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2023/09/07

フライング単発 甲子夜話卷之二十一 26 三州吉田にて捷步の異人を見る事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]

 

21―26

「市井雜談集(しせゐざうたんしふ)」云(いはく)【三州吉田の人、林自見著。】、

『去る元文二巳年、正月廿三日の、夜七つ、八、九分の頃、予が町内に、亂髮裸形の者、彷徨(さまよへ)り。

 番の者、行き向ひて、

「何者なりや。」

と問へど、答(こたへ)ず。

 時に、番人、以爲(おもへらく)、

『定(さだめ)て、入牢の者、脫(ぬ)け出(いで)たるならん。』

と。

 廼(すなはち)、近所の者を起す。

 其時、予も立出(たちいで)たるに、

「龍招寺門前へ適(ゆ)きたり。」

と云ふ。

 因(より)て、五、六人、追掛(おひかけ)しに、後姿はちらと見えしが、その犇(はし)る事、走狗(さうく)のごとくして、遂に逝方(ゆくへ)を見うしなひ、それよりして、町内へ還(かへ)れば、東方、既に白(しらみ)たり。

 其日、新居《あらゐ》より、予が從弟(いとこ)、來(きたり)て曰く、

「今朝、橋本の西大倉戶にて、亂髮裸形のあやしき者を見たり。村人、集りて、その來(きた)る處を問ふに、一向、言語、不ㇾ通(つうぜず)、又、食を與ふるに、何にても、不ㇾ喰(くはず)。其所(そこ)の沼に、薄の枯穗ありしを取(とり)て、少し、喰ひ、それより、山の方へ逃(にぐ)る故、里人等(ら)、追懸(おひかけ)しに、迅足(はやあし)、恰(あたかも)飛鳥(ひてう)のごとくして、追著不ㇾ得(おひつきえず)。斯(かく)て、跡を、したひ、鷲津村に至れば、村中の者、大勢、海端《うみばた》にあり。其者共に問へば語(かたり)て曰く、

『先刻、あやしき者、來り、村中、大(おほい)に驚騷し、「捕(とらへ)ん」とせしに、海に入(いり)て見へ[やぶちゃん注:ママ。]ず。暫(しばらく)過(すぎ)、亦、海上に浮(うか)むを見れば、魚をとらへ、その儘、喰ふ。村中の者、船を出(いだ)し、其所(そこ)へ乘り到れば、亦、海に入て、それより、今に、見えず。』

と語れり。」

となり。

 但し、吉田より大倉戸まで、道法(みちのり)、四里半あり。大倉戸に到りし刻限を聞(きく)に、

「明六(あけむ)つ、少(すこし)過(すぎ)也。」

と云ふ。また、

「鷲津村に到りしは、六つ半前たるべし。」

と云(いふ)。

 

鷲津迄、吉田より、五里半餘の道なり。それを、わづか半時(はんとき)計(ばかり)に行きし、と見えたり。

 實(げ)に無双の捷步(はやみち)たり。その後、此者の逝方、語る者、なし。

 何國《いづく》いかなる嶋人《しまびと》なりや(校書餘錄)。

■やぶちゃんの呟き

「市井雜談集」「三州吉田の人、林自見著」「国文学研究資料館」の「国書データベース」のこちらで宝暦一四(一七六四)刊の原版本の当該部が視認出来る。読みの一部はそれに従った(但し、かなり読み難い)。林自見(元禄九(一六九六)年頃~天明七(一七八七)年)は三河国吉田呉服町(現在の豊橋市)の林弥次右衛門正封の長男に生まれた。名は正森、自見は号。二十五歳の時、吉田町年寄役、並びに、利(とぎ)町・世古町の庄屋を兼ねた。元文二(一七三七)年、吉田宿問屋役となり、宝暦五(一七五五)年まで務めた。この間、杉江常翁に師事し、和漢の学を修めた。著書に「三州吉田記」・「雑説彙話」・「三河刪補松」(みかわさくほまつ)・「世諺弁略」・「戯言胡蘆集」・「技術蠡海録」(ぎじゅつれいかいろく)・「雑戯栄」などがある。

「三州吉田」現在の愛知県豊橋市呉服町(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。

「元文二巳年、正月廿三日」グレゴリオ暦一七三七年二月二十七日。

「夜七つ、八、九分の頃」「夜七つ」はないので、「夕七つ」を言い換えたものであろう。不定時法で、この時期なら、午後六時過ぎ頃か。

「龍招寺」これは恐らくは、字起こしの誤りである。上記原本では確かに「龍□寺(りうてうじ)」で、「□」の字は「招」にも見えるのだが、林の住んでいた呉服町のごく直近に、「龍拈寺」(りゅうねんじ)が現存するから、これは「拈」であろう。

「新居」静岡県湖西市新居町(あらいちょう)新居。浜名湖の海への開いた開口部の「今切口(いまきれぐち)」の西岸。

「鷲津村」現在の静岡県湖西(こさい)市鷲津。浜名湖の南西岸。

「橋本の西大倉戶」「橋本の西」はちょっと判らないが、「大倉戶」は現在の静岡県湖西市新居町浜名の大倉戸(おおくらど)であろう。

「明六つ、過」同前で、午前五時半過ぎ頃。

「六つ半前」同前で御前六時半頃前後。

「五里半餘」約二十一キロ六百メートル。自転車並みの速度相当。

「半時」現在の一時間。

「校書餘錄」静山の自著に「感恩斎校書余録」なるものがあるので、それであろう。則ち、そちらに既にメモしてあったものを、「甲子夜話」で再録したという意味であろう。

 

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