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2023/09/16

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「蟹沢の長源寺」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 蟹沢の長源寺【かにさわのちょうげんじ】 〔裏見寒話追加〕東郡《ひがしごほり》に蟹沢村と云ふあり。今以て淫流[やぶちゃん注:ママ。後注に示した原本活字本では『媱流』となっている。これなら、「美しい流れ」の意で腑に落ちる。]の田畑ヘ溢れ、碧水青みわたりて、物凄き景気なりける。昔この所長源寺の住職行衛知れずなりし事あり。或ひは首ばかり残りて、骸《むくろ》は影もなき事あり。また入院の夜直《ただち》に逃げて、再び帰らざるもあり。或ひは日暮れてこの辺を通るものは、沢辺《さはべ》に茂れる蘆間より希有なる形のもの顕れ出《いで》て、追ふ事度々《たびたび》あり。運よき人は坂を登り逃延《にげの》びぬれば追ふ事なし。さなきものは渠《かれ》が為に命を取らるゝ者間々あり。長源寺も無住なる事、星霜重りければ、破却して空地にせんと、村人相談に及ぶ所に、回国の僧来りて、願《ねがは》くばその寺に一宿して、奇怪を見届け、行徳《ぎやうとく》を以て妖怪を退治せんと乞ふ。人々無用のよし止《と》むれども聞入れず。是非なく彼《か》寺に一夜を明《あか》さしむ。僧は元より剛強の覚えあれば、枕元に大斧を置《おき》て止宿す。宵の程は不思議もなかりしが、深更に及んで本堂庫裡《くり》鳴動して凄く、軒端を洩るゝ月影より、しはかれた声にて、いかに旅僧四手八足と云ふ。僧眠りたる真似して答へず。妖怪そろそろ近よるを見るに、真黒なるもの、枕元へ這ひきたりて、また四手八足いかにといふを、旅僧かつぱと刎《は》ね起き、大喝一声、飛び掛り、件《くだん》の大斧を振かざしてしたゝかに切付《きりつく》る。妖怪たまらず逃行くに、寺内鳴動して、林木乱れ倒る。夜明けて村の者ども入り来り、いたはしや、彼僧の妖怪の餌食になりつらんと、寺の内へ入り安否を問ふに、僧は高鼾《たかいびき》にて眠入《ねぶりい》りたり。人々ゆすり起せば、欠伸《あくび》常の如く起上りて、しかしかのよし答ふ。枕元を見れば流血席《せき》に溜《たま》り、その血をしたひ大勢打寄りて尋ね行けば、嶺洞《みねほら》の中におめく声あり。偖《さて》こそとて洞中《ほらうち》へ入り伺ひ見るに、甲は二間[やぶちゃん注:三・六四メートル弱。]四面もありなん。川蟹《かはがに》の年経て惣身《そうみ》毛を生じたるが、背中を切られて半死半生の体《てい》なりしが、頓(やが)て洞外《ほらそと》へ引出し置くに、その日の暮方に死す。それより後《のち》希有なる事なく、彼僧を中興開山として寺を取立て、今以て相続す。その蟹の甲はこの寺にあり。依《よつ》てその村を蟹沢村といふ。坂を蟹追坂《かにおひざか》といふ。今もこの沢水増《ます》れば、六七寸程の蟹いくつも出る事あり。図蟹《ずがに》とて外治《がいち》[やぶちゃん注:外科治療。]の薬に用ひるとぞ。

[やぶちゃん注:「裏見寒話」「小豆洗」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『甲斐志料集成』第三(昭和八(一九三三)年甲斐志料刊行会刊)のここの「追加」の「怪談」の「○蟹澤村の長源寺」がそれ。

「東郡に蟹沢村と云ふあり」「長源寺」「東郡」は笛吹川より東側の地域を指す広域の旧呼称で、現在の山梨市・塩山市・東山梨郡・東八代郡が含まれる。まず、戦前の地図で遡っても「蟹沢村」は存在しない。「長源寺」は日蓮宗でここ(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)に同名の寺があるが、ここは甲府市街地の南直近で、ここは「東郡」には入らないから違う。さて、本篇とは異なる言い伝えを記した、サイト「YAMANASHI DESIGN ARCHIVEの「蟹沢池の由来」(この池のある地区は古くは「がんぜき」と呼ばれた。恐らくは「蟹堰」の訛りであろう。但し、その大きな蟹沢池は現存しない)というのがあるが、そこに附された地図を見ると、甲州市塩山上井尻で「東郡」に入る。この中央附近である。航空写真に切り替えて見ると、嘗つては、本ロケーション通りの田園であったであろうことが判る。悲恋の伝承があるこの池の、一つの別の妖怪話として、親和性があるようにも思えるから、私は、ここを候補地としたい。

「四手八足」これは通常のカニ類の歩脚四対が「八足」で、「四手」は第一歩脚=鋏脚(きょうきゃく/はさみあし)の可動指と不動指を分離して数えているものと思う。生物学的には、裏面の口吻部に胸脚が変化した顎脚が一対或いは複数対あるが、歩脚に比して遙かに小さく、流石に、それを近代より前に大衆が「脚」と認識していた可能性はゼロである。

「図蟹」「ずがに」というのは、短尾下目イワガニ科モクズガニ属モクズガニ Eriocheir japonica の異名である。「こんな内陸までモクズガニが遡上するか?」という眉に唾つける御仁のために、私の『毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 濵蟹 / モクズガニ (附・驚くべき長野県犀川などの遡上個体について)』

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