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2023/10/19

フライング単発 甲子夜話卷之十 37 くだ狐の事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]

 

10―37

 狐の種類に、「くだ狐」と云ふ一種のもの、有(ある)を聞けり。

「此狐、至(いたつ)て小にして、鼬(いたち)の如し。」

と。

 予、視んと欲すること、久し。

 蘭山が「本草啓蒙」にも、吾邦、この狐あるを擧(あげ)ず。

 また、「本草綱目」には、「集解(しつかい)」に、

『形似小黃狗而鼻尖尾大、全ㇾ似ㇾ狸。如ㇾ此。』

ありて、前狀とは違ふ。然(しかれ)ば、これも「くだ狐」には非ざるべし。

 且(かつ)、「小黃狗」とは、何物か、知らず。[やぶちゃん注:以上の引用は「本草綱目」の巻五十一の「狐」の「集解」であるから、場違いである。同書にはそもそも「管狐」は載らず、中国には管狐(くだぎつね)はおらず、日本固有の妖獣である。「維基百科」の「管狐」にも『管狐(日:くだぎつね)是日本民間傳說中能附身於人的一種妖怪,在以長野縣為首的中部地區、東海地方、関東地方南部、東北地方皆有流傳』。『在關東的千葉縣和神奈川縣之间则沒有管狐的傳說、這些地方被認為是關東尾先狐(日:オサキ)的勢力圈』と味覚に書いてある。というか、これ、日本の当該ウィキの単なる漢訳なのだが。なお、そこには二枚の筆写写真があるが、孰れも以下に示す私の図と、私の作ったリンク記事の図の方が遙かに大きく見やすいですぞ。

 近頃、淺草御藏前の道側(みちそば)に小獸を見せ者にす。その形、狐に似て、少(すこし)く小狗(こいぬ)の如し。鼻も尖りたるが、尾は、大ならずして、細く、後(うしろ)にさし揚げて、かの詩の綏々(すいすい)の貌は、なし。

 予、因て、

『これぞ、くだ狐ぞ。』

と、思ひて、人を遣り、就てこれを圖せしむ。

 然る後、日月を經て、次第に大きくなる。

「その畜奴(ちくど)は、狐兒(きつねのこ)を育て立てたるなり。」

と、云ふと聞く。

 彌〻(いよいよ)「くだ狐」に非(あらざ)ること、知るベし。

 また、善庵は、狐の事に委し。その言に、

「くだ狐は何とか云ふ靈山にて、修學の山伏へ、これを授く。その場所は金峯山か、大峯か、山伏の官位を出す處なり。この狐、遠州三州の邊、北方の山中に、多く、有り。但(ただし)、山伏に授くるは、この金峯大峯に限る歟(か)。」

と云ふ。また、

「山伏の中にても、度々、入峯して、行法も達したる人ならでは、猥(みだり)に不ㇾ授(さづけず)。竹の筒に入れ、梵字などを書し、何か修法(しゆはふ)を爲(なし)て與(あたふ)る。」

と云ふ。

「これを、其まゝ、持念(ぢねん)して置(おく)に、いつ迄も、元の如くにて、後、食餌を與(あたふ)ることも、なし。これは、正道にて祈念するの修法。」

と云(いふ)。

「又、其人により、竹筒より出し、食を與(あたふ)れば、第一、人の隱事(かくしごと)を知り、心中のことをも、悉く悟りて、告(つぐ)るゆゑ、姦巫祈躊の驗(しるし)を顯(あらは)す手寄(たより)とす。又、人にとり付かするも、隨意なり。」

と云。

「これは邪道にて用(もちゆ)る方術。」

と云。

「この狐、筒より出(いだ)しては、再び、筒に入(いる)ること、尋常の行者には不ㇾ能(あたはず)。」

と云ふ。

「狐使ひ、この如くしては、食物等、至(いたつ)て、むづかしく、上食を與へざれば、用をなし難く、其うへ、喰ふこと、少なからず。」

と云。

「右は、總て、牝・牡を筒に入れ與(あたふ)る故、出し用(もちふ)れば、漸々(やうやう)、子を生じて、數、增(まさ)り、食養に窘(きはま)る。」

となり。

「因て、利の爲に姦計に役使して、終(つひ)には、その行者、身を亡(ほろぼ)すに逮(およ)ぶ。」

となり。

「さて、狐使ひには、狐、よく馴るゝまゝに、常々、狐、出行けば、泥土にまみれ、歸りて、其まゝ、行者の臥床(ふしど)にも這(は)いり、臭汚(しふを)、言ふばかり無けれども、これを忍ばざれば、狐、働かず。因て、一度、授かりては、外(ほか)へ放ちやることも、能はず。終身、付隨(つきしたが)ひゐる。」

と云。

「若(も)し、或は、外より懇望の人、有りて、讓與(ゆづりあた)ふること有るとも、其人の養方(やしなひかた)、狐の意に協(かな)はざれば、再び、元の主(あるじ)に立返り來(きた)る。」

となり。

「狐使ひ、死亡すれば、其狐に主、無くなりて、今も王子村のあたりには、多く住めり。」

と云。

「總て人に付(つき)ては、人力(じんりよく)に依(より)て事をなすゆゑ、其人、亡(し)すれば、狐の力のみにては、人に寄ること、能はず。因て、彼(かの)邊(あたり)に散在せり。」

となり。

 又、飯田町堀留の町醫伊藤尙貞(しやうてい)【此人、藝州の產にて、伊藤氏に養子となり、乃(すなは)ち、善庵の門に學ぶ。】より、善庵、委しく聞(きき)たる。尙貞の言には、

「彼(かの)くだ狐の付たるを、度々、療治せり。すべて、人に付くには、始め、手足の爪の端より入り、皮膚の間に在るゆゑ、先づ、手足の指邊(ゆびあたり)を縛して、夫(それ)より、體中、所々、その潛(もぐ)るところを追(おひ)て、刺(さし)ても害なき所に、追(おひ)つめ、其所を切裂(きりさ)けば、膚中(はだうち)より、小丸(せうぐわん)の毛ある物、現はる。【此所在を知るは、其處、必ず、瘤(こぶ)の如く、陰起すとなり。】是、則(すなはち)、「狐の精氣」と覺ゆ。夫より、かの家内(いへうち)を探り索(もと)むれば、必ず、狐の死(しし)たる、有り。多くは、天井などの上に轉僵(ころびし)してあり。」

となり。

 尙貞、その狐の皮を剝取(はぎと)り、二枚ほど、貯置(たくはへおき)きしを、善庵、親しく見たり、と。

「その皮の大(おほいさ)を以て想ふに、その體(からだ)、鼬よりは、やゝ大きく見ゆ。色、黑くして、鼬と齊(ひと)しく、眼(まなこ)、竪(たて)につきて、諸天の額面の一目の如し。また、

「『くだ狐』の人に付たるは、如ㇾ前(まへのごとく)、膚中に、瘤の如く、顯(あらはる)。野狐(やこ)は、かくは、無し。これ、見分けの差別。」

と云ふ。

[やぶちゃん注:以下、圖とキャプション。]

 

Okuramahemisemononozu

 

  御藏前みせものゝ圖

 兒狐(こぎつね)。鼻の先より、尾の末迄、壱尺九寸余(あまり)。尾の長さばかり、六寸五步ほど。身、高さ、脊(せ)の所、八寸五步ほど。腹の廻(めぐ)り、九寸二步ほど。「この狐、壬午の正月末に、大坂の田舍より、江戶に持來(もちきた)る。」と云ふ。牝にして、前年極月生れなり。

 「山中にて生(しやう)じたるを、雪中ならでは、取り難し。」と云。「食は、鰻を飯に入れ、薄味噌にて、喰(く)はする。」となり。「この七月頃にも成らば、毛色も好く、形も宜(よろし)く可成(なるべし)。」と、畜奴、語れり。

[やぶちゃん注:「くだ狐」「想山著聞奇集 卷の四 信州にて、くだと云怪獸を刺殺たる事」の私の注の冒頭の「くだ」を参照されたい。

「善庵」は儒学者朝川善庵(天明元(一七八一)年~嘉永二(一八四九)年)。鼎は本名。字は五鼎(ごけい)。当該ウィキによれば、本篇の著者『平戸藩主』『松浦氏を初めとして津藩主・藤堂氏や大村藩主』『大村氏などの大名が門人となり』、江戸本所の小泉町』(現在の墨田区両国二~四丁目相当。「人文学オープンデータ共同利用センター」の「江戸マップβ版 尾張屋版 本所絵図 本所絵図(位置合わせ地図)」をリンクさせておく)『に私塾を開いていた』とある。

「持念」ここは単に十全に意識して忘れずにそれを信じ念ずること、の意であろう。]

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