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2023/09/29

フライング単発 甲子夜話卷之七十六 11 蛇、鮹に變じ、蟾蜍、魚となる

[やぶちゃん注:現在、改訂作業中であるサイト版の寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の注のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。漢文部は後に〔 〕で訓読文を添えたが、そこでは若干の補正を加えた。]

 

76―11

 蛇(へび)の鮹(たこ)に變ずるは、領内の者、往々、見ること、あり。

 蛇、海濱に到り、尾を以て、石に觸(ふる)れば、皮、分裂し、その皮、迺(すなはち)、脚(あし)となる。

【或(あるい)は云ふ。

「鮹の脚(あし)は、皆、八つあり。蛇の化せし者は、必ず、七つなり。」

と。未(いまだ)、孰(いづ)れか是(ぜ)なるかを知らず。

○又、世人(せじん)、總て、「鮹の頭」と思ふものは、「腹」にして、「頭」と云ふは「臀(しり)」なり。因て、「足」と呼ぶ者は、「手」なり。鮹は烏賊(いか)の屬(たぐ)ひなり。烏賊魚(いか)を以て見れば、彼(か)の「頭」・「足」の非(ひ)は知るべし。世俗、「鮹の入道」など稱(しやうす)る者は、その「臀」を、誤(あやまり)て、「頭」とするより、起る。下文、玆(ここ)を以て、讀むべし。】

 又、蛇、首より中身のあたりは、皮、翻(ひるがへ)り、鱗ある所、腹内(はらうち)となり、皮裡(かはのうち)、却(かへつ)て、身外(みのそと)となる。總じて、鮹は紅白色なるに、蛇化の者は、身、潔白、腹、長(なご)ふして、脚、短く、その形、尋常と殊なり。又、游泳せずして、たゞ、漂ふのみ。且(かつ)、「その變ぜしあたり、血色(けつしよく)、殷々(いんいん)[やぶちゃん注:盛んに。]、海水を染(そめ)て、方、五、六尺にも及ぶ。」と。人々、所ㇾ云(いふところ)、小異あれども、大率(おほよそ)、この如し。

 「和漢三才圖會」、「本綱」を引いて云(いはく)、『石距【俗云、「手長鮹」。】亦章魚之類。身小ニシテ而足長。入ㇾ鹽燒食メテ美也。按ルニ蛇入江海石距。人有タル其半ルヲ。故多食ヘバ則食傷。』。〔『石距(せききょ)も【俗に云ふ、「手長鮹(てながだこ)」。】、亦、章魚(たこ)の類(たぐ)ひ。身、小にして、足、長し。鹽を入(い)れて燒き食ふに、極めて美なり。又、曰はく、「按ずるに、蛇、江海に入り、『石距に變ず。人、其の半(なかば)は變はるを見たる者、有り。故に、多く食へば、則ち、食傷(しよくしやう)す。』と。」と。〕

 是等に據れば、領内の見る者とは、同じからず。「多く食へば、食傷す」と見ゆるが、

「蛇化(じやか)の者は、迚(とて)も、見分(みわけ)ん、食ふ可(べ)からざる體(てい)なり。」

と。

 又、「本草啓蒙」云(いは)く、『「くちなはだこ」【雲州の言(いひ)。】、形、章魚(たこ)に同じくして、足、最(もつとも)長し。食へば、必(かならず)、醉ひ、又、斑(まだら)を發す。是(これ)、「石距」なり。一名、「石拒」【「寧波府志」。】・「八帶魚」【「東毉寶鑑」・「漳州府志」。】・「八則魚【「山東通志」。】。雲州、及(および)、讃州にては、「石距」は蛇の化(けす)ところと云ふ。蛇化のこと、若州に、多し。筑前にては、「いゝだこ」の九足なる者は「蛇化」と云ふ。八足の正中に、一足あるを、云ふ。』。

 これも領内に云(ふ)所と、合はず。

 同書に曰(いはく)、『蛇婆、一名「海蛇」【「琉球國使畧」】。時珍は「水蛇」とす。藏器の說は、海中の蛇、とす。「うみくちなは」、數品(すひん)あり。蛇形(へびがた)にして、色、黑く、尾端(をのはし)、寸許(ばかり)、分かれて、流蘇(フサ)〔=房飾り〕[やぶちゃん注:「フサ」は珍しい静山のルビ。]の如くして、赤色なる者、又、白色なる者、あり。』

 これを見れば、蛇の化せんと、自ら、其尾を打(うち)て、分裂することは、天理の然ることあると覺ゆ。

 因(ちなみ)に云ふ。

 領海に「アラカブ」と呼ぶ魚あり。頭・口ともに、大にして、黑(くろき)鱗なり。此地にある藻魚、「メバル」の類にして、多く、海邊の石間(いしのあひだ)にゐる。蟾蜍(ひきがへる)、變じて、この魚となる。既に見し者、往々にあり。其言(そのげん)に曰く、

「蟾蜍の前(まへ)二足、魚の前鰭なり。後足、合(あひ)寄りて、魚尾(うをのを)となる。」

と。

 成ほど、蟾蜍は、頭(かしら)、大にして、巨(おほきな)口、黑色なる者なり。彼(かの)魚と化するも、由なきに非ず。

 一人、又、曰(いはく)、

「蟾蜍の化するは、『アラカブ』に似て、一種なり。皮、滑(なめらか)にして、黃色、黑斑あり。兩鰭、自ら、蟾蜍の手臂(てひぢ)の如し。」

と。又、一說なり。

 「和漢三才圖會」云(いはく)、蟾蜍入ㇾ海、成眼張魚(メハル)ト。多ルヲ。〔蟾蜍、海に入り、眼張魚(めばるうを)と成る。多く、半ばは、變るを見る、と。〕然れば、餘所にも有ることなり。

■やぶちゃんの呟き

前の「和漢三才圖會」の引用は、「卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」(サイト一括版)で、最後の引用は、「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蟾蜍(ひきがへる)」(ブログ独立版)からのものである。

「アラカブ」とは、福岡県福岡市・長崎県雲仙市小浜(以上は静山の領地に近い)・鹿児島県種子島でスズキ目カサゴ亜目メバル科カサゴ属カサゴ Sebastiscus marmoratus を指す(「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページに拠る)。静山の言う「メバル」はメバル科メバル属Sebastesである。「大和本草卷之十三 魚之下 目バル (メバル・シロメバル・クロメバル・ウスメバル)」の私の注を参照されたい(今世紀になって、メバル科が新設されたため、まだ、この科のタクソンにはフサカサゴ科の並置表示が今も多く残っている)。また、その後の「アラカブに似て一種」というものは何だろう? スズキ目イソギンポ科Blenniidaeには、ズバり、カエルウオIstiblennius enosimae なんていうのもいるけれど、これはおよそ、カサゴには似ていない。アンコウ目カエルアンコウ科カエルアンコウ Antennarius striatus  では、限定にし過ぎるが、しかし、その相似形象からは、イザリウオ科 Antennariidaeの一種と考えていいようにも思われる。私の電子テクスト、栗本丹洲の「栗氏千蟲譜」巻七及び巻八「蛙変魚」を参考にされたい。そこで私は、丹洲の絵を、現在のベニカエルウオ(旧ベニイザリウオ) Antennarius nummifer の黄変型に同定した。

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