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2023/09/08

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「怪力の武士」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 怪力の武士【かいりきのぶし】 〔真佐喜のかつら〕永代寺八幡宮社地に為朝明神の開帳ありし時、くさぐさの見世物あるが中に、力ある男等打寄りて、五十貫目[やぶちゃん注:百八十七・五キログラム。]、七十貫目[やぶちゃん注:二百六十二・五キログラム]、あるは百貫目[やぶちゃん注:三百七十五キログラム。]などの大石を手軽に持ち、牛を船に乗せ、あしにてさす[やぶちゃん注:牛を手で抱え上げておいて、櫓を足で棹さしたという意味であろう。]など、皆人《みなひと》目をおどろかしぬ。我いまだ若年の頃にて見物に行きしが、最早夕暮ちかくなり、みる者も散々《ちりぢり》なる頃、見物の中より廿四五歳ともみえ、色白く瘦《やせ》がたちの武士たち出で、さてさていづれも珍らしき大力哉、我も聊か力ありて、常にかゝる業《わざ》を好む、されど斯《かく》の如き大石をためしたる事なし、力様(《ちから》ため)しに持て見たく候なり、ゆるし給ふにやと言ふ。皆その人の弱々しきを見、一笑なして、こゝろに任せ給ヘと言ふ。武士悦び、両刀もとらず、羽織袴のまゝ八拾貫目[やぶちゃん注:三百キログラム。]といふ大石を、何の苦もなく三度までさし上げ、音もさせずに下へおろし、一礼述べて出で行きければ、うち寄居たる大力ども、一言発する者なく、見物はさだめて天狗にてもあるべしなど惘(あき)れ居たり。珍しき力もある物なり。後に聞けば四谷左門町<東京都新宿区内>組屋鋪の人のよし評しぬ。

[やぶちゃん注:「真佐喜のかつら」「大坂城中の怪」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十六(三田村鳶魚校・山田清作編・昭和三(一九二八)年米山堂刊)のここから正規表現で視認出来る。

「永代寺八幡宮」「永代寺」は現在の東京都江東区富岡にある富岡八幡宮の旧別当寺で、高野山真言宗。跡が同八幡宮の西直近にある(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。廃仏毀釈で廃寺となったが、明治二九(一八九六)年に旧永代寺の塔頭であった同じ地区(寺跡と八幡宮の間)にある吉祥院が、名称を引き継いで再興され、現在の永代寺として残る。

「為朝明神の開帳」魁偉にして強弓の名手源為朝明神の開帳となれば、怪力自慢が集まるのも、まさに相応しい。どこの「為朝明神」か。一番知られた古いものでは、武田信義が元暦元(一一八五)年に社殿を建立した源為朝を祀った為朝神社だが、この記載当時は衰退していた。逆に新しいが、神奈川県横須賀市西浦賀にある鎮西八郎為朝神社は、サイト「Enjoy三浦半島」のこちらの同神社の記載によれば、寛政一二(一八〇〇)『頃、浜町の漁民が、海に漂流していた木像を引き上げ、地蔵堂に安置したのがはじまりだといわれます。そして功が多く、鎮西八郎為朝の像であったといいます』。『創建は文政期』(一八二〇年代)『であり、航海及び疱瘡除の神様として信仰を集めていました』とある。引用元の「真佐喜のかつら」成立は、天保から嘉永(一八三〇年~一八五四年)頃の間で、時制的には齟齬はない。特に疱瘡除けは当時の庶民には欠かせないものであり、しかも剛力無双の為朝の像となれば、出開帳の儲けは、これ、間違いない。私はこの神社のそれに比定しておきたい。実は私は為朝ファンなのである。

「四谷左門町」現在も東京都新宿区四谷左門町として残る。]

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