柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「海中の火」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
海中の火【かいちゅうのひ】 〔一宵話巻二〕或年の六月廿九日、知多<愛知県知多郡>の浦より帰る船、海中にて火の玉のむらがるに行逢《ゆきあ》ひたり。その火の中に、鬼か人か、夥しう見えたりといふ。この火の中にあらはれし物を、平家の亡魂ならんと評すれども、何のゆかりもなきに、かゝる所へくべき由なし。おもふに肥後の不知火は、この火なるものならん。この不知火を『景行紀』に五月の下《した》にしるされたれど、月の誤りとおもはる。今は年々六月の末より、八月迄に出るなり。その中、七月廿九日八月朔日、この両日を極最中とす。これ海中の塩気、夏中の炎天にこがれ暗夜《あんや》にあらはるゝ事、こゝもかしこも同じ事なり。海水も本は淡水(さみづ)なるが、天日の陽気に焦げて、鹹水《かんすい》とはなれるなり。
[やぶちゃん注:「一宵話」秦鼎(はたかなえ 宝暦一一(一七六一)年~天保二(一八三一)年:江戸後期の漢学者。美濃出身で尾張藩藩校明倫堂の教授として活躍したが、驕慢で失脚したという)の三巻三冊から成る随筆。以上は同書の「卷之二」の「海中の火」の中の一節で、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第十七巻(昭和三(一九二八)年国民図書刊)のこちらで視認出来る。実は、以上の後に、かなり長い「怪火」に就いての考証(海に限っていないので、宵曲はカットしたのであろう)が続くので、見られたい。
「知多」「愛知県知多郡」「の浦」現在は知多市。「知多の浦」と言った場合、恐らくは、現在の東海市及び知多市の伊勢湾沿岸(干拓が進んでいるため、「ひなたGPS」の戦前の地図との対照地図をリンクさせた)を指しているものと思われる。伊勢湾東北の湾奥に近く、海水が停滞し易い位置にある。
「海中にて火の玉のむらがるに行逢ひたり」渦鞭毛植物門ヤコウチュウ(夜光虫)綱ヤコウチュウ目ヤコウチュウ科ヤコウチュウ属ヤコウチュウ Noctiluca scintillans による夜間の発光現象であろう。前の項の「赤潮」の原因にもなるので、偶然だろうが、親和性があると言える。
「不知火を『景行紀』に五月の下にしるされたれ」「日本書紀」の景行天皇十八年の条。
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五月壬辰(むづのえたつ)朔(ついたち)、葦北より發船(ふなだち)して火國(ひのくに)到る。是に於いて、日、沒(く)れぬ。夜、冥(くら)くして、著(つか)む岸(ところ)を知らず。遙かに、火の光り視ゆ。天皇(すめらみこと)、挾杪者(かぢとり)に詔して曰(のたま)はく、
「直(ぢき)に火の處(もと)を指せ。」
と。
因りて、火を指して之れに往(ゆ)く。卽ち、岸に著くことを得たり。
天皇、其の火の光りし處(ところ)を問ひて曰はく、
「何と謂ふ邑(むら)ぞ。」
と。
國人、對(こた)へ曰はく、
「是れ、八代縣(やつしろのあがた)の豐村。」
と。
亦、其の火を尋(と)ひたまはく、
「是れ誰人(たれびと)の火ぞ。」
然(しか)るに、主(ぬし)を得ず。
茲(ここ)に人の火に非ずといふことを知りぬ。
故(かれ)、其の國を名づけて「火の國」と曰ふなり。
*
訓読は、国立国会図書館デジタルコレクションの岩波文庫『「日本書紀 」訓讀』中巻(昭和六(一九三一)年黒板勝美編)のここを参考にした。]
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