南方閑話 巨樹の翁の話(その「七」)
[やぶちゃん注:「南方閑話」は大正一五(一九二六)年二月に坂本書店から刊行された。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した(リンクは表紙。猿二匹を草本の中に描いた白抜きの版画様イラスト。本登録をしないと見られない)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方閑話 南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)その他(必要な場合は参考対象を必ず示す)で校合した。
これより後に出た「南方隨筆」「續南方隨筆」の先行電子化では、南方熊楠の表記法に、さんざん、苦しめられた(特に読みの送り仮名として出すべき部分がない点、ダラダラと改行せずに記す点、句点が少なく、読点も不足していて甚だ読み難い等々)。されば、そこで行った《 》で私が推定の読みを歴史的仮名遣で添えることは勿論、句読点や記号も変更・追加し、書名は「 」で括り、時には、引用や直接話法とはっきり判る部分に「 」・『 』を附すこととし、「選集」を参考にしつつ、改行も入れることとする(そうしないと、私の注がずっと後になってしまい、注を必要とされる読者には非常に不便だからである)。踊り字「〱」「〲」は私にはおぞましいものにしか見えない(私は六十六になる今まで、この記号を自分で書いたことは一度もない)ので正字化する。また、漢文脈の箇所では、後に〔 〕で推定訓読を示す。注は短いものは文中に、長くなるものは段落の後に附す。また、本論考は全部で十六章からなるが、ちょっと疲れてきたので、分割して示す。]
七
此北歐の例に似たのが支那にも有《あつ》て、周の武王は樹神崇拜を禁絕せうとて大木を伐つた譚が、晉の干寶の「搜神記」三に出づ。
昔、武王の時、雍州城南に、高さ十丈で、𢌞《まは》り一里の地を蔭にした大神樹、一本、有り。人民、悉く、奉崇し、四時八節に、羊を牽き、酒を負ひ、祭祀、絕えず。武王、之を見て、「此樹神、何ぞ我が百姓を、損ずべきや。」とて、兵を以て、圍んで、伐《きら》んとすると、神、砂を飛ばし、石を走らせ、大雷電と來た。兵士共、瓦解して逃去《にげさつ》た跡に、脚《あし》を損じた者、二人、樹から百步距《へだ》つた地に、臥して、去るを得ず。其夜、赤い衣、きて、乘馬した者、來つて、樹神に向ひ、「朝から、武王、汝を伐《きつ》たが、損傷を受《うけ》たか。」と問ふ。樹神曰く、「我れ、雷電を起《おこ》し、砂石を飛《とば》し、兵士を傷けたので、兵士、分散して、我に近づかなんだ。何と、我《わが》威力は、きついものだらう。」と。赤衣の人、怒つて、「我れ、若し、王に敎へて、兵士の面《つら》に、朱を塗り、披髮して、朱衣を着、赤繩で樹を縛り、灰を百度も、𢌞《まはり》に撒《まい》て、斧で伐らせたら、伐《きら》れぬものか。」と。問はれて、ギツクリ、樹神、答《こたへ》、無し。其れ見たかと言はぬ計《ばか》りに、赤衣《せきい》の人は、轡《くつわ》を縱《ゆるく》して去《さつ》た。翌日、其軍人、鄕中《がうちゆう》の父老《ふらう》に聞《きい》た儘を語り、王まで聞へる[やぶちゃん注:ママ。]。王、其言の通り、種々、用意して、斧で伐らしむると、何の變事も無く、樹から、血が出《いで》て、一《いつ》の牝牛が、飛び出して、豐水《ほうすい》中に走り入つた。故に、樹の精は、百年、立てば、靑牛に化けると、知つた。其より、大木を伐るには、赤い物と灰を用ひて、樹精を追出《おひだ》す事と成つたと云ふ事ぢや。前に引《ひい》た通り、秦の文公が、終南山の梓の大木の蔭が、宮中を暗くするを惡《にく》んで伐らしめた時も、樹精、靑牛に化《ばけ》て、澧水《ほうすい》に入《いつ》た、と有る。澧水は豐水と一所で、古くこんな話が有《あつ》たのを、武王・文公と、色々に傳へたらしい。
[やぶちゃん注:「搜神記」の当該話は、「中國哲學書電子化計劃」のこちらの影印本画像で視認出来る。
「前に引た通り、秦の文公が、……」「二」を参照されたい。]
木が傷ついて血を流すの、樹を伐れば、樹の精が遁げ去るの、などいうことは、支那の外にも、多い。エストニアやシルカツシアに、樹神が、牛を繁殖せしむという俗信、行なはれるより考へると、支那でも、斯《かか》る想像から、樹神が、牝牛に化《ばけ》るとした者か(フレザー「金椏篇《きんしへん》」一卷一章參照)。本邦にも丑の時詣りを大牛が道に橫たはつて遮ぎると云ふは、本《も》と、樹精は、牛形で、自分が宿る木幹《きのみき》に、釘を打《うた》るゝを防がん迚《とて》の行爲と云ふ意味かも知れんて。梁の任昉《にんばう》の「述異記」上に、『千年の樹の精は、靑牛と爲る。』と有るは、「搜神記」に百年と見ゆると違ふ。
[やぶちゃん注:「シルカツシア」不詳。
「金椏篇」「金枝篇」に同じ。私の愛読書である。]
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