柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「河童の手」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
河童の手【かっぱのて】 〔甲子夜話続篇巻八十〕早岐の町魚問屋与次兵衛(名字は岩永といふ)のもとに河童の手とてありときく。とりよせ視るに全《まつた》からで、掌《てのひら》よりさきのみあり。皮は脱して骨のみなるが、その形は大なる猿ともいはむものにて、指四枝《しし》ありて長く、屈節三ツあり。爪もつきたるが、狗《いぬ》の爪ともいふべく、先尖り色赭《あか》し。年経たりと覚《おぼ》しく乾枯《かんこ》したるに、指のまた水かきと見えしもの残れり。予<松浦静山>が蔵し享保の頃江都に捕へし河童の図と想ひ比ぶるに、いかさまその物の手といふも真なるべし。何れにて獲《とり》て伝へしか、その由も知らず。たゞ祖父の時より有りといふのみ。 〔譚海巻二〕佐竹家の医者に神保荷月《じんぼかげつ》と云ふ外科あり。治方《ぢはう》神の如し。太守の寵愛し玉ふ鷹、鶴に脚ををられるをつぎ愈《いや》して、用をなす事もとの如し。江戸にて用人、馬より落ちて足をうちをり、骨の折《をら》れたる所、うちちがひに外へまがり出《いで》たりしを、在所へ下り荷月が療治を得てもとのごとく愈え、二度《ひたたび》江戸に登りて、馬上にて往来したるをみたり。大嶋佐仲《おほしますけなか》と云ふ用人なり。その外うちみくじきをなほす事、いえずといふ事なし。家に伝方の秘書一巻あり。川太郎伝へたるものとて、かなにて書きたるものなり。よめかぬる所もありと、みたる人のいへり。この神保氏先祖厠《かはや》へ行きたるに、尻をなづるものあり。その手をとらへて切りとりたるに、猿の手の如きものなり。その夜より手を取りに来りて愁ふる事やまず。子細を問ひければ川太郎なるよし。手を返して給はらば継ぎ侍らんといひしかば、その方《はう》をしへたらんには返しやるべしといひしかば、則ち伝受せし方書《はうしよ》なりとぞ。
[やぶちゃん注:前者は、事前に「フライング単発(部分) 甲子夜話續篇卷之八十『寬政紀行』の内の寛政十二年十月十四日の早岐での記事」として、日ごと丸ごと、正字で電子化注しておいた。後者は二〇一六年年末に「譚海 卷之二 佐竹家醫師神保荷月事」として電子化注してある。]
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