譚海 卷之八 酒井雅樂頭殿の馬の事 (フライング公開)
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。]
酒井雅樂頭(うたのかみ)に、尾の長き馬、有り。
長さ、七間、有りといふ。公儀にも壹疋あれど、この尾の長さに及ばず。
雅樂頭、至(いたつ)て祕藏ありて、五、六日に一度づつ、尾をあらひ、毛のかずを數へ置くほどの事なり。
猥(みだり)に拔(ぬき)とる事を禁ぜらる。
厩別當(うまやべつたう)、尾の毛、ぬくる事あれば、其度(そのたび)ごとに、申上(まうしあげ)候ほどの事なり。
駿馬(しゆんめ)にて、上手(じやうず)の人、騎(のり)はしらしむるときは飛(とぶ)がごとく、尾、地につかずして、はしる。
「馬場の隅に乘詰(のりつめ)、四角に馳(はせ)て、隅より、隅へ、乘𢌞(のりまは)すとき、尾は、なほ、此かたすみに殘りて有(あり)。」
といふ。
「尋常にも、尾の長き馬は、あるものなれども、五間までは、見たる事なれども、七間といふにおよびたるは、いまだ見ざる事。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:この尾長馬、見てみたかったなぁ……。
「酒井雅樂頭」本書の完成(跋文に寛政七(一七九五)年夏のクレジットがあり、過去二十年間の筆録を纏めたものとある)から考えて、雅楽頭酒井家で播磨姫路藩第二代藩主酒井忠以(さかいただざね 宝暦五(一七五六)年~寛政二(一七九〇)年)か、寛政二(一七九〇)年、十二歳の時に父の死により家督を継いだ、彼の長男で第三代藩主酒井忠道(ただひろ/ただみち 安永六(一七七七)年~天保八(一八三七)年)の孰れかであろう。
「七間」約十二・七三メートル。
「五間」九・〇九メートル。]
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