲斎は、予〈鈴木桃野〉が先婦の叔父なりけり。築土下《つくどした》に住す。門人もあまたもてり。そのあたりに御旗本の門人ありて、その若党も門人なり。劒術も相応に出来たるよし。一日忽然と狂気して大太刀引抜き、あたるを幸ひに切りまくる。主人も是非なく奥口を引締め、門を鎖して、狂人一人玄関より表座敷、中の口のあたりを狂はせて、出向ふ者もなし。主人より使を以て伊能へ申越すやうは、御存じの家来某狂気致し、白刃を振廻し手に余り候なり、主人より願ひ侍るとなり。伊能聞きて、これは存じもよらぬ御頼みなり、それがしこれ迄鎗術師範はいたせども、人を相手に無手取をせん心懸けなし、併《しか》しながら折角の御頼みなれば、それがし先づ切られに参り申すべし、各々方すかさず御取押へなさるべしと、常の衣服に一刀を帯びて、使の人とともに門より入り、玄關に案内を乞ふ。狂人、その声とともに走り出で、玄関にて、大言《だいげん》して、誰にてもこの内へ入らん者は真二つなるべしといひて、白刃を提げて玄関の敷台に腰かけたり。伊能は何気なき体《てい》にて玄関に通り、右の狂人と推し並べてむづと坐す。狂人思ひの外、取りもかゝらず、この刀の切れあぢ、今日こゝろむべしとて振廻し、スウチ[やぶちゃん注:「素打」。]などして狂ひけり。伊能斜目に見やりて、寸少々のびたれば[やぶちゃん注:「刀が、現在の自分が使うのに最も適した長さより、ごく僅かに長いと」。]、思ひの外用に立たぬ事あるものぞかし、心して遣ひねといひければ、いや吾には手頃なりといふ。見せ玉へといへば、いざとて出しけり。刀請取るとその儘遠く投げ捨て、取ておさへて組伏せたり。その時人々片影より一時に走り寄《よつ》て、終に取押へける。この事評判となりて、伊能は無手取の名人など言ひあへりしよし、伊能大いに憂ひ、狂人を相手に無手取をする不覚者やあるとて、いろいろと、無手取に非ず、頼まれたれば是非なく命を捨てに出で、すき間ありし故、手取にせし事なり、努々(ゆめゆめ)無手取などいふ事云ふべからずと制しけるよし。その後これも門人の宅に狐出で、妖怪やむ時なし。何卒先生の武威を以て鎮め給はれと申入る。伊能聞て、これは目に見えぬ鬼神との争ひ、鎗劒のほどこす所なし、修験にても頼み玉へといひて断われども、取用ひず、先づ兎角に一夕来りて見届けて玉はれかしとて、終に引連れてその家に往けり。(水道橋と聞えし)折節冬の事なり。夜も永ければ、先づ内に入《いり》て四方山《よもやま》の物語りして、一時余を経れども何もなし。主人大いに喜びて、さてこそ先生の御武威に恐れしか、一向に怪異なしとて皆一同に称しけり。伊能は心の内に、未だ勝負もせぬ相手に恐るゝといふ道理なし、今に出《いづ》るに疑ひなし、余りに左様のことはいふまじき事と制して、また四方山の話に時移り、四ツ<午後十時>過頃になる迄、何の事もなければ、今は家路におもむくべし、先づ今夜は径異なし、少しは吾来りし故にても有るやと思ふ心出《いづ》ると均しく、二貫目[やぶちゃん注:七・五キログラム。]ばかりの大石、伊能が鼻の先を掠めてどうと落つ。これはと人々驚く間に、茶椀火鉢飛び廻り、やゝ静まると思ふに、盆に盛りたる蜜柑一つづつにころげて、牀《とこ》の間の下に並ぶ。最後に盆ころげ出で、牀の間の上に上ると均しく、右の下に並びたる蜜柑十五六、次第々々に飛び上り、元の如く盆の上に山形に積上りたり。伊能面目なくて、吾は最初よりかくあらんと思ひつるに、果して夜の深るに随ひ怪異あり。宵の間《あひだ》の静かなりしは、あてにならぬ事と思ひけることよと申して立帰りけるとぞ、自から語りけるよし。されども一念の慢気に、百魔是れに乗ずるよしは、武人の常套語なれば、この話をかりて心の油断、慢心を戒しめし作り話かもしらず。但し尾崎狐の怪異は珍らしからず。〔同〕青梅《おうめ》海道[やぶちゃん注:ママ。]に阿佐ケ谷<現在の東京都杉並区阿佐ケ谷>といふ村あり。堀之内より二十町程あり。その名主にを喜兵衛といふ。叔氏酔雪翁の婦《つま》の姻家《さとつづき》なり。別家あり、同村にあり、虎甲[やぶちゃん注:「とらかつ」か。屋号か通称。]といふ。その家に妖怪出で、四月下旬より八月に至る迄止まず。七月下旬、酔雪翁が末子《ばつし》弟次行きて見しに、この日はさしたることなし。梁上より銭一文を抛《なげう》つ。暫くして縁の下より竹竿を出し振廻す。この外怪しきこともなかりしよし。その後八月に至つて消息を問ふに、猶怪しきこと言ひ尽すべからず。或人宝劒のよしにて一刀を持来《もちきた》るに、宝劒自《おのづか》ら抜け出で飛びあるく。人々驚き、箒を以て打落し、からくして室《へや》に収め、面目《めんぼく》なく逃げ帰る。また或人蟇目《ひきめ》の法を修《しゆ》したるよしにて来りしが、これも弓を射たるまゝ、棒しばりの如く、作り付けたる人形の如く、放つ事能はず。梢〻《やや》暫くして力尽きてゆるまりければ、また赤面して逃げ去るよし。その外単衣《ひとへ》を腰より切離ち、半てんとなし、別なる半てんの下に、右単衣の下を綴り付けたる様、人工と殊なることなし。また飯櫃に入れたる牡丹餅《ぼたもち》は蓋せし儘に失せ、茶釜の茶は水となり、又、沸湯となり、見る間にかはる。茶碗宙を飛び、煙草盆天井に付くなどの説、尽し難しといふ。予小野竹崖を訪ひて、談(ものがたり)これに及び、いふやう、子は射術の師範なれば、定めて蟇目を行ふこともあるべし、右の説虚説ならばよし、もし実《まこと》にこれ等のことあらば、如何《いかに》か処し玉ふや、予宝劒をば持たずといへども、両刀を帯びたれば、これが飛び出《いで》たらんには面目なし、狐狸弥〻《いよいよ》かゝる技能ありや、若《も》しさあらんには、これまであなどりて、ことともせざりしは不覚なり、吾道にては邪は正に勝つ能はずなどいヘれど、かゝる術あらば鬼神と同じく、敬するに しかず、武力施す所なく、正道《せいだう》邪《じや》に勝つこと能はず、吾《われ》事を好むにはあらねども、窮理の為《ため》なれば、彼《かの》地に行き向ひて実否を正し、その上にて工夫を用ひんと欲す、子《し》ともに去り玉ふまじやといへば、もつともとて同じけり。一日《いちじつ》朝まだきに出で、彼家に赴く。途中に四谷伝馬町<現在の東京都新宿区内>ドウミヤウといふ薬店の人に逢ふ。此人も右の怪異の不思議さに、これ迄、訪《おとな》ひ來りしよしにて同道せり。阿佐ケ谷の入口なる水茶やにて弁当を遣ひ、またその風聞を聞くに、猶大いに怪しきことども有り。八朔の日[やぶちゃん注:八月一日。]は江戸の人々来り、大言して怪異の物語りすると、その儘《まま》土砂を頭より蒙りたり。或ひは怪を罵る者は必ずその祟りに遇ふ。みぞ堀などに入る者もあり。糞坑に入る物もありとなり。これにて薬種や恐ること甚し。予が輩も随分小心にして、敢てみだりなる言を出さず。先づ名主に至りて案内を頼み、さて凶宅に至り暫く休息を乞ひけり。その間六七町なり。さて寒温を舒《の》べ、次に歳の豊凶など語り、敢て怪の字半句も説かざりけり。予黙禱して曰く、云々、呪文の大意は、これ迄来ること事を好むにあらず、実《まこと》に吾輩狐狸の怪を信ぜず、大いに慢《みだ》り汚すことあるべし、これ吾道《わがみち》に於てその説なく、且つは未だ目に見たることなき故のことなり、弥〻その術あらば、吾等の惑ひとくる程に技能をあらはし、以後を警《いま》しめ玉へと、此の如く呪して、しばしあれどもことなし。また黙禱していふ。かく迄その技を見んことを望むに、をしみて肯(うべなひ)て示さざるは如何に。さればこそ、吾道にて常に慢《あなど》ることあるは、かゝるいひ甲斐なき業をなし玉ふ故なり。吾去りて後、如何様に技能を逞《たくま》しうし玉ふとも、吾決してその術を信ぜず、されば慢る心やまず、以後礼を失ふこと多かるべし、その時に怒り玉ふことなかれといふに、時ありてまた事もなし。これに於て大いに罵りていふ。かく理会《りくわい》[やぶちゃん注:「理解」か。後掲する私のものでは、「理」で「ことわり」と読めるが。]を尽し辞を尽しても感応なきは、霊に通ぜし者にあらず、口より出ざる言は耳に入ることなきに似たり、然れば人と殊なることなく、技能も人に勝ること覚束なし、果して吾常に思ふの外には出ざりけり、あたらひまを費して、窮理の為にこれ迄来りたるは大いに無益なり、さらば大言せしとて祟りあるべからず、この頃《ごろ》のはなしを聞かんとて、主人と怪の談に及び、委細を尋ぬるに、果して十に八が虚説なりけり。その実《じつ》瓦礫《ぐはれき》を抛ち食を窃《ぬす》むの外は、怪といふ程の事はなしといふ。予その時思ふ。この行《おこなひ》や究理に能はずといへども、別に一事を得たり、これより以後世の風説、十の八九と聞くべし、吾今日この理《ことわり》を究めたりとて笑ひ罵りて、竹崖・薬種やを促して立帰る。この日四ツ半<午後九時>時より八ツ<午前二時>頃迄凶宅に居《をり》しが、何事もなし。興素然としてまた青梅街道を淀橋通りへ来り、十二社にて休ひ、内藤新宿通り帰家す。天保八年八月七日、大風の一日降《ふり》て後《のち》なれば、残暑も大いに退《しりぞ》き、遊行《いうかう》には甚だ美《よき》日にてぞありける。

[やぶちゃん注:前者の「梅翁随筆」は既に複数回既出。著者不詳。寛政(一七八九年~一八〇一年)年間の見聞巷談を集めた随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第六巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字表現のものが見られる。標題は「○上州おさき狐の事」。

 後者の「反古のうらがき」はブログ・カテゴリ「怪奇談集」で既に全電子化注を終わっている。前半は『反古のうらがき 卷之一 尾崎狐 第一』で、後半は『反古のうらがき 卷之一 尾崎狐 第二』。連続して書かれているものではなく、少し間がある。また、後半のパートの終りの部分は有意にカットされてある。

 なお、この「尾崎狐」は妖獣で、単に「おさき」とも呼び、「尾先狐」「尾裂狐」「御先狐」とも書く。私の注でも述べているが、ウィキの「オサキ」でコンパクトに纏めてある。狐の形をしていることが多いが、異様に小さく、それが人の「家」に憑くとされた。この「おさき」は、関東地方の一部の山村で伝承されるもので、埼玉県・東京都奥多摩地方・群馬県・栃木県・茨城県・長野県などの地方に伝わる。同系列の異妖獣に「管狐(くだぎつね)」がおり、この伝承は、長野県を始めとして中部地方に伝わっており、東海・関東南部・東北地方などの一部にもある。関東では、千葉県や神奈川県を除いて、「管狐」の伝承がないが、これは一説に「関東がオサキの勢力圏だから」とされる。但し、以上の本篇の怪異を見ると、最初の「梅翁随筆」は「おさき」らしく読めるものの、「反古のうらがき」の方は、私には凡そ「おさき」の仕業のようには、見えない。その第一話は、明かなに加虐傾向の甚だしい精神疾患であり、狐の憑依、「おさき」の関連性など、実は、微塵もないと感じられる。また、第二話は、所謂、「天狗の石礫」に似た現象であり、家内で生じる怪事は、これ、家内の誰かが(多くは下女のケースが多い)人為的に起こしているものと採れる。これに就いては、『柳田國男「池袋の石打と飛驒の牛蒡種」』で詳細に注しておいたので、是非、読まれたい。]

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