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2023/09/07

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「怪獣」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 怪獣【かいじゅう】 〔異説まちまち巻二〕延宝の末か、天和のはじめに、越後の国にて、山家《やまが》の老人、山へ薪《たきぎ》こりに行きて久しく帰らず。その妻いぶかりて、人を頼んで山へ遣りぬれば、老人と笠とわらじなど、山の奥へ散り散りに有り。いか様《さま》にもこれは怪しき事なりとて、かの山をひとむらの人集りて、かり立てけるに、その村に十八歳になりける大力《だいりき》の者有り。真先に立ちて山中をかり立てけるに、一物もなかりけり。さらば帰らんとて下山しけるに、彼の大力の若者、殿(しんが)りして下山しけるに、惣人数《そうにんず》は山の半ぷくまでも下りぬ。彼《か》の大力は、山を下らんとする程に成りける時、山中風の藪を吹くごとく鳴りける程に、あやしと振り返りたれば、頭に赤熊《しやぐま》を被りて、その中より眼《まなこ》の星のごとく光るもの出できたれり。彼の殿りしける大力ふりかへりて、とぎ立てたる鎌を以て、眉間《みけん》を切りさきたれば、彼獣《けだもの》、右の大力をとらへて、谷へ投打《なげう》ちける程にみぢんになりぬ。この躰《てい》を見て、残る者共は跡も見ず逃げかへりたり。それより越後公へ御訴へ申上けるに、軍者を江戸より遣はされて、山中をからせらる。一方口を明けて鉄炮をつるべおきて待ちけるに、山中をかられてかの一方口へ出《いで》ける所を、つるべうちにして打留めたり。かの鎌疵《かまきず》も眉間にありしとなり。その名を知りて名付くる人なかりし程に、これなん狒々(ひひ)なりといひしが、羆(ひぐま)なりとの評に定まりしといふ。間もなく越後公、小栗が事によりて滅家し玉ふ前表《ぜんぴやう》ならんとのことなり。母の話なり。母は庄内にて、右の獣の絵図を見たりとの事なり。

[やぶちゃん注:「異説まちまち」「牛鬼」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』巻九(昭和二(一九二七)年日本随筆大成刊行会刊)のここ(「卷之三」の巻頭)で正規表現版が視認出来る。

「延宝の末か、天和のはじめ」延宝九年九月二十九日(グレゴリオ暦一六八一年十一月九日に天和に改元。天和は四年まで。

「つるべ」鉄砲の「連(つる)べ打ち・釣瓶(つるべ)打ち」のこと。鉄砲の撃ち手が背後に複数並んで、間髪入れず、立て続けに撃つことを言う。

「越後公、小栗が事によりて滅家し玉ふ」越後国高田藩で起こった「お家騒動」である「越後騒動」藩政を執っていた小栗正矩の一族と重臣たちが争い、将軍徳川綱吉の親裁によって厳しい処分が下され、高田藩が改易となった事件。詳しくは当該ウィキを読まれたい。同騒動の改易裁定は延宝九(一六八一)年六月二十二日であるから、天和改元まで四箇月ほどしかない。但し、改元の年は一月に遡って言うのが普通だから、延宝九年一月から改易までの閉区間の半年余りが、当該することとなる。]

〔裏見寒話追加〕或猟師、甲西地蔵岳<山梨県西南地蔵峠か>の半腹まで行くに、猪鹿の類を見ず。手を空しく帰らんとするに、一谷《ひとだに》隔《へだ》て向うの山に胡座して居るものあり。坐したる丈七尺ばかり、裸体にして赤き髪を被り、乱髪を握りて東西を見渡す有さま、何に譬《たと》ふべきものなし。猟師ちつとも驚かず。これ異形《いぎやう》打殺《うちころ》して呉れんと、頓(やが)て二ツ玉を籠《こ》め、打発《うちはな》つに、彼《か》の胴腹を貫く。しかれども痛むけしきもなく泰然として坐す。暫くありて側《かたはら》なる草を引抜き、かの血滴る疵口へ押込み、悠々と立て山上へ登る事いと静なり。猟師これを見て悶絶に及ばんとす。これこの獣は狒々(ひひ)の類(たぐゐ)なるか。〔北窻瑣談後編巻一〕安永年間の事なりし。城州八幡(やはた)の<京都府八幡町>辺の野外に、猫の死したるを食ふ獣《けもの》あり。甚だ大ならず。大抵猫程にして猫にあらず。犬にあらず。土人立寄り見るに、人を恐れず。猫を食ひ終りて、淀の方《かた》へ去りしに、道にて犬多く群り来て咬みかかりけるに、この獣の一咬(ひとかみ)にて犬皆立所に死せり。人の沙汰せしは、黒青[やぶちゃん注:ママ。『ちくま学芸文庫』も同じ。後注参照。](こくい)といふ獣にてもや有るべきといひし。余が家の僕貞助、八幡の産《さん》にてこの事を見しといふ。

[やぶちゃん注:「裏見寒話」「小豆洗」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『甲斐志料集成』第三(昭和八(一九三三)年甲斐志料刊行会刊)のここの左ページの後ろから五行目「○西山の怪異」がそれ。「追加」の「怪談」の内。但し、冒頭に『逸見』(へみ:街道名。この現在の山梨県甲斐市竜王新町(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)から北西の長坂に至るルート)『筋の獵師を伴ひ、甲西地蔵が岳の半腹まで行しに、猪・鹿・狐・兎の類を見ず。手を空しく歸らんとするに、……』(以下でも有意な異同(カット)がある。或いは、写本の異なる版本を元にしたものかも知れぬ)とあって、筆者自身の体験のような形(或いは、筆者のごく親しい知人の体験談か)となってので、見られたい。

「甲西地蔵岳」「山梨県西南地蔵峠か」宵曲の推定が正しいとすれば、ここ

「北窻瑣談」は「網に掛った銘刀」で既出既注。当該部は八巻本の刊本のここ。「国文学研究資料館」の「国書データベース」版のそれをリンクさせた。

「安永年間」一七七二年から一七八一年まで・徳川家治の治世。

「城州八幡(やはた)」「京都府八幡町」「辺」現在の京都府八幡市

「黒青(こくい)といふ」これは宵曲の誤記で、「黒眚」が正しく、読みも、これで「しい」と読む。「国書データベース」版でもちゃんとそう書かれてあり、次の「塩尻」では読みは正しくなっているので、甚だ不審である。想像上の幻獣の名である。「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 黒眚(しい) (幻獣)」で独自に考証しているので、参照されたい。]

〔塩尻巻五十二〕『震沢長語《しんたくちやうご》』に明の成化年中、北京に物あり、狸のごとし。倐忽《しゆくこつ》として[やぶちゃん注:ごく時間が短いさま。たちまち現れ、たちまち消え。]風のごとし。人の顔面を傷《き》り手足を嚙む。一夜の中、数十発、その名を黒青[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。前注を必ず参照のこと。](シイとよむ)「皇明通記」に、黒青其疾如風、或戸牖《こゆう》[やぶちゃん注:家屋の戸口や窓。]より入る、密室といへども至らざる所なき故に、人家昏迷す。手足身面を傷れば黄水[やぶちゃん注:化膿した膿か。]を出す。数日遍城[やぶちゃん注:北京城下全体。]これが為に驚憂せり。暮夜《ぼや》に至れば戸々《ここ》刃《やいば》を持《じ》し燈《ともしび》を張《はり》てふせぐ。その黒気来《きた》るを見ては、金鼓《きんこ/こんぐ》[やぶちゃん注:僧侶が布教の際に首にかける鉦鼓(しょうこ)。平鉦(ひらがね)。]を打《うち》てこれを追ふ。その形黒くして小さく、金晴脩尾(きんせいしゆうび)[やぶちゃん注:金色の瞳と長い尾。]、犬狸に類するなんどいへり。我国にこの妖物なきにやといふ人あり。予<天野信景>曰く、先に聞きし、今周防及び筑紫あたり、所々この物あり、夜中牛馬を傷《そこな》ふ故、民人鉦太皷をならし狩出《かりいだ》して殺すといへり。京近き国々には聞えず。坂東の国かまいたちとて、黒気《こくき》疾風ありて人疵つく事ありといふ。この物にや。 〔斉諧俗談巻四〕元禄十四年、大和国吉野郡<奈良県吉野郡>の山中に獣あり。その形、狼に似て大きく、高さ四尺ばかりにして、長さ五尺ばかり、色は白黒赤白皂斑《まだら[やぶちゃん注:後に掲げた活字本で二字へルビ。厳密には「皂」(くろ)交りの「斑」(まだら)の意である。]》の数品《すひん》にして、尾は牛蒡の根のごとく、鋭き頭《かしら》、喙《くち》尖りて、上下の牙おのおの二ツ。鼠の牙のごとく、歯は牛の如し。眼は竪《たて》にして、脚(すね)ふとく水かきあり。走る事飛ぶごとく、これに触《ふる》るもの、面《おもて》・手足および咽《のど》を傷《きずつく》る。もしこれにあふ時は、弓鉄炮にてこれを留る事あたはず。そのまゝ倒れ伏せば喰はずして去る。故に落穴(おとしあな)を用ひて数十疋を捕る。その後この獣なし。これを俗に黒青といひ、また志於宇(しおう)と云ふ。

[やぶちゃん注:「塩尻」「鼬の火柱」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの「隨筆 塩尻」下巻(室松岩雄校・明治四〇(一九〇七)年帝國書院刊)のここ(左ページ下段末)から正字で視認出来る。

「震澤長語」明の王鏊(おうごう)撰。十三項目に分けて事物を考訂したもの。「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 黒眚(しい) (幻獣)」で当該箇所を「維基文庫」の同書を元にして、表記を、一部、変更して電子化してある。また、天野信景の本邦でのそれは、前のリンク先の渡しの考証と一致している。

「皇明通紀」は元末から洪武年間の四十年を記した「皇明啓運録」、及び、永楽より正徳年間百二十余年を記した「続編」を合本した編年体史書。明の歴史学者陳建が一五五五年に家刻本として刊行。明代の歴史を忠実に再現している初の明代通史であり、広く読まれたが、一五七一年に禁書の指定を受けている。後世に至って、諸大家に絶賛された。「中國哲學書電子化計劃」のここで影印本の当該部が視認出来る。

「斉諧俗談」「一目連」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』巻十(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のここ(左ページの『○應聲虫』)で当該部を正字で視認出来るが、例にって前掲の「和漢三才圖會」の丸写しでしかない。]

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