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2023/10/13

南方閑話 巨樹の翁の話(その「一二」)

[やぶちゃん注:「南方閑話」は大正一五(一九二六)年二月に坂本書店から刊行された。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した(リンクは表紙。猿二匹を草本の中に描いた白抜きの版画様イラスト。本登録をしないと見られない)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方閑話 南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)その他(必要な場合は参考対象を必ず示す)で校合した。

 これより後に出た「南方隨筆」「續南方隨筆」の先行電子化では、南方熊楠の表記法に、さんざん、苦しめられた(特に読みの送り仮名として出すべき部分がない点、ダラダラと改行せずに記す点、句点が少なく、読点も不足していて甚だ読み難い等々)。されば、そこで行った《 》で私が推定の読みを歴史的仮名遣で添えることは勿論、句読点や記号も変更・追加し、書名は「 」で括り、時には、引用や直接話法とはっきり判る部分に「 」・『 』を附すこととし、「選集」を参考にしつつ、改行も入れることとする(そうしないと、私の注がずっと後になってしまい、注を必要とされる読者には非常に不便だからである)。踊り字「〱」「〲」は私にはおぞましいものにしか見えない(私は六十六になる今まで、この記号を自分で書いたことは一度もない)ので正字化する。また、漢文脈の箇所では、後に〔 〕で推定訓読を示す。注は短いものは文中に、長くなるものは段落の後に附す。また、本論考は全部で十六章からなるが、ちょっと疲れてきたので、分割して示す。

 

       一二

 

 佛說の巨樹若干を上に擧げたが、まだたんと有ります。例せば、尼抅類樹《にくるゐじゆ》は、高さ百二十里、枝葉方圓六十里を覆ひ、その樹上の子《み》、數千萬斛、之を食ふに、香、甘く、其味ひ、蜜の如く甘し。果、熟し落ち、人民、之を食へば、衆病、除《のぞ》き、癒え、眼目、精明なり(「佛說輪轉五道罪福報應經」)。乃《すなは》ち、前述、迦葉佛が其下で說法した尼俱律樹だ。釋尊が、其下に坐して成道した菩提樹は、「飜譯名義集」卅一篇に、『佛在世に、高さ數百尺、屢ば、殘伐を經て、猶、四、五丈』、釋尊が、其下で寂滅した裟羅雙樹《しやらさうじゆ》は、「大般涅槃經疏」一に、『高さ五丈。』と有る。もちつと誇大に書き相《さう》な物だが、後世迄、其實物というのが有《あつ》たので、餘りな懸値も言へなんだのだ。之に反して、釋尊に次《つい》で出世すべき彌勒佛は、何に樣《さま》、五十六億七千萬歲てふ長い未來に生れるのだから、何を言ふても構はず、と有て、其下に坐して說法する龍華樹《りゆうげじゆ》は、高さも廣さも四十里だ相な(「諸經要集」一)。須彌《しゆみ》の四洲の大樹、取り取《ど》りな内に、吾人《ごじん》[やぶちゃん注:我々。]が住む南閻浮洲《なんえんぶしう》なる名の本づくところたる閻浮樹は、「立世阿毘曇論」一に、『其高さ、百由旬で、五十由旬めから、始めて、枝を分《わか》つ。徑《わたり》、五由旬、圍み、十五由旬、其一々の枝、橫に出る事、五十由旬で、枝の端から端まで二百由旬、周𢌞、三百由旬。』と見ゆ。この論二に、諸聖山を說き、『善立・善見という二樹王、高さ、各《おのおの》、一由旬。』とある。其邊《あたり》は、四寶、合成した景勝地で、金堂・銀堂有り。先《まづ》は極樂淨土の樣な物らしい。

[やぶちゃん注:「尼抅類樹」バラ目クワ科イチジク連イチジク属ベンガルボダイジュ Ficus bengalensis 「浄土真宗聖典」のこちらによれば、梵語「nyagrodha」(ニャグローダ)の音写。「縦広樹」「縦横樹」等と漢訳する。「バニヤン樹」。『枝葉が繁る高木で、炎日を避けるのに適した樹蔭をつくる』とある。また、当該ウィキによれば、『仏教では、菩提の象徴がインドボダイジュ(bodhi tree, bo tree)であるのに対して、ベンガルボダイジュ』(学名 Ficus religiosa )『(banyan, Indian banyan)は広大に広がる姿が菩薩の菩提心に喩えられる一方』、『「形も定まらず、始まりも終りもない」輪廻の象徴ともされる』とある。

「龍華樹」「龍華」は「puṃnāga」(プンナーガ) の漢訳。彌勒菩薩が釈迦の滅後、五十六億七千万年の未来に、その下で三会(さんえ)の説法を行なうとされる樹。高さ・広さ各四十里あり、枝は龍が百宝を吐くように百宝の花を開くという。]

 こんな事を聞きかぢつてか、大英博物館所藏の中古の寫本に、『極樂は、此世界の東に立ち、熱さも、飢渴も、夜も、なくて、晝ばかりあり。』とは、何かしたい時、困るだらう。扨、『日が、此世界より、七倍、明るく、無數の天人、有りて、最終裁判を俟つ。衆鳥の主宰たる鳳凰、住み、地に凸凹《でこぼこ》なく、霜雪雨霰、なし。月、改まる每《ごと》に、井水《せいすい》、溢れて、程よく、地面を流《ながる》る、ラジオン・サルツスなる叢樹、有り。其木、矢の如く、直立して、人、其高さを知る能はず。又、何の種類と察し能はず。其葉、落《おつ》る事無く、常綠、美快、多幸だ。』とある(ベーリング、グールド「中世志怪」二五六頁)。「佛說觀無量壽佛經」に、『佛、阿難と韋提希《いだいけ》夫人に告《つげ》て、地想、成し已《をは》つて、次に、寶樹觀をなせ、之を觀ずるに、七重行樹の想《さう》をなせ、一々の樹、高さ、八千由旬、その諸寶樹、七寶花葉、具足せざる無し云々』と說き居《をつ》て、乃《すなは》ち、彌陀の淨土に、そんな高い大木が列び居《を》ると云ふのだ。

[やぶちゃん注:「ラジオン・サルツス」不詳。

『ベーリング、グールド「中世志怪」二五六頁』イングランド国教会の牧師で考古学者・民俗学者・聖書学者であったセイバイン・ベアリング=グールド(Sabine Baring-Gould 一八三四年~一九二四年)のCurious myths of the Middle Ages(「中世の奇妙な神話」)。一八七七年版が「Internet archive」のこちらで当該部が視認出来る。]

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