柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「影の病」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
影の病【かげのやまい】 〔奥州波奈志〕北勇治と云ひし人、外よりかへりて我居間の戸を開きてみれば、机におしかゝりて人有り。誰ならん、わが留守にしもかくたてこめて、なれがほに振舞ふはあやしきこととしばし見ゐたるに、髪の結ひやう、衣類帯にいたるまで、我常に著し物にて、わがうしろかげを見しことはなけれど、寸分たがはじと思はれたり。余り不思議に思はるゝ故、おもてをみばやとつかつかと歩みよりしに、あなたをむきたるまゝにて、障子の細く明きたる所より縁先にはしり出しが、追ひかけて障子を開きみしに、いづちか行きけん、形みえずなりたり。家内にそのよしを語りしかば、母は物をもいはずひそめるていなりしが、それより勇治病気つきて、その年の内に死たり。これ迄三代、その身の姿をみてより病《やみ》つきて死たり。これやいはゆる影の病なるべし。祖父、父のこの病にて死せしこと、母や家来はしるといへども、余り忌みしきこと故、主にはかたらで有りし故しらざりしなり。勇治妻もまた二歳の男子をいだきて後家となりたり。只野家遠き親類の娘なりし。
[やぶちゃん注:「奥州波奈志」優れた江戸時代の女流作家只野真葛のオリジナルな説話集。「奥州ばなし」とも表記する。ブログ版では「奥州ばなし 影の病」を見られたいが、別にサイト一括版『只野真葛「奥州ばなし」(附・曲亭馬琴註 附・藪野直史注)縦書(ルビ附)一括PDF版(3.24MB・118頁)』も用意してある。なお、このドッペルゲンガー譚は芥川龍之介も興味を持ち、彼の蒐集した怪奇談集「椒圖志異」(しょうずしい)の「呪詛及奇病」の「3 影の病」に引用している。因みに、芥川龍之介自身も自分のドッペルゲンガーを述べたことを対談で語っている。私のブログ版『芥川龍之介が自身のドッペルゲンガーを見たと発言した原拠の座談会記録「芥川龍之介氏の座談」(葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」版)』を読まれたい。世に出典も示さないで、「芥川龍之介はドッペルゲンガーを見たから自殺した」という、面白くも糞〱もない妄説を記して悦に入っている連中が多いので、特に附した。]