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2023/09/22

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「河獺の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 河獺の怪【かわうそのかい】 〔四不語録巻六〕加州金沢の城外惣構《そうがまへ》の堀のあたりに、柿畠と云ふ所あり。こゝに年経たる河獺居て、人を誑《たぶ》らかす事度々なり。その中ごろも人を誑らかし殺せしは、沢野何某と云ふ侍あり。柿畠の近辺に宅あり。何某が召仕ふ若党某は、用事有りて私宅へ行き、暮時に帰りしに、少し先立て女一人、奇麗なる衣裳を著し、菅笠深く蒙(かふ)りて行けり。かの若党は元来色に迷ひやすき心なれば、則ち言葉をかけて、今薄暮に及んで女性の御身として下女も召しつれず、何処《いづこ》へ御趣きさふらふ、一人御越しなさるゝ事、途中も御心もとなし、我々送りとどけ申さんといへば、女打笑ひて、わらはは蜑《あま》の子なれば宿りも侍らず、御送りにも及び申さずと答ふ。若党いよいよ心うかれ出て、さ候はゞ見苦しくは候へど、我等が宿る部屋へなりとも御立寄《おたちよ》りあらんかといざなへぱ、女はかヘりて身は浮草と打《うち》かこてば、若党さては仕済《しすま》したり、されども面体《めんてい》を見ずしてはいか々と、立寄りて笠の中を窺(のぞ)けば、何とやらんすさまじく思はるる故、こは例の僻物(くせもの)にたぶらかさるゝかと足ばやに行けば、女こは御情けなしと先に立て行く。弥々《いよいよ》怪しみてしばらく後(あと)に立《たち》どまれば、うらめしやとて後の方にあり。その前後する事のはやさ蝶鳥の如し。若党とかく迷ひ足ばやに行けば、主人の家に著く。門の戸少し開き居たり。そのまゝ走り入《いり》て戸を急に立つるに、彼女さてもさてもあだ人やと、若党より先に内に入り、とかくすべき術もなく、部屋に入りて傍輩どもに委細を語り、我は再び逢ふことはいたし難し、何れもよきやうに挨拶してたまはれと頼む。傍輩ども心得たりとて、代り代り出《いで》て挨拶す。彼《かの》女は部屋へ入ても笠も脱がず。笠取り給へと云へば、初め御供申しゝ御方に逢ひましてとらんと云ふ。なほ更《さら》逢はする事は心もとなけれども、夜更《よふく》るまで出さゞる事も仕悪(しにく)き故、何れも示談《じだん》して罷り出で申すやう、檀那用事申付けて、ひまのあく事はかり難し、先づ笠をもぬぎ心やすく休み給へと、再三いへども笠をとらず。何時迄にても相待ち候はん、御ひまになり候はゞ御目あるやうになさるべし[やぶちゃん注:「お目にかかって下さることもありましょう。」。]、御用にかゝりて[やぶちゃん注:「そのお目見えが叶いましたところで。」。]笠をとらんと云ふ。何れももてあつかひしうちに、夜も深更に及ぶ。また出てとかく今夜中には隙《すき》あき難し、暫くにても御休みあれと申せば、女打笑ひて、とく御ひまにはなり候へども、これへ御出あるまじきなれば是非に及ばず、我等御迎《おむかへ》に参るべしとて、笠をぬぎて手に持つ。その時面体《めんてい》を見るに、六七十ばかりの老女の両眼《りやうまなこ》は日月《じつげつ》のごとく光りて、凄《すさま》じさ二目とも見る事ならず。その儘立て戸口に出ると見えしが形は失せぬ。若党は別の間に寝させ、傍輩ども戸外に番をいたし居けるに、かの若党声を立てて呻《によ》ぶ[やぶちゃん注:「うめく」。]。何れも駭《おどろ》き立寄り見れば死したり。かの僻物《くせもの》喰ひ殺しけるにやと、死骸を改め見ければ、陰茎陰嚢ともに引抜《ひきぬき》て、かたはらにありけり。元禄十四年三月十七日の夜酉な[やぶちゃん注:ママ。「の」の誤字か。『ちくま学芸文庫』版もママ。]下刻<午後七時>の頃、寺西何某の若党、右の柿畠の明屋敷《あきやしき》を通りしに、道の先へ女一人歩み行く。夜に入りてはいかゞと思ふ所に、道の半《なかば》より五つ六つばかりなる小坊主ふと出でける。彼《か》女右の小坊主の手を引き、惣構の堀にかゝりし橋を越ゆる時、小坊主に申すやうは、汝がごとき役にたゝぬ者はじやまになると申候て、橋の下へ投げたれば、水の上ヘ落ちたる音聞こゆ。その時若党思ふやう、これは化生《けしやう》の者ならんと刀を引抜き、汝何者ぞ、のがさぬと切付ければ、飛びのきよりかへり、しゝと申して消え失せぬ。その面色《めんしよく》ことの外すさまじく見えしが、それより煩ひ付きて、三十日ばかりを経て本復したり。

[やぶちゃん注:「河獺」日本人が滅ぼしてしまった哺乳綱食肉(ネコ)目イタチ科カワウソ亜科カワウソ属ユーラシアカワウソ亜種ニホンカワウソ Lutra lutra nippon は古くより、狐狸同様に怪異を起こす動物として信ぜられた。「太平百物語卷二 十一 緖方勝次郞獺(かはうそ)を射留めし事」の私の注の冒頭のそれを参照されたい。

「四不語録」「家焼くる前兆」で既出既注。写本でしか残っておらず、原本には当たれない。

「柿畠」現在の石川県金沢市柿木畠(かきのきばたけ:グーグル・マップ・データ)であろう。]

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