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2023/09/17

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「鐘の岬」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 鐘の岬【かねのみさき】 〔笈埃随筆巻十二〕筑前に鐘の岬<福岡県内>といふに、古来より海底に鐘あり。この故にその辺を響《ひびき》の洋《なだ》といふなり。然るに前《さきの》大守この鐘を引揚ぐべしと、数艘《すさう》の船をもて漁人をして、かの鐘の竜頭《りゆうづ》に大綱を付けさせ引上げらる。漸《やうや》く水際近くなるとき、この鐘忽然と鳴り響きて、さしもの大綱ふつに切れたり。さては物有りて惜しむにやといひけれども、また後日船を増し人を倍して、船には多く石を積み、轆轤《ろくろ》を仕立て、海陸一同し、この度はいかにもして引上ぐべし、もしならずんば、大石を火に焼き、海底に沈めて鐘を焼き潰すべしなど仰せたりければ、皆々これを詮ど[やぶちゃん注:ママ。後注の原本活字本でも同じ。「せんど」で「先途」の当て字か。さすれば、「究極の大事な折りと」の意か。但し、であれば「詮(せん)どと」としないとおかしい。よく判らぬ。]繰上げけるに、怪しや大風起りて、大雨車軸を流し、浪高くうち上げて、数艘の船過半は埋没す。大守いよいよ怒らせ給ひ、たとひ海を干すとも引上ぐべしなど宣ふ所に、不思議や何国《いづこ》よりとも知らず、翁《おきな》の面《めん》浪に漂ひ岸によりけり。家臣頓(やが)てこれを太守に捧げて、これ竜神の送れるなるべし、実《げ》にも鐘を惜しむといふ事、妄言ならず、まげてこの面をその代《しろ》として召し置かれ候へと、御諫言申しければ、諸人の煩ひをも顧み給ひ、終《つひ》にその事止みぬ。則ち翁の面は神社に納め給ふとなん。長州侯の宝器にも面あり。これもいつの頃にや。翁の面を竜神の奉りしといふ。周防山口神事能に、必ずこの面にて頭取《とうどり》ありて、萩の城より役人携へ来り、頭取済むや直《ただち》に持ち帰るなり。この面出《いづ》る時は、雨かならず降る事なり。因に云ふ。越前敦賀<福井県敦賀市>にも、海中に鐘有り。此をも鐘《かね》の御崎《おさき》といふ。所の人云ふ。漁人は常に見る事なり。この鐘も引上げんとせし事有りしかども、恐ろしき事ありて止みぬと。右二鐘《にしよう》同日の談なり。またいふ。常に竜のごときもの有りて、これを守るといへり。実《げ》にさもあるべし。また近江湖水にて鐘を水底《みなそこ》に堕《おと》せし事あり。即日に引上げたり。東近江武嶋の顕当寺、三十年以前回禄の時の事なり。その綱を持ちて深さをはかりしに、七十五尋有りしとなり。

[やぶちゃん注:「笈埃随筆」の著者百井塘雨と当該書については、『百井塘雨「笈埃隨筆」の「卷之七」の「大沼山浮島」の条(「大沼の浮島」決定版!)』その冒頭注を参照されたい。以上の本文は、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』㐧二期卷六・日昭和三(一九二八)年日本隨筆大成刊行会刊)所収の同作の当該部で正規表現で視認出来る。標題は「鐘岬」。

「鐘の岬」現在の福岡県宗像(むなかた)市鐘崎(かねざき)にある「鐘の岬」(グーグル・マップ・データ航空写真)。その岬の直近にある地島(じのしま)が、宗像三女神三女神の一人市杵島姫(いちきしまひめ)所縁の島と伝わる。その神名が「慈しむ」の音と似ていることから「慈島」となったものが、後に誤って「地島」と表記されるようになったと「筑前国続風土記」は伝えている。実際に島の南端にある厳島神社の古い鳥居には「慈島宮」と彫られた文字が見えるという。

「頭取」現在のこの語は、元来は雅楽の音頭(おんどう:管楽器の主席奏者)・能楽の頭取(「翁」の小鼓方の統率者)を指す語であった。

「越前敦賀」「鐘の御崎」現在の福井県敦賀市金ケ崎町(かねがさきちょう)にある金ヶ崎。干拓が成されて地形がかなり変わっているので、「ひなたGPS」の戦前の図を示しておく。

「東近江武嶋の顕当寺」上記の原本活字本でもこうなっているが、これは、思うに、琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)の、元は本業寺(ほんごうじ)と言った、宝厳寺(ほうごんじ:グーグル・マップ・データ)のことであろう。

「七十五尋」約百二メートル。現在の琵琶湖の最深部は百四メートル。]

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