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2023/09/05

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「燐火」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 燐火【おにび】 〔反古のうらがき巻一〕左門町〈現在の東京都新宿区四ツ谷〉の同心何某、いまだ公けに仕へざる時、近き在《ざい》にありけり。日永き頃は近き寺に行きて、僧と囲碁して楽しみける。夏の日の暑気にも、松檜など繁みたる軒のもとに二人さし向ひて暮すに、などか苦しと思ふことのあらん。身に差《さし》かゝる事もなき人は、囲碁程楽しきはなかるべし。或日昼の程は暑気甚しく、夕方より少し雲立《たち》て雨を催す様なれば、日の落つるを見て家に帰りけり。その路は十町[やぶちゃん注:約一・一キロメートル弱。]余りの野原にて、此所を過《すぐ》る頃は、一天墨の如く陰りて、物のあいろも分たず[やぶちゃん注:「あいろ」は「文色」で「あやいろ」の変化した語。「模様・物の様子」であるが、多く、下に感覚不能の否定を伴い、「対象の見分けがつかない」の意を示す。]。路のべの荻萩《おぎ・はぎ》・すゝきいろいろの草の葉に、涼風のさとおとしてそよぐ様《さま》、人の間近く来りたるかと怪しまれて、すさまじく聞えなどするに、只独り心細くも歩みけるが、あら怪しや、行手の路の真中に、紅き糸の細さなる火の長さ三尺ばかりなるが、ひらひらと燃え上りたり。おどろきながらもよくよく見るに、また此方にも彼方にも燃え上りて、忽ちに消え失せぬ。これぞ世にいふなる鬼火よと、身の毛いよ立ちて立たるに、一風烈しく落《おと》し来《きたつ》て、その風と共に吾《わが》立てる足元より燃え上る。その火影にてよくよく見れば、萩の露はらはらと落ちたる所より燃え上るなりけり。さては露の滴る所より燃え出るよと、あなたこなたの萩・荻の枝ふり動かして見てければ、果してその下より一つ二つ出でけり。その後は又さもなし。かゝる事、煙草二三服のむが内にして、最早見る事なし。但し炎天の陽気地下に伏し、夕方の陰気に覆はれて発散を得ず。その中に宇宙の気は皆陰気となりて凉しくなり行くのとき、地下の陽気一時に発散すれば火と見ゆるなり。自然としめりて散ずれば見ることなく、水露《みづつゆ》などそゝげば、一時に発して火と見ゆるなりけり。世にいふ石灰に水をそゝげば火を出すもといふもの、かの西洋のエレキテルといへる物の理《ことわり》も同じ事なりけり。この事しりやすき理なれども、初めて見ん人は、いとあやしと思ふべしとて語りはべり。

[やぶちゃん注:「反古のうらがき」複数回既出既注。未刊随筆集叢書の国立国会図書館デジタルコレクションの『鼠璞十種』(そはくじっしゅ)第一(大正五(一九一六)年国書刊行会刊)のこちらで正字の当該部が視認出来る。それにしても、最後にエレキテルまで言い出して、疑似科学を装っているが、少しも説得力がない。発光生物・発行物質や光学的な反射現象の可能性も考えたが、どうも説明不能だ。作者は儒者で昌平坂学問所教授鈴木桃野だが、少なくともこれは、同心の虚言にまんまと乗せられたものであろう。] 

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